ヨレヨレ日記 某月某日(PART16)    高嶋 宏尚                  
  

  某月某日 月曜日 曇り

 業務時間中にO社のIなる人から電話がかかってきた。O社は商品先物取引などを生業としている会社であり、I氏は高校の後輩だと言う。丁度1年前にも電話をし挨拶に来ようとしたのだが、小生が超多忙の最中であり、いずれまたとしていたものだったそうである。そんなことがあったのかな、と当方にはほとんど記憶がない。いずれにしろ、昨年の今頃はサラリーマンになって最もタイトな時期であったし、連日午前様の態であったから、「忙しくて時間が作れない」くらいのことは言ったのかもしれない。

 先方の用件は聞くまでも無い。商品先物取引の斡旋である。「後輩の元気な顔を先輩に見て頂きたくてご挨拶に伺いたい」と言うが、先輩ならば後輩の元気な顔を確かめる義務があるものだろうか。小生、馬券をしこたま買い込むなどの博打はやるが、株などの市場取引には個人的な興味は全く無い。業として関わっているから多少の知識があるが、商品先物取引は極めてリスクが大きいものであり、手を出す気など100年経っても起こらない。なによりも、小生はアセット会社の社員であり、人様の資金を預かり運用していることから、株などの取引を個人的に行うことは厳しく禁じられている。先物取引とて同じことである。

 これまでも何度か大学や高校の後輩だという人物から電話をもらった事があるが、こと金融や商品の先物取引を行っている会社に属していた人は全て偽者であった。いわゆる『成りすまし』である。おおよそ、言葉遣いでピンと来るのだが、4年ほど前のことになる、大学の後輩だというS商事のTなる人物から電話があった。山一證券の社員であったが会社が無くなったため、S商事に雇われ先輩達に挨拶をして回っている、とのことだった。文学部卒だと言うが、妙に言葉の尻を上げたアクセントには知性のかけらも感じられない。「違うな」とは思ったが、話の種にロビーで会ってみたことがある。様々な後輩がいるだろうが、スーツ姿ではあるものの、襟が折れたままで締まり無く、だらしない様子であり、一層「違うな」との感を強くした。「会社が無くなって難儀しているが、元気な顔を見てやって下さい」という。こういう人達が先輩を訪ねる時の常套句なのであろう。金の先物を売り込みに来たのだ。当方がマーケット回りの仕事をしており、商品もリスクも市場の状況も承知していると言っても、何を言われたのかが分っていないのである。ひたすら、値動きのグラフを示しつつ儲かるものだとの説明をするので、いい加減にしてくれと引取りを願った。2〜3日後に息せき切った様子で電話があり、「ユーロの政府が(そんなものあったっけ)金、銀、プラチナの緊急購入を決めました。今が買い時です。直ぐに口座を開設してください」と言う。面識が出来たら数日後に、いかにもたった今手に入れた重要情報であるかのごとく装って客に口座を開かせようとするのも、常套手段のようである。「しつこくすると、然るべき所に連絡するぞ」と言ったところ、危ないと思ったのだろう、上司という人物から詫びの電話が来た。

 こういう人達の商売(と呼んでいいものか)にもノルマがあるのだろうが、同窓だとか、会社が倒産して難儀をしているだとか、人の善意のスキを衝くようなやり方をよくも考えつくものだと思う。遠隔地にいる孫を装い、交通事故を起こしてしまったと言って、年老いた祖父母に金を送らせるなどの犯罪も報道されるが、そもそもこういったシナリオを考え出す輩が存在する訳で、まさに悪魔の智恵であり、有効なパターンはすぐに真似られ、広がるように見える。詐欺だとか詐欺まがいだとかのことが多すぎるように思えてならない。昔、ホッブスが言ったような「万人が万人に対して狼である」世の中になってしまっているのであろうか、といささか大仰なことも思ってしまう。

 今度のO社のI氏も怪しいどころではなかった。念のため、卒業年次や田舎での住まいなどを聞いてみたが、おかしいなと思える点が幾つもあった。もっと突っ込んだ質問をして『成りすまし』を暴いてやろうかとも思ったが、小生それ程人は悪くないし、第一こんなものに関わりあって居るほど暇ではない。「ほんの少しの時間で、名刺だけでも置かせてくれ」と言うので、当方は社則で個人的な市場取引は禁じられていると謝絶したが、同窓会名簿を使ったこういうやり口には、色んな意味で極めて不快な思いがする。

 
 
 某月某日 金曜日 晴れ

 「とても面白いから」と人に勧められ、米原万里さんの「ガセネッタ&シモネッタ」という文庫本を買った。書名から類推されるとおり、ガセネタ、下ネタなど、通訳業の楽屋話、失敗談などが書かれたエッセイ集である。初めて米原さんの本を読んだのだが、確かに面白い。“浮気のすすめ”という一節があった。外国語を一つしか学習しないと、その言語が絶対化されてしまいがちで、いいことはない。職業が通訳だと言うと、「何語の」と訊ねるのは同業者くらいのもの。ほぼ例外なく英語の通訳だと思われるそうである。世界中には15006000にも及ぶ言語があるという中、日本における度を越した英語偏重を皮肉り、英語が絶対ではない、他の言語も学んだらというので、浮気をしなさいと言っているのである。目次を一読して、いささか下卑た興味で真っ先に読んでみたのである。当方の低俗な思惑は見事に外れたが、米原さんが言っていることは良く分る。小生のような読者に鮮やかな肩透かしを喰らわせる手法も含め、優秀でセンスのいい人との印象である。

 この本の中で、ロシアにウラル・フィルハーモニー管弦楽団というオーケストラがあることを初めて知った。ロシアというと、エフゲニ―・ムラビンスキーに率いられたレニングラード・フィル(レニングラードの名は既に無くなっているから、オーケストラの名称も変わっているだろうが)や、モスクワ・フィルくらいしか、浅学な小生は知らなかったのである。しかも、ロシアでも屈指のオーケストラであると、指揮者のゲンナジー・ロジェストヴェンスキーや、ピアニストのスビャトスラフ・リヒテルもエミール・ギレリスも言っているとのことだ。ヴァイオリストのレオニード・コーガンもダヴィッド・オイストラフも絶賛しているし、作曲家のシュニトケも絶大なる信頼を寄せているとも書いてある。知らなかったこととはいえ、世界に知られた錚々たる指揮者、ソリスト、作曲家が口を極めて高い評価を与えているオーケストラである。更に、モスクワに赴任していた日本人が「ウラル・フィルの最初の音を聴いたとたんに震えが止まらなくなった。あれはロシアのベスト3に入るオーケストラだ」と、感動を語ったという実話まで紹介されているのである。クラシック・ファンとしては聞き捨てならない話である。

 100万都市だが、モスクワから1000キロも離れた、ウラル山脈の麓のエカテリンブルグがウラル・フィルの本拠地である。ソ連崩壊までは軍需産業が集中していたため、外国人が立ち入ることを禁じていた地域とのことである。無礼を省みずに言ってしまえば、ロシアの片田舎であろう。どうしてそこに、極めつけのオーケストラが存在するのかとの疑問が湧くが、指揮者のロジェストヴェンスキーは「エカテリンブルグ市の極上の聴衆が育てたのだ」と、見抜いたという。「極上の聴衆とは」の疑問を持った米原さんは、わざわざこの地を訪れ、ウラル・フィルの演奏を聴いたのである。そして、指揮者が棒を振り上げた瞬間に謎が解けたと言うのである。

 
 『演奏が始まる直前の一瞬。この刹那の圧倒的絶対的な静寂。聴衆がことごとく耳となった瞬間の宇宙のような静けさ』と書いている。『突然真空管の中に紛れ込んだような錯覚を覚え身震いした』とも記している。この静寂が極上の聴衆の証だったのである。米原さんの本を読んで、思わず身震いしてしまうほどの静寂がどんなものか、ウラル・フィルとエカテリンブルグの聴衆の創り出す音響空間を味わってみたいものだ、と思ったのである。

 
 某月某日 日曜日 晴れ

 連休を利用して帰省した折、中学時代の恩師を訪ねた。先生は、2年前の会報で「恩師」を特集したときに掲載した「ドラム缶」という拙文のS先生である。辻さんから、「この文章は是非S先生にお渡しすべきですよ」とも言われていた。S先生は、学校長を務められた後リタイアし、悠々自適の生活と風の便りに聞いていたし、機会を作って是非お訪ねしたいとも思ってはいたのだが、果たせないでいたのである。

 なにせ、高校1年生の時にお会いしたのが最後であったと思うから、40年間もお目にかかっていない。散々お世話になり、真剣に鍛えていただいたのにもかかわらず、不義理続きの出来の悪い教え子である。それが何の前触れも無く突然お邪魔しようというのであるから、かなり図々しい振る舞いではある。厳しい教師であり、おっかない野球部監督であった。お元気とは聞いているが、お宅にいらっしゃる保証も無い。おられたとしても、突然電話でもしようものなら「ばか者」と一喝されてしまいそうな気がしていた。それでも、電話帳で番号を調べ、相当緊張してダイヤルを回した。
 「はいSです」と、男性の声が電話の向こうから聞こえてきた。記憶にあるS先生の声ではないようである。ご家族の方が電話口に出られたものと思った。「突然電話を差し上げまして、大変恐縮でございます。私、昭和37年3月に平和中学校(戦後、統合によって設立されたのでこんな名称なのである。校章はいうまでもなく平和のシンボルのハト)を卒業いたしました、神宮寺(実家の地域名)の高嶋でございます。在学中はS先生に大変お世話になった者でございます。本当に長い間ご無沙汰いたしまして申し訳ございません。先生お元気でいらっしゃいますでしょうか」と、普段使いなれない言葉で一息に申し上げた。一呼吸あって「はぁー。うちは間違いなくSなんですがね。学校の先生をしたこともないし、平和中学にも何の縁もないんだけどねー」と、やや困ったような返事がかえってきたのである。なな、なんと、緊張の余り、電話番号を間違えてしまったのである。電話帳の一つ上の欄の番号に架けていた。大恥、汗がどっと噴出した。

 二度目は間違いなく先生のお宅につながった。思いがけず、S先生が電話口に出られたのである。お元気そうなお声であった。突然の電話にも驚かれた様子はなく、「何も予定はないから、何時でも来なさい」と仰っていただいた。先生のお宅は、田圃のなかを走る道を抜け、その昔、開拓農民が切り開いた山をひとつ越し、また一面の水田地帯に出たところの集落にある。車で20分弱の距離である。「ドラム缶」の文章と、先生の好きなお酒を携え、タクシーを呼んだ。空は高く晴れ渡り、うすく浮かんだ雲の下にススキが揺れ、冷涼な秋の風が心地よく吹いていた。まさしく、光太郎の詩にある“秋は喨々と空に鳴り・・・心吸われて童子となる”の風景・・。山村の、澄んだ懐かしい秋の空気を肌に感じながら向かったのである。
 先生のお宅は、地元の名家である。初めて伺ったのであるが、広い敷地に大きな門構えの広壮な邸宅であった。お子様方も独立されたため、今は奥様とお二人だけの生活である。玄関に出て来られた先生は開口一番、「頭は父さんに似てきたが、太ったね」と言われた。年齢の所為もあり白髪頭になるのは已む無いとしても、自堕落な生活の故、小生、野球をやっていた頃とは較べようの無い惨めな体型となってしまっているのである。座敷にあげていただき、永年のご無沙汰のお詫びを申し上げた後、膝を痛めている事情を話し、胡座を許していただいた。中学時代のこと、野球のこと、同窓生のことなど話は尽きなかったが、先生と奥様は正座で応対されたのである。恩師に正座をさせ、自分は胡座でいるとは、なんとも図々しく、不埒な教え子ではある。

 「ドラム缶」のコピーをお渡しし、研究会のことや会報に載せたものであることを説明申し上げた。パラパラと目を通され、「人糞製造機なんて君たちのことを言ったな」などと話され、「このドラム缶論は嬉しいね」と仰っていただいたのである。既に80歳を超えておられるかと思っていたが、76歳とのことである。ご指導いただいていた頃には、先生は若干35歳であったのである。先生には到底35歳とは思えない落ち着きと迫力、人間的な信頼感があった。35歳時の自分の未熟さを思い起こすにつけ(未だに未成熟なのだが)、深く頭を垂れざるを得ない気持ちになる。引退後は、郷土史の研究をされ、町史の編纂に携わったり、ボランティアで小学生に郷土の遺跡のレクチャーをするなどの活動をされている、とのことだった。とてもお元気そうにお見受けしたが、腎臓は一方を失っており、胆石の手術もし、数年前から心臓にはペースメーカーが入っているとのことであった。今年の春には二度入院し、緑内障の手術もされたと話された。好きだったお酒はすでに止められていた。「酒ばかり飲んでいて、いいことはなかったよ」と笑って話されていたが、生涯をかけてきちんと自分の務めを果たしてきた人の、手本にすべき姿がそこにはあったのである。

 ほんの少しの時間だけ、と思ってお邪魔したのだったが、様々な話が楽しく、随分長居をしてしまった。帰りのタクシーを呼ぶため電話をお借りしようとしたところ、先生が「自分の運転でよければ家まで送っていくよ」と仰るのである。なんということであろうか。散々ご指導いただいたにも拘らず、何の恩返しも出来ず、40年も音信不通の挙句突然勝手に訪ねて行き、しかもペースメーカーが入っている76歳の恩師に、現役の自分が家まで送ってもらうとは・・。本来ならば、全て逆でなければならないのではないか。しかし、恥ずかしながら、先生のお言葉に甘えてしまった。40年前の不躾な子供と何等変わるところはないのである。出来の悪い教え子の所以である。ますます深く、先生の前に頭を垂れざるを得ないのである。積年の課題であった恩師への訪問を果たすことが出来た日は、厳しくも温かい先生の指導を受けたことの幸せを、改めて噛みしめる一日となった。
     
    
 某月某日 日曜日 晴れ

 秋の競馬シーズンが最盛期に入ってきた。毎週のようにGIレースが組まれており、楽しみは尽きないのであるが、今年は例年にもまして馬券の成績が上がらない。戦に例えれば、敵陣深く攻め込むのだが、残念ながら本丸を落とすことが出来ない、そんな感じである。一連のGIの緒戦のスプリンターズ・ステークスは、勝ったデュランダルを狙ったものの2着に断然人気のビリーヴが入ったため儲け損なった。先週の秋華賞では、スティルインラブが抜け出したところに、大穴と狙ったマイネサマンサがしぶとく食い下がった。あわや大波乱というところまで行ったのだったが、ゴール寸前で1番人気のアドマイヤグルーヴに僅かに差し切られ、 230倍の小生の馬券は瞬時に紙くずとなってしまったのである。

 今日は、3歳クラシック・レース最後の菊花賞があった。皐月賞、ダービーの2冠を制したネオユニヴァースと、ダービーは2着だったが菊花賞トライアルの神戸新聞杯でネオユニヴァースに圧勝したゼンノロブロイが、断然の人気になっている。3番人気のサクラプレジデントは、調教師が強気の発言をしているものの、3000米の距離(菊花賞は人間に例えればマラソン・レースである)はいかにも長い。それに次ぐ人気は、ザッツザプレンティとリンカーンである。ザッツザプレンティは、皐月賞、ダービーとも大いなる期待とともに狙った馬である。ダービー3着と力のあるところは見せてくれたが、いかんせん、首が高い走法なのである。長距離を走るにはエネルギー・ロスが大きく、この馬の能力を十分発揮させるには、菊花賞ではなくマイル・チャンピオンシップに使うべきだ、とダービー終了時点で看破した積りでいた。リンカーンは長距離に向く血筋で期待出来るのだが、ノドに疾患があり手術をしている。無酸素性のエネルギーと有酸素性のエネルギーをバランス良く使って馬は走るのだが、マラソン・レースでは有酸素性のエネルギーの比重が高いだろう、と考えた。ノドに懸念ということは、有酸素性エネルギーの生成に不安を抱えているということだ。従って、今回のリンカーンは狙うべきではないと、非の打ち所のない医学的、科学的アプローチで結論を出したのである。

 この他の馬達にも余り魅力的なものはいない。前後左右、上下斜め、いかように考えても、今年の菊花賞はネオユニヴァースとゼンノロブロイでしょうがないように思えた。穴党が穴馬を見つけられずにいる。しからば、この2頭の馬連1点勝負といくかと考えた。
20倍以下のオッズの馬券は買わないのが小生のポリシーである。原則を外れるが、4倍前後のオッズなら、1日の馬券代全部をこれに充てることとした。ところが、前売りオッズは僅か2.8倍に過ぎなかったのである。これでは、幾らなんでもリスクに対してのリターンが低すぎる。37年競馬をやってきて初めて、菊花賞の馬券を買わないことにするかとの考えが湧いてきた。とはいえ、菊花賞は数あるGIの中でも最も好きなレースであり、大穴が的中した経験も何度かある。年に1回の菊花賞をパスしていいものか。「買うべきか買わざるべきか。To be or not to be」。心は千々に乱れ、呼吸はハァハァと荒くなり、どうしようかと思い悩み続けた。別に馬券を買わないからといって人格を疑われるようなことは無いだろうから、千々に心乱れなくてもいいのだが、乱れちゃうのである。

 結局、ネオユニヴァースとゼンノロブロイが絶対であるのなら、3着に人気薄が飛び込んで来ることを期待することにした。三連複である。大穴の3着候補に、コスモインペリアルとチャクラを選び出した。1頭の馬さえ当て切れないのに、3着までを当てようというのだから、三連複は不遜な馬券と言ってよいであろう。時々は買って見るけれども、精々100円か200円程度のものである。今回は、この2点に数千円ずつ投じたのである。オッズは200倍超と40数倍である。

 レースは、有力馬がそれぞれ思惑通りの位置取りで淡々と進んだ。2周目の3コーナーあたりから、予想通りザッツザプレンティが先に仕掛け、ペースが速くなった。ネオユニヴァースはザッツザプレンティを射程距離の中に入れているが、ゼンノロブロイは行き脚がつかなかったのか、あっという間に取り残されてしまった。最後の直線に入って、ネオユニヴァースがザッツザプレンティを捉まえにかかった。ネオユニヴァースに乗るためにわざわざ来日したイタリアのミルコ・デムーロ騎手が必死にムチを振るうが、差はなかなか詰まらない。むしろ、ジリジリと突き放され加減である。クライシス! ネオユニヴァースの3冠に赤信号が点った時に、大外から有酸素性エネルギーに不安があった筈のリンカーンが飛んで来た。ゴール前でネオユニヴァースを交わし、2着になってしまったのである。

 仕掛けどころを過たず、ザッツザプレンティ自身のレースに持ち込んだ安藤勝巳騎手の好騎乗が光ったと言えよう。ネオユニヴァースはけれん味のない王者のレースをしようとしたが、武運つたなく敗退。これも勝負の常と言えようか。一旦置かれたゼンノロブロイは、最後は内を衝いて鋭く伸びたが、時遅く4着に止まった。リンカーンも持てる力を十分に発揮し、長距離向きの血統がダテではないことを示した。手術をしたノドには何の心配も無かったのだ。


 生兵法は怪我のもとと、大いに反省した。結局、小生の予想が当たったのは、サクラプレジデントはどこにも来ないだろうということだけ。淋しい結末の菊花賞ではあった。



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