ヨレヨレ日記 某月某日(PART6) 高嶋 宏尚
某月某日 木曜日 曇り
帰宅途中の混み合った電車の中で、突然「ウォークマンうるさい!」との怒声が上がった。小生の周囲にも何人かウォークマンのイヤフォンを耳にした帰宅途中のサラリーマンがいたのだが、その向こうで中年のオッサンが若い女性に怒鳴ったものらしい。その後も、件のオッサンはぐちゅぐちゅと説教がましいことを言い続けた。そのうちに、「そういうあんたも煩いんだよ」とか「謝っているじゃないか」など、周囲からオッサンを非難する声があがり出した。すると、件のオッサンは一層居丈高になり、「言うべきことを言わず、そ知らぬ振りをしている人達に向かっても言っているんだ」など、周囲の人たちも敵に回すようなことを大声で言いはじめた。丁度その時、電車が次の駅に着いた。「つまみ出せ」の声があり、入り口でもみ合いになったようだ。見ると、何人かがオッサンを引きずり出そうとしているが、オッサンは座席のところの鉄パイプにしがみ付いて離れない。滑稽でもあるが、哀れで悲しく不快な光景である。ひとしきりもみ合った後、互いに疲れてしまったのだろう、静かになった。ストレスの溜まる仕事にくたびれ、心静かに帰宅したいものだと思っているのに、「バカ」と腹の中で舌打ちしたい気分だった。
随分昔のことだが、朝日新聞(だったと思うが)に連載されていた横山隆一さんの「百馬鹿」という漫画があったことを思い出した。人がなす愚かな所業を百の漫画にしたものだが、これに倣って「電車の中の百馬鹿」というのもあるなと詰まらぬことを考えはじめた。
ちなみに、
ウォークマンで周囲に迷惑を及ぼす馬鹿
ウォークマンうるさい!と怒鳴る馬鹿
車中で化粧をはじめる馬鹿
立ったまま眠っている馬鹿
携帯電話を架けている馬鹿
濡れた雨傘を他人に押し付ける馬鹿
などなど、いくらでも出てきそうに思う。
ことほど左様に、混み合った電車の中で不快な目に遭うことが多い。「電車の中の百馬鹿」などたちどころに出来てしまいそうだ。車中の出来事に苛立ってくだらぬことを考えてしまったのだが、他人のことを馬鹿などとこき下ろしている自分が実は一番救い様がないのであろう。
「電車の中の百馬鹿」の結びは
他人の振りをみてバカ呼ばわりして喜んでいる馬鹿
ということになるのだろう。
某月某日 火曜日 曇り・小雨
わが社には社員食堂がないが、東京駅に近い立地のため、地下街を含めた周囲には沢山の飲食店があり、昼食時には社員は思い思いに好みの店を利用しているのが実態である。小生は普段は弁当持参で出社しているため、周囲の飲食店の状況にはとんと疎いのであるが、まれに家人の都合で弁当がない時がある。今日がまさしくそんな日であった。
「何を食べようかな」とさしたるアテもなく歩いていったのだが、八重洲ブックセンターの手前で「元気亭浜っ子」という店の幟が目に付いた。何回かこの道は歩いたことがあったが、この店の存在に気付いたことはなかった。最近開業したものであろうと思われた。
ガラス戸越しに店内を覗くと、カウンターだけ10席程度の狭い作りであるが結構な客の入りで、「海鮮丼」500円、「ズケ丼」500円のメニューが見えた。「おお、これは安い」と、安さに釣られて入ってしまった。入り口で見えなかったメニューも店内に張り出されているのだが、「まぐろ納豆丼」、「鉄火丼」、「スキ身丼」、「うな丼」と全て500円である。唯一の例外が「いくら丼」で780円であり、これでメニュー全てである。「海鮮丼」500円が人気のようであり、早速それを頼んだ。
やや底の浅い平べったい感じの丼に、白胡麻が振りかけられたご飯が盛られ、その上に、マグロとイカを賽の目に切ったものにカニ子をまぶしたもの、卵焼きときゅうりも賽の目に切ったもの、ゆでた海老の切り身、紫蘇の実の塩漬けなどが混ぜ合わされたものがドンと乗っかっており、さらにその上にイクラがばらまかれている。と、まあこういった風情のどんぶりなのである。勿論、ガリとワサビもついている。
このままでも美味しく食べられるが、周囲を見回すと、心得た人は小皿にワサビを醤油で溶き、これを少しどんぶりに振りかけているようである。小生も真似てみたが、なるほどこうすると一層風味が増すようである。マグロ、イカ、エビの旨みと、カニ子、イクラの塩味、それに卵焼きの甘味、たまらないのはきゅうりのシャキシャキした歯ごたえとさっぱりした食感で、きゅうりの美味しさを初めて認識した感がある。これらの具が渾然一体となった味わいは、およそ何を食べても美味しいと思ってしまうほど、自分は幼稚な味覚の持ち主なので余りアテには出来ぬが、まさに絶品の感じである。
店は5〜60代と思しきオバサン達が中心になって運営しているようであるが、この「海鮮丼」の味を決めるまでにいくつもの具の種類と量の組み合わせを試食したとのこと。持ち帰りも出来るが、店で食べるとあら汁などの味噌汁が付く。本当にこれで500円でいいのか、と思わせられるほどである。安くて美味、かつ素早く食べられる。一発でファンになってしまった。
某月某日 水曜日 雨のち晴れ
午前0時に電車を降りた。とっくに路線バスは終了してしまっている。タクシー乗り場に急いだがわずかの差で客待ちしていた車に乗り損なってしまった。この時間になってしまうと電車からの客が先を争ってタクシー乗り場に駆けつけるので、ちょっとの差が天国と地獄を分ける(大袈裟か)ことになってしまう。既に3〜4人が行列を作ってタクシーが帰ってくるのを待っている。下手をすれば2〜30分待つことになりそうだ。朝からの雨はあがり、星空に満月が出ているがいかにも風が冷たい。「歩いて帰るか」と考えたところで、今年はまだ花見をしていないことに気がついた。
丁度桜が満開の頃である。例年この時期には、信州や京都の桜を見に行きたいと強く思うのだが果たせないでいる。少しだけ遠回りをすれば、市役所の裏通りに数百メートルに及ぶ桜並木がある。「よし、深夜の花見だ!」と決めた。花見には酒と団子が付き物である。駅前のコンビニに飛び込み、暖かい缶コーヒーと餡饅を買い込みコートのポケットに忍ばせ暗い道を歩きだした。 手始めは、駅の脇にある公園。街路灯も少なく暗いが、駅舎の明かりに照らされたところが白く浮き上がって見える。本格的な花の盛りを迎えていることが判る。電気は消えているが、公園の桜の周囲には提灯というのか雪洞というべきか、お祭りなどで見かける品のないのがぐるりとぶら下がっている。興ざめだなと思いながら、ここは足早に通り過ぎることとする。
決して心地良くはないのだが、葬儀場の敷地を横切ったりしながら5分ほど歩くと桜並木に行き着く。花冷えの夜空に月が冴え渡る中、今を盛りと見事に咲いている。花は桜木、人は武士と言うが、「やっぱり日本人には桜だよなぁ」との感想を持つ。歩を緩め、桜の一本一本をゆっくり眺める。今を盛りと咲いている桜を目の当たりにすると、極限に達した生は限りなく死に近づいていくような思いがしてならない。「桜の木の下には死体が埋まっている」という基次郎の言葉が思い出されたりもする。
交通信号のある交差点まで来た。交差点脇に咲いている満開の花には信号が変わるたびに、赤・青・黄の色が映り一種幻想的な様相を呈している。桜の色が変わる様を眺めながら、ポケットから取り出した餡饅をかじり、缶コーヒーを飲んだ。通る人とてない深夜だからこんなことをしていられるが、昼間にはちょっと出来ないだろうなと思う。信州や京都には行けなかったが、今年は今年でちょっと変わった花見が出来た。
某月某日 日曜日 曇り
例によって、したいだけの朝寝坊。昼近くになって起き出したが、朝食を済ませると家人に「掃除をするから邪魔にならないで」と言われてしまった。部屋でゴロゴロしていては家人の機嫌を損ねることにもなりかねない。玄関に出てみると、しばらく掃除をしていないため結構なくもの巣である。たまには家族の役に立つこともせねばなるまいと、くもの巣を払うことにした。 竹箒の先に使い古しのストッキングを巻きつけ、玄関から掃除しだした。蜘蛛の抜け殻なども取れるが、生きている蜘蛛も何匹か落ちてきた。蚊などの害虫も食べていてくれたのかもしれないが、この際は邪魔である。無慈悲にも皆追い払ってしまい、埃だらけになりながらせっせとくもの巣取りに精を出し、ようやくきれいになった。このストッキングはなかなかの優れもので、しぶとく張り付いている蜘蛛の巣をきれいにしていってくれる。目が細かいからなのか、静電気でも起きるからなのかはよくわからないけれど。一通り掃除が済んだら丸めてポイ。これでお仕舞いである。
普段は玄関先を見上げることもないから気付きもしないのだが、単純に庇が出ているだけと思っていたのに、随分出っ張りや凹んでいる所がある。掃除をするなら簡単に箒を一掃き、という訳にはいかない。丁寧にやろうと思うとそれなりに手間のかかるものだと、改めて思わされた。 随分きれいになり、なにか善行を施したような気になった。「これならば、神様がきっとご褒美を下さるに違いない」と我田引水・自己中心の論理をすぐさま組み立てしまうところがヨレヨレ親爺の浅はかさ、悲しさである。「よーし、勝負だ!」と、気合を入れて馬券を買ったが見事に全敗。大損をこいてしまった。神様はそんなに甘くはないョ。
某月某日 金曜日 曇り
会員の柳下さんがサラリーマン生活をリタイアされた。柳下さんはかっての上司であり、様々なご指導を頂いてきた。小生は、いかんせん出来の悪い部下であり、相変わらず愚かな所業を繰り返していることに、柳下さんは苦笑いをされているのではないかと思うが、いまだに薫陶を受け続けている。小生に当研究会を紹介して下さったのも柳下さんなのである。
辻さんの呼びかけで、柳下さんの永年のご労苦に感謝、ねぎらい申し上げようということになった。本来なら、小生が手配をすべきであるのだが、柳下さんから「お忙しいでしょうから、自分が会食の場所等を手配します」とのお申し出でがあり、例によって甘えてしまった。
柳下さんが選んだ店は、秋田の稲庭うどんを食べさせてくれる店であり、銀座とは思えないほど静かで落着いたところであった。毎日色んなことに追いまくられ、バタバタと落着かぬ日々なのだが、美味しい料理を味わい、両先輩の含蓄のある話を聞き、心安らかな時間を過ごした。
食事のあと「コーヒーを飲んでいこう」ということになり、シックな看板が出ている喫茶店に入ることとした。店は2階にあるので、階段を上っていったのだが、なんと満席で7〜8人が席の空くのを待っている。重厚なつくりの店で、入り口の上には”TROIS”SINCE1969の銘が刻まれている。こんなに待っている人がいるとは、きっと情報誌などで紹介されるような店なのだろうと思った。前で待っている人に「有名な店なのか」と尋ねてみたが、「よく分かりません」との返事であった。他の店を探すのも面倒だし、暫し待つこととした。幸い階段の踊り場には、空席待ちの人のための椅子が置いてある。我々とっては、座って話の続きが出来ればどこでもいいのであるから、ウェイターに待合場所にコーヒーを持ってきてもらえぬかと交渉してみたが、これは残念ながら、断られてしまった。
待合の椅子でしばらく話込むうちに店内に案内された。床はレンガを敷いたような造り、天井や柱は焦げ茶の木を基調とし壁はクリーム色で、落着いた感じの構成であり、花や鳥などの水彩画や油絵が掛けられ、藤田嗣司の自画像の版画も飾られていた。ちょっと気位の高そうな女性同士や、中高年の紳士と若い女性などの組み合わせの客が多いように見えた。やはり、女性誌などに紹介されていそうな雰囲気の店で、新宿にある”ジョルジュ・サンク“や、目白の”ル・プティ・ニ“などと似通った感じである。もしかしたらインテリア・デザイナーが同じ人なのかも知れないと思った。
伺うところによると、柳下さんには暖めていた研究テーマがあり、スケジュールをきちんと決められて図書館に通われているとのことであった。また、健康管理も計画的になさっているとのことであった。小生にもいずれ職場からリタイヤする時が来るのだが、柳下さんのように自己をきちんと律する姿勢は見習わなければと思う。