辻 淳二
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99年 4月9日(金)
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今日は、新潟での講師活動(新潟国際情報大学)の初日。今年から、これまで隔週だった講義を毎週に変えたことで、現地での時間の使い方が変わった。先ず、朝の時間が2限からになって、少しゆとりができた。昨年まで乗っていた越後線潟発7時59分の次の8時57分発で十分間に合うが、一つ手前の内野行きに「同駅の駅前にある桜の写真を撮ろう」と乗り込む。だがここは北国、残念なが桜はまだ蕾のままだった。仕方なく、近くを散歩しながら、庭先や畑の白木蓮や水仙やスミレを撮って半時を過ごした。ちょうど、青い空、明るい陽光の下で、まずまずの写真が撮れた。 昼休み、大学の食堂から、全山に雪をかぶった山並みが淡い遠景として見えた。3限の講義が終わって、学校内外の今年お世話になる方々に「また、来始めた」旨の連絡をし、夕方の電車で新潟駅に戻った。帰途もまた内野に下車し、酒屋で「地元の銘酒」を注文するといった所用も果たすことができた。ここまでは、「すべてハッピー」と言って良いほど、順調に進行した。 ところが、新潟駅を新幹線が発車した時から大ドタバタが始まった。5時35分発に乗る直前、階段下の公衆電話で電話をかけ、「まもなく発車します」のアナウンスに急かされるように車両に乗り、ヤレヤレと席についた。そしてフト、胸のポケットに手をやった瞬間から、事態は暗転したのだ。ある筈の手帳の手応 えがなかった!!。すぐに、さっと乗降口に走ったが、目の前でドアが閉まり、車両は動き出した。そして、社内のアナウンスは「すぐ隣の燕三条は止まらず、次は長岡」と知らせていた。「参ったな」と思ったが後の祭り、「長岡で降りて新潟に戻るまで一時間余り。手帳の運命やいかに」ということになってしまった。長岡で約30分待つ間、見つかりそうな予感とダメかなという弱気が、心の中を行き来していた。新潟に着いてすぐ、電話コーナーを見るが何もない。次に、2ケ所ある改札口の両方に問い掛けたが、どちらも「届いていない」との返事。ちょっとあきらめムードが強まったが、もう一粘りと、応対してくれた駅員に「他で届いているとしたら?」と尋ねた。そして、これが「ツキの流れ」を引き戻すキッカケとなった。 彼は、「駅の外に忘れ物センターがある。7時にしまるから、走っていきなさい」と教えてくれた。時計を見ると「あと5分」だった。万代口の改札口を出て、場所を聞きながら約100メートルを走る。そして、いま閉めようという所へ飛び込んだ。ところが、「新幹線からは何も届いていない」とのつれない返事。ついに万事休すかと思いながら、また「他にあるとしたら?」と聞いた。すると、「もっと手前側に、グリーンカウンターという窓口がある」という。そして、親切にも内線電話で問い合わせてくれた。すぐ、応対の会話で「間違いなく私の手帳」と思しきものが先方の元にあることが伝わって来た。時に7時を5分あまり過ぎていたが、そちらの窓口は開いていて、無事に手帳は私の手に戻った。届けてくれたのは、駅の関係者だったと聞かされた。結果的に、見るからに人の良いJR新潟駅の人たちの自然体のチームワークが、「滑り込みセーフ」に導いてくれたのだ。 またヤレヤレの気分に立ち戻って時刻表を見上げると、7時17分発の東京行きが次の便だった。そしてそれは、大宮までノンストップだった。速いのを喜ぶと同時に、「さっき乗ったのがこれでなくて良かった」とホッと胸をなで下ろした。 それにしても、ホームのアナウンスが耳に入った途端に電話機の前の手帳が見えなくなってしまうのは困ったものだ。我ながらあきれたが、この手のことは、あまり人には言えないが、実は枚挙に暇が無くなっている。2月には、スーパーの店内で手抱えのバッグをなくした。3月後半には、お客様と約束した日の手帳への書き込みを間違えて、冷汗をかいた。いずれも、フト他のことに気が行ってしまった時にウッカリミスをしている。還暦を迎えての年相応の「老人ボケ」なのか、ちょっと悩ましい現象ではある。ただ救いは、今日のケースのように、今の所は「すべて、結果オーライ」になっていることである。どういう訳か、ツキだけは味方についてくれている。これを、赤瀬川原平氏の言う「老人力がついた」と捉えるのはあまりにも我田引水だろうか。 大宮駅で降りて埼京線で新宿に出ようとしたら、ちょうど快速が来て、新潟を出て二時間ちょっとで新宿に着いていた。チョンボしたことで2時間ほどの無駄時間を費やしたが、それを上回る「ちょっとした感動」が得られ、「このツキを逃したくない」との思いを新たにした、どこか面映ゆい一日だった。 |