11月7日(日)

   久しぶりの陣馬・高尾縦走

             辻  淳二 

  期待を秘めて登山口へ

 今日は、かねて心積りの「陣場高原から高尾山までの縦走」を行なう日。8時10分に京王八王子を出るバスに乗るため6時半に起きて、雨具、カメラ、飲み物などの必携品をリュックに詰め込んで飛び出す。宵っ張りの家族は、まだ誰も起きてこない。

 八王子駅のバス乗り場に向かう道で、発車したばかりの名物車両「ボンネットバス」と行き交う。「この時間に出るのなら乗ったのに」と思ったがもう遅い。しばらく待つとバスが来て、同好の登山者達を乗せて甲州街道から陣場街道へと進む。終点の陣場高原下で降りて一息ついて身体を緩めていると、次々とバスが到着して狭い折り返し場に4台ほど溜まる。どうやら、ボンネットバスを始めとして、この時間帯は登山客のピストン輸送体制をとっているらしい。

 肝心の天気は、今日は雲が厚くちょっと冴えない様子で、「昨日はよく晴れていたのに」と思う。だが、雨にはなりそうもないので良しとする。着いたバスの台数から見て百数十人の人が居た筈だが、先ずここで陣馬山へと明王峠へと2分されたこともあって、同時に歩き始めたのは、13人の腕にボランティアの腕章を巻いた数人のリーダーが束ねる13人の年配者のグループと、女性2人の同年輩組の2組だけだった。そして程なく、年輩グループはみんな足が達者で隊列を崩さずに先行し、2人組はよく通る声で世間話をしながらの歩みで次第に遅れることになって、単独行の私は一人ぼっちになってしまった。それでも「旅は道連れ」、この2グループとは、その後の行程でまた交流することになる。

 上りの大半が舗装路だとは

 アプローチは、何と約2.5キロに渡って舗装路だった。このルートは、もう20年くらい前に下って以来なのだが、バス停近くまで土の道を下りたような記憶になっていて、時の経過を感じる。それも、道筋に問題宗教団体関連の見るに耐えない落書きなどが目立ち、楽しみもなく歩を運んだが、和田峠近くまで沢音がつかず離れずだったのが唯一の救いだった。結局、和田峠からようやく山道になって、50ないし100段くらいの階段が何回か続く登山路を15分ほど歩いて視界が開けると、そこがもう今日のルートの最高(857メートル)の陣場山頂の端だった。ここで、まだ汗も僅かしかかいていないながら、山頂でしばしの休止をした。あいにくガスの濃い天候で、晴れればクッキリと見える筈の富士山はおろか、山頂周り数百メートルくらいしか視界がきかない。紅葉も、鮮やかな色はどこにもない。むしろ、「色をトコトン消した」墨絵のような景色が印象的だった。

 マイペースで縦走路を行く

 陣場山頂では100人近い人と行き交い、先の女性2人組も追いついてきて、明王峠への道をしばし同行する。尾根筋に入るともう沢音とは無縁で、草花にも目に付くものは少なく、ポツンポツンと紅葉した木が気持ちをなごましてくれるだけの縦走路を歩み続ける。たまに珍しい植物や景色を見つけると、デジカメを取り出して写真を撮る。それを小休止にしながら、当面は距離を稼ごうと進む中で明王峠に着いた。

 明王峠は、やせ尾根から逆T字に道が上がっている感じの所で、Tの付け根の位置に一軒の茶屋がある。このお茶屋をやっている老婦人と先に着いた女性2人組とが会話をしているのに、後から加わった。茶屋の屋根を覆うように山側にある大きなモミジはまだ緑色のままで、麓側には遠くJR中央線沿いの藤野と上野原の家並みが見える。彼女は、その藤野町の外れ辺りの自宅から車で途中まで来て、峠までは歩いて来るのだという。70歳をそこそこ過ぎているように見えたが、しっかりとした話し振りだった。 話し込んでいる女性たちに声を掛け、先に景信山への上りにかかる。この辺りから、行き交う登山者が増え始めた。何組かに声を掛けて聞くと、高尾山からの縦走者がもうここまで来ているのだった。先生が束ねる府中の中学生の一団も、勢いよく通り抜けていった。小さな上り下りを繰り返すと程なく、視界が開けて大勢の人で賑わう景信山頂が見えて来た。時間は午後1時近く、お腹も空いてきて「頃合いのいい休憩地点」だ。

  「縦走路もごみのない山」の秘密に触れた!

 山頂のお茶屋でなめこ汁を注文して、持って来たおにぎりで昼食を摂る。気分がゆったりして、暖かいなめこ汁がうまい。隣に、登山口で先を越されたボランティアの一団が食事をしていて、一旦追いついた形になった。ここで、メンバーがそれぞれに大きなごみ入れ袋を持っているのを見て、「空缶やごみを拾いながら登る」ボランティア隊だったことが分かる。そう言えばと、ここまでの山路に入ってから空缶を見なかったことに思い当たった。もともと高尾山は「ごみを持ち帰る山」として知られているが、縦走路までこういう人たちの努力でそれが貫かれているのを目の当たりにして、感動を覚えた。

 ここでの休憩はゆっくりと取って、次のピークの小仏峠に向かった。峠の直前で、先行するボランティア隊の最後尾に追いつく。しんがりをリーダー級の数人が務めているので、缶やごみを見つける目と拾う動作が機敏で、都内でごみ捨てに使われているような大きな半透明のごみ袋が見る見る膨らんでいく。しばらく並行しながら話を聞くと、「この辺から拾う物が増えて来て、歩みが遅くなった」という。道から10メートルくらい奥に投げ込まれた缶なども目に留まれば丹念に拾っていて、形だけ手伝っている自分が恥ずかしくなった。城山の手前で、一団を追うため巻き道を急ぐ彼らと別れ、自分は縦走なのだから山頂は通ろうと、城山へと足を進めた。

 足の痛さと満足感が交錯

 城山からは9月に歩いている「勝手知ったる道」、その時の植物観察で珍しい草花の発見があった脇道にもちょっと寄って高尾山頂へ行くことにする。歩き出して程なく、城山下の広い休憩スペースで仕事を終えて談笑しているボランティア隊を追い抜いた辺りまでは順調に見えた。ところが、この辺から、下山路で徐々に痛みが来ていた足が固くなって来て、歩みがガクンと落ちた。高尾山手前の紅葉台から山頂までの高度にして50メートルくらいの石段の上りのきつかったこと。足を引きずるようにして上りきると、目の前に件の女性2人組とばったり。どうやら、紅葉台手前の植物観察路に寄っている間に抜かれたらしい。しかも、上りに掛かった時と変わらない元気な声で話し掛けられ、負けたなと思った。しかし、何はともあれ縦走路の終端の山頂に到達して、気持ちは満ち足りていた。時間は4時頃、曇り空だったが、山頂の一本のもみじが今日見た紅葉の中で紅としては一番きれいに見えた。

 後日談

 明くる日、通勤時に急いで坂を下ろうとしたらまだ昨日の足の痛さが残っていて、乗ろうと思っていた電車を一台やり過ごした。我ながら「ちょっと情けないな」と思ったが、昨日いい気を沢山浴びてすっきりした気分は、この日もずっと残っていた。そして、その次の日になると、足の痛さも跡形もなく消えていた。

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