99年8月7日

一年ぶりのテニス三昧

   辻 淳二

 

   

 

 

  今日から9日まで夏休み恒例の河口湖でのテニス合宿。多摩市在住のSさん夫妻を求心力とする仲間が集まり、首都圏の暑さを忘れてテニス三昧の日を送る十数年続く行事。私もいつか古顔の一人になっているが、年と共にテニスはほどほどで、 「年一回の出会いを楽しむ参加」 の色合いを強めている。

 それでも、少し前になると1、2回都内の暑いコートで身体を慣らすのが通例なのに、今年はそれも端折ってしまった。従って、「久しぶりに、気持ちのいい汗をかければいい」という今までで一番のノンビリムード、その気分が先ずスタートから出てしまった。いつもは、9時半頃に家を出て、往路の中央高速道がそこそこ渋滞しても先着組の昼食が終わる13時前には定宿の民宿に着くのを習慣としていた。ところが、この日は娘が孫と一緒に泊りに来ていて午後には帰る日、朝は食事の用意やら資源ゴミの回収日やらで皆がバタバタしていて、私に生後3ケ月の孫のケアのお鉢が回ってきた。朝お乳を貰った後の孫はすこぶる機嫌良く、手足を動かし、何か聞き取れない言葉を喋り、「天使」のように屈託がない。還暦後、仕事を一部減らしたことで時間がややゆったりした変化はこういう時に象徴的に表われ、一度関わり始めるとじっくり付き合ってしまう。かくして、小一時間のロスタイムを来たし、10時半過ぎに出発となった。「ボチボチ渋滞も解消の方向」との期待もむなしく、談合坂のSAで小休止した所で13時少し前、そこから民宿にTELを入れて午後一番からのテニスをあきらめた。「まあ、今日は夕方の2時間くらい、日差しが落ち着いてからやれれば」と目標を切り替えて、2時半ころにノンビリと到着、着替えてコートに向かう。所が、やや富士山に近い位置にあるコートに近づくにつれ道が雨にぬれ、雨足が強まる。結局、テニスをあきらめた合宿仲間と前後して民宿に戻ることになってしまった。

 その日は夕食後、久しぶりの再開の交流に花が咲いた。全体で20数人、初めての人、久しぶりの人も交じって、食後の近況紹介、少し休憩した後の飲み会でのあちこちでの会話や楽譜を借りての昔の歌の合唱が一段落した所で、私の居たグループだけが「湖岸にカラオケに行こう」ということになった。こういう乗りはこの合宿には珍しいことで、たまたま私とHさんが直前に還暦を迎えていて、その話をしている内に「お祝いに繰り出そう」ということになったのだ。かくして、我々2人、数年後に還暦になるYさん、それに若い仲間2人の計5人で湖岸をドライブしながら見つけたカラオケルームで、ちょうど一時間切れ目なくアップテンポでブレークした。結局、Yさんが我々を祝ってくれて、Yさんの時にはこちらがお祝いすることになったが、毎年還暦者が出そうなメンバー構成の中、こういう楽しみ方のバリエーションを創り出した「貢献は大」だったろう。

 明けて8日、朝方は雨が降ったが10時半頃から夕方まで天候は安定して、今年初めてテニス漬けの一日となった。出かける時に、昨夜意気投合したYさんが「今日は、一緒にやりましょう」と声を掛けてくれて、「今日はYさんとの間でいいことがありそう」との予感があった。しかし、午前中は見方にも敵にもならず、「午後の最初に、他の人に先だってやろう」という約束を「コーヒーをどうぞ」という女性方の好意もだし難く私が出遅れてホゴにしてしまったため、共にやる流れが掴めないまま夕方になってしまった。所が終わる直前になって、「萩の間決戦をやろう」とYさんが声を掛け、同じ部屋で寝ている我々が戦う試合が実現することになった。トスをして組み合わせを決めたら、Yさんと私は敵方になり、私は相性が良い(だから、この試合も若干有利と見えた)Aさんと組むことになった。所が、そこで私が我ながら意外な行動に出た。「さっきAさんと組んで勝った後だから、ここはYさんと組ませて」と言ったのだ。最近「自分の直観を信じて動く」生き方を大事にしようとしていて、けさ頭にインプットした自分の勘へのこだわりがそうさせたようだった。そして結果は、相手方が疲労の極にあったこともあり、私たちの快勝だった。勝因は、Yさんが、巨体ながら動きが良く、勝負所で確実にポイントを稼いでくれたからだが。そしてこれが、久しぶりの割に身体は動いたが年々上達する仲間の中でプレーでは泣かず飛ばずの私に、「今日を彩るクライマックス」をもたらしてくれた。

 翌9日、この日も天候は程よく、前日一日やって「今回はもう満足」と思っていた所へ、もう一日テニスをすることになった。この日は、たまたまパートナーに恵まれて戦績も良く、夕方まで気分良くプレーして、「もう終えてもいいな」と思った所で、「誰か、まだやる気のある人」という声がした。見ると、元気のいい格上の3人が相手だったが、不埒にも「最後を飾ろう」と欲が出た。結果は、実力差通りの負けだったが、そこそこは戦えた。そこで、どちらともなく「もう一丁」ということになった。しかし、これは更に差がついての負けで、突き放された。かくして、「力ほどほど以上のことは、そうはできない」という当たり前のことを学んでの幕切れだった。

 夕食をゆっくり済ませ、「また来年に繋がった3日間」に満足して、渋滞が逃げていく帰路を暑い東京に戻った。

「力むなよ 程々がよし 蝉時雨」

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