ヨレヨレ日記 某月某日(PART2)      高嶋 宏尚


 某月某日 火曜日 曇り

 最近レンタルのCDを時々借りるようになった。     

 もともと聴きたい曲は自分でレコードなりCDなりを買うこととしていたのだが、いつの間にやらCDが溢れ出し、狭隘な我が家では買い込むことより処分することのほうが焦眉の急となりつつある。そこで、ちょっと聴いてはみたいが自分で買ってまではと思えるCDはレンタルを利用してみることとした。

 我が家の近くにも、ビデオやCDのレンタル・ショップが何軒かある。いずこも似たような貸し出し条件であるが、本数をまとめると割引したり、プリペイド・カードをあらかじめ購入すると随分安く借りることができたりと、それぞれに客寄せの工夫をしているのが面白い。最近の若者が好む類のCDはそれこそ溢れるように置かれており、クラシックなど自分が聴きたい分野は極端に少ないものの、それでも何枚かは興味を持てるものがある。ある店では1枚を1週間借りると300円であるが、一時に5枚借りると1000円とのこと。4枚借りるつもりなら1枚追加して5枚借りるほうが得になる勘定だ。

 そのようにして、ついでに借りてきたのが村治佳織の「パストラーレ」。若干22歳のギタリストのアルバムである。レコード屋のポスターなどで存在は知っていたが、オーケストラやピアノ曲に比べギターは余り聴くことが無いし、所詮は若いお嬢さん、イエペスやセゴビアなどの大家に比べれば・・などと思っていたのであった。

 ところがこれが意外にも、とても良いのである。「アランフェスの協奏曲」で有名なホアキン・ロドリーゴのギター曲が収められているのだが、普段聴くことのなかった曲ばかりで、非常に新鮮な感じがする。演奏も若々しく、予想外に力強く、音の輪郭が極めてはっきりしている。ギターは総じて大きな音の出ない楽器なので、ともすれば音の輪郭がぼやけ勝ちになるのだが、彼女の演奏は音の一つ一つがはっきりしており曖昧なところがない。未熟な感を受けるところもありはするが、清々しく瑞々しい情感に満ちた演奏である。思いがけない拾い物をしたような感じだ。

 某月某日 木曜日 雨

 今夜もまたバスの乗り違いをしてしまった。自慢出来る話ではないが、これで5〜6回目だ。終バスに乗ったのだが、我が家とは反対方向のバスであった。結局20分程かかる隣りの駅まで連れていかれて、そこからタクシーで帰宅する破目になってしまった。右左反対方向に行くバスの乗り場が一緒で、しかも方向違いのバスの時間が接近しており、かつ、行き先表示が非常に分かりづらいのが原因だと自分の迂闊さは棚上げして毒つきたくなる。それが証拠に、自分と同じような客が3人もいた。

 Tバスというのだが、会社の事情もありはするだろうが、利用者のことを本当に考えているのかと文句を言いたくなる。

 第一に、電車の駅からバスが出る時刻が電車の到着時刻と一緒という時がある。これなど、「電車からの客は乗せない」と云っているようなものではないか。電車から降りてくる客を乗せずして誰を乗せようというのか。

 それから、バス時刻や経路が頻繁に変わり、行き先表示も極めて判りにくい。やっと新しい時刻表に慣れた頃に変更がある。何の所為かは分からぬが、期間限定の時刻変更もしばしば行われる。乗客もそんなに多くないというのに、始発の停留所に2台も並んで来たりする。運行時刻からいって明らかに増発であろうが、どう考えてもその必要などなく、乗客は「??・・」とキツネにつままれた感じだ。

 平日ダイヤと休日のそれが違うのは常識だろうが、路線毎に平日・休日の区分が違ってもいる。「月〜金、土、日祝」のパターンと「月〜土、日祝」のものがある。利用客が明らかに少ない土曜の朝にガラガラのバスを走らせているのも、理解しづらい。

 まだある。同じ乗り場から出るバスでも、経路によって運賃の支払い方式が違うのはどうしてなのか。小生の利用路線は運賃先払い方式だったが、ある日突然のように整理券による運賃後払い方式に変わってしまった。他の路線に乗るときは、従来どおり先払いの方式のままだ。バス会社の事情があるのかも知れないが訳が分からない。こんなこと一体誰が何のために考え出したのか。

 まだまだある。延々と待たされた挙句、次のバスが来てしまった。どうしても間引きされちゃったとしか思えないではないか。運転手にも問題の多い奴がいる。降車ボタンを押しているにも係わらず、次の停留所まで連れていかれたことも何回かあるし、面倒くさいからだと思うが、車内での回数券の販売を拒否した運転手に出会ったこともある。

 だんだん興奮してきて、思わずテーブルを叩きたくなるが、しかし、こうやっていつまでも日記を相手に力んでいてもしょうがないのであった。

 一度、バス会社に電話し改善して欲しい旨申し上げたことがあったが、お座なりな答えが返ってきただけだった。こんなヨレヨレ親爺なんて、相手にされていないんだろうな、きっと。

 某月某日 火曜日 晴れ

 モリンダ・シトリフォリア。古代からポリネシアの人々に「自然治療薬」として使われてきた薬草である。これの果実や葉、茎、根などあらゆる部位から健康効果の高いエキスを抽出できるとのこと。効能は、鎮痛、消炎、解熱、解毒、抗菌、殺菌、血圧調整、消化・分泌促進、細胞活性化、抗癌など、糖尿病や高血圧、がん、感染症に至るまで、あらゆる病気に効果が期待できる、いわば、万能薬であるようなのだ。当初は、いささか「本当かいね」と言いたい気がしていたものだったが。

 これを搾ったものがジュースとして売られている。強烈な苦味などの味と臭味があるため、それを取り除きブルーベリーの香りをつけて飲用に供するようにしたものらしい。勿論このジュースも薬用であり、様々な効能を持つものだ。確かに、黒い重々しいビンに詰められた、強い臭いがあってどろりとした濃い小豆色の液体を見ると、後ずさりしたくなる気分だが、「もしかしたら利くのでは」の期待がもてそうな気にもなる。

 飲用のための細工がしてあるとはいえ、相当飲み難いことも確か。一本1000mlのビンが6500円であり、指示どおりまじめに飲用すると、ほぼ1週間でなくなる。高価とも言えようが、これで宿阿が良くなるのなら安いものとも言える。

 ことの始まりは、小生の膝の病気。変形性膝関節症というのだが、正座は勿論のこと、しゃがむこともままならない。医者に毎週注射を打たれ、溜まった水を抜き、アメリカの健康食品を摂取し、気功にも通い、タイガー・バウムを勧められればそれを膝に塗り、といろんなことをしてみたが、結果ははかばかしくなかった。勿論、様々な治療法に問題があってのことではない。深夜に及ぶ勤務の連続や、休日の出勤、たまさかの休日での夜更かしと床へのゴロ寝(朝まで着たままで眠り込み、家内に起こされたことが何度あったことやら)と、年令の割には乱暴・不規則な生活を続けていることに根本原因があるとは認識しているのだが。

 知り合いの老婦人が似たような症状で和式トイレを使えなかったのが、このジュースのお陰でしゃがみこめるようになったと聞きつけて、家内が1本買ってきた。これを飲用するようになってちょうど1と月になるが、重く軋むような感のあった膝がなんだか軽くなってきた気がする。電車の時刻に間に合わなくなりそうで、今日は駅で少し走ってしまった。小走りに走ったのは一体何ヶ月ぶりのことだったろう。

 某月某日 日曜日 晴れ

 日曜日の朝、ちょっと用足しに街まで出掛けた。用事は直ぐに済んだ。おしゃれな喫茶店が駅近くあると家内に教えられていたので行ってみることにした。コーヒーを飲みながら、今日行われるG1レースの予想でもしようかと、競馬新聞を抱えて行った次第。

 確かに聞いていたとおりの上品な店だった。クリーム色の壁と天井に、焦げ茶が基調のテーブル、椅子が置かれ、間接照明が柔らかな光を落とし、中央の長テーブル上にはアンティークなスタンドが淡い光を放っている。カウンター席には小さな額絵や銅製の人形が置かれてあり、落ち着いた、しゃれたセンスがしのばれるたたずまいであった。

 先客は男女のペア2組。いずれも、50歳位の男性と奥さんというにはやや年の離れた30台とおぼしき女性の組み合わせである。どちらもこの近所の住人でないことは直ぐに分かる。一方は男性がブレザー姿で女性はツーピース、もう一方はくすんだ色のジャンパーを着た男とワンピースの女性なのだが、いずれも何の職業かは俄かには判別し難い風体。堅い商売でないことは窺い知れるのだが、ブレザーは風俗関係のマネージャー風と云えばよいか、ジャンパーの方はパンチパーマでもあり職人か、もしかしたらもっと危ない方面につながっている方かといった感じである。

 「ああ」と落胆したのは、どちらの組もテーブル一杯に数種類の競馬新聞やスポーツ紙を広げていたためであった。これで自分も競馬新聞を広げてしまったら、このしゃれたセンスの店が博打うちに占領されてしまうことになってしまうではないか。さすがに図々しい自分でもそれは出来かねた。やむなくコーヒーを飲みながら、文庫本を取り出し読み始めたのであった。

 聞くつもりはないがボソボソ話している声が聞こえてくる。ブレザー側は、どうも女性の方が男に向かって「はっきりしてよ」というようなことを言いつつ迫っている様子であり、ジャンパーサイドは、男が女性に向かって何か詰問めいた口調で攻めている感じがある。「あの話はどうなった」、「こっちから連絡したのか、それとも向うからきたのか」、「今日も会うのか」などの言葉が切れ切れに聞こえてくる。両方の組とも、白々とした倦怠感のようなものが漂っており、どことなく座りが悪く、危なさそうな雰囲気が濃厚なのである。

 そうこうしている内にジャンパーの携帯電話が鳴った。「○−○、○−○、… ○千円づつ」と電話にむかって喋っているのが聞こえた。G1レースの馬券に間違いない。なんと、ほとんど小生が買おうとしていた馬券と同じではないか。「こりゃー、あかんわ」と、思わず関西弁になってしまいそうだった。数百倍の大穴狙いまで一緒だった。悪い予感がした。

 そうしてしばらくボソボソ話が続いたあと、相次いで2組が出ていってしまった。とたんに店内の空気が軽くなり、上品な喫茶店の朝の情景となった。そう言えば、この近くにはホテルがある。あの2組がいずれもホテルに宿泊のあと、この喫茶店に立ち寄ったと考えれば、あの怪しげな雰囲気も見事に説明が付くではないかと失礼ながら不逞な空想をしてしまった。勿論、馬券は大ハズレ。

 某月某日 金曜日 晴れ         

 本当に久しぶりに同期4人で飲んだ。A君馴染みの浅草の寿司屋だったが、清潔な店で客も多くはなく、魚は新鮮・美味・安価。これで話が弾まぬ訳がない。4人とも既に第二の職場に身を置いているが、いずれものんびり構えてお給料をもらえるような環境ではない。

 「"何も問題はないからゆっくりやって下さい"と言われて行ってみたら大違い。問題だらけではないか」、「俺のところも同じだ。こんなになるまで抛っておいたのは誰だと言いたい程ひどいぞ」、「俺はサラリーマンになって以来、今一番働いているんじゃないかと思うよ」などなど、ひとしきり互いの職場の話が出た。一様に、重たい課題を背負って奮戦している。愚痴や怒りも含めて、気の置けない仲間と言いたい放題、それぞれ皆が格好のストレス発散をしたようなものだ。

 同時多発テロのことに話が及んだ。Aはあの最中に、お客様に同行してニューヨークに出張していたのだった。テロの前日にワールド・トレード・センターに出向き、食事をしたとのこと。当日は5キロ程離れたところに居て無事だったのだが、お客様が体調不良になってしまい、大層難儀して日本に帰って来たとのことだ。

 「事件の直後、関係者の状況報告があってAがニューヨークに行っていたことを知ったが、君ならどんなことがあっても乗り越えてくれると思っていたよ」と皆に言われ、「神は次々に試練を与えてくれるよ」とA君。「俺達には、前職の時もそうだったが、未だに神が、これでもかという程試練を与えて下さる。結局、俺達は神に愛されているだ」との結論になり、大いに盛り上がった。

 談論風発、大いに飲みかつ食い、皆好い気分になって駅までの道をワイワイ言いながら帰った。地下鉄の入り口まできた時、N君が吸いかけていたタバコを消し、吸殻をそのままポケットに入れてしまった。「おいN、これに入れろ」と小生が携帯灰皿を差し出したが「いや、いいよ」とNはそのまま帰ってしまった。世にタバコのみは多いし、吸殻をポイ捨てする人も非常に多い。小生は、他人が嫌がるところでは吸わないし、絶対にポイ捨てもしない。それが喫煙者の最低限のマナーと心得ているつもりだ。N君の行動を見て「Nも心得ている。さすが我が同期」と嬉しくなった。欣快至極の夜であった。

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