3月3日(土)  「寄席行き」大成功      辻 淳二


 義父の連携ケアを分担
 この日は、かねて予定していた「93歳目前の義父に密着サービスをする日」だった。私の方は数年前に母を亡くした時に高齢者介護の体験をしているが、家人の方は義父が高齢ながらずっと元気だったためこの問題で苦労することはなかった。しかし、90歳を過ぎた数年前から、私の目にも「少し気力が落ちたな」と分かる衰えが見え始めていた。そして昨秋、義父の家に一緒に住んで身の回りの世話をしてくれている義妹から「負担が大きくなった」との申し出があって、他の家族(我が方を含め3家族)も加わった連携ケア体制に移行する相談を始めたのだった。

 そして、先ずは試みに、今年の初めから月に一回ずつ各家族が“2泊3日のケア”を行なうこととし、義父がそれで戸惑うことがないか等を確かめることにした。1、2月とそれを進めてきて3月に入った所で、我が家がお世話をする3日間の初日にケアの中心になるべき家人に外せない所用が生じ、私が一日密着ケアを引き受けることになったのがこの3月3日だったのである。

 慎重に意思確認
 折々に接してはいるが、一対一で10時間近く世話をするのは全くの初体験、「うまく行くかはやってみないと・・」という心許なさだった。そこで、「どうしたら、老父に満足して過ごして貰えるか」を思案し、少し前から、接する機会を利用して「その日のメインイベントになる楽しみ方」を探る会話を試みていた。大相撲、プロ野球、将棋と思い当たるものを挙げて、「それ行きたい」という反応が出るものを探ったが、どれももう一つ確かな手応えではなかった。その中で、フト思い付いて「寄席に行きましょうか」と問い掛けた時の反応がかなり確かなものに感じられたので、「よし、今回は寄席だ」と見当を付けた。

 そうは言っても、やや記憶が不確かになっている面が当日出て、迎えに行った時に「そんなこと、知らないよ」と言われてしまったらそれまでである。そこで二日前にFAXを送って、大略「3月3日は一日、(家人でなく)私がお相手します。一緒に上野の鈴本演芸場に行きましょう。12時半に開演なので、昼メシを近くの上野広小路で食べて少し前に中に入りましょう。(以下略)」と予定を克明に伝えた。口頭での話は吹っ飛んでしまっても、直前に我が眼で読んだら記憶に残るだろうと思ってである。さらに前日、家人からご本人に念押しのTELをして貰い「楽しみにしている」との返事だったと聞いて、「準備OK」ということにした。

 足と胃袋の確かさに感嘆
 当日、朝10時過ぎにJR荻窪駅からバスで実家に迎えに行き、しばらく待っていると、義父が着替えて自室から出てきたので、同道して外に出た。ここがスンナリと行って、「先ずは第一関門突破」とホッとした。バス→JRを乗り継いで、鈴本の最寄駅の御徒町に向かう。途中では、階段の上がり下りの時に近くを走り抜ける人からガードすることと、適当な間隔でトイレに行くよう声をかけることだけ気を付けて、乗り物の中では隣に座って会話に努めた。義父の話は、行きずりの景色とか駅や車内で見かけたシーンの話よりも、脳裏の中にある記憶の何通りかを繰り返し話すパターンなのだが、自分から結構話してくれるので間が持たないということはなくて助かった。

 御徒町に着くまでに、足の運びは見聞きしている近況の中ではいい方の状態なのが分かったので、駅を出てからアメ横を散策しながら行くことにし、店先をのぞき海苔を買ったりしながら、ゆっくりと鈴本の前まで行った。当日券を買い(一般2,500円、義父はシニア料金で2,000円)、30分余り時間があったので、予定通り近くの和食レストランで昼食を摂る。二人だけで食事をするのも初めてだったが、食べられるメニューの幅が広く、運ばれてきた食材も入れ歯で噛みにくい一部を除いて全部食べられるのを目の前にして、「胃袋、しっかりしているな」と感嘆した。

 寄席を最後まで楽しんだ!
 開演10分前に演芸場に入ると、250席余りある客席の4割位の混み具合、私達は声がしっかり聴き取れるようにと、正面二列目に席を確保した。当日の演し物は、落語を中心に漫才・手品・マリオネットなどがミックスされていて、有名な芸人が出ている訳ではないが結構笑わせてくれるものだった。

 さりながら、中休みを含めて4時間の長丁場、しかも昼食後の時間帯だから、老父が寝てしまったり、退屈してしまったりは十分あり得ること。そう思いながら時々横顔を見ていると、コクリコクリしていることはままあった。しかし、うまい具合に一つの演し物は10〜15分程度で終わり、そこで会場から拍手が出る。老父はそこで目を覚まし、趣きの変わった次の演し物に見入るということになって、何と全4時間をフルに楽しんでしまった。

 大発見! 寄席が持つ屈託ない明るさ
 かくして「メインイベント、イメージ通り!」のガッツポーズものだったのだが、ここでもう一つ私にとっての「この日の大収穫」があった。それは、時々振り返って客席を眺めると、番組が進むにつれて着実に席が埋まって行き、真打ちの出番になる頃にはパラパラと立ち見の人も出るまでになって、年齢層的に見ても“まさに老若男女”、若い美形の女性達もそこそこ見られるという賑わいを呈したことだった。この日の日本を巡る空気は、政治面では「ノー天気総理、一体いつまでやる気なの?」、経済面では「株価ひたすら下降、底が見えなくて不安」といった気分に覆われ、ドンヨリと重たいものだった。現に、演し物の中で若い女性の漫才師さえ時の総理をギャグッて笑いを取るという状況だったのだが、寄席に深刻な顔をして来る人は居ない。かくして、「ここには一転、明るい顔の老若男女で満席のシーンがある。そして、図らずも自分もその一員になっている」ことに気付かされたのだった。その瞬間、老父のケアの積りだったこの日が「自分にとっても価値ある一日」に転じたのだった。さすがに、場内のこうした空気は芸人達にも通じたのだろう、真打ちの落語家・柳家権太楼が、しがない若者が物分りのいい旦那との会話の成り行きで一升だか二升だかの大酒を飲み切る、「すごい」と褒められ「飲む前にちょっとどこかへ出かけた。そこでどんなおまじないをして来たのか教えてくれ」と言われて「これだけの酒を飲むのは初めて。飲めるかを試しに行った」と答えるのがオチという噺を熱演した。これには、「さすが。真打ちは、やっぱり真打ちだな」と感心させられた。

 垣間見えた「老いの切なさ」
 全部見終って通りに出た所で、「しまった」と気が付いた。義父が、にわかに不審な動きを見せたのだ。ちょっと気が抜けてすうっと場外に出てしまって、「トイレに」と声を掛けるのを忘れたためだった。慌てて、不忍池の方に行けばあるだろうと老父を促しながら、目で懸命にトイレのありかを探った。幸いすぐ近くにあって、ヤレヤレと胸を撫で下ろした。

 ここまででメインイベントは終わって、後は「無事に送り届ければ・・」という段階に入った。時刻は5時頃、曇ってはいるが雨は大丈夫のようだったので、取り敢えず上野駅の美術館口までブラブラ散歩することにした。先ず、「不忍池に渡り鳥が来ているかも」と思って池の縁まで行くと、多数の鴨が群れて泳いでいて、通りすがりの人が投じるエサを争ったりしていた。そこから、老父も記憶がある筈の西郷隆盛像の所まで階段を上がった。これをしばし眺めて、改札口へと向かった。

 帰路は、山手線を池袋廻りで新宿に出て、そこの駅ビルで夕食を食べた。その間も他愛ない会話を続けたのだが、そこで思い掛けなく“いくつかの重要なメッセージ”が私にもたらされた。一つは、会話の間で時々、相手が長女の亭主の私でない他の男性との意識になっていることがあって、私のことを「まともな大学を出たのに好きなことをやっていて、とんでもない男」とポロッと喋ったこと。どうやら、大企業を早めに辞めて自分には分からない生き方をしていることを、内心よく思ってはいなかったということらしい。一瞬、「その男、この私ですよ」と自分を指差そうかとの悪戯心が頭をかすめたが、30歳違えば生き方に関する価値観のギャップは当然あることで、「参ったな」と苦笑いして矛を収めた。もう一つは、フッと「長生きするのはいいことじゃないね」と漏らされたこと。93歳ともなると、ご近所の同年輩の人は殆どいなくなり、いくら元気でも、自分の主体性を保った生き方が難しくなってくる。その辺を感じとっていての言葉なのだろう。冒頭に書いた、数年前から私にも見えるようになった「気力が落ちたとの感」と、この言葉が出る気分とは密に関係しているのだろうと、フト考えさせられた一時だった。

 かくして、今回の「一日、密着サービス」はいろんな感動的な気付きがあって、上々の結末となった。だが、今度同じ役が廻って来た時に、また寄席という訳には行かないだろう。次の出番がいつかは定かでないが、また「その時のための、メインイベント探し」を始めなければと思い始めている。
[2001.3.27]

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