篠澤先輩の生前葬                       山田 俊治

  私が最初に就職した東洋高圧工業(以下東圧と略称、現三井化学)時代の先輩である篠澤藤右衛門(本名昭二)氏から頂いた昨年の賀状に、「来年の4月9日(日)に小生の生前葬を行うので予定を空けておいて欲しい」との添え書きがあり、今年のその日は万難を排して九州の柳川まで出かけることにした。何しろ、生前葬など滅多に経験できることではないし、柳川もかねて訪れてみたいと思っていた場所だからである。

 篠澤さんは、旧制大学から東圧に入社、昭和34年に本社に新設された計数室に勤務して、当時の最先端機種であるIBM650を使った技術計算に取り組んだ方である。私が昭和37年に東圧に入社して、茂原工場に配属になり、翌年春IBM7040導入を機に行われたFORTRANのオープンプログラマー教育で篠澤さんにお世話になったのが、私達の最初の出会いであった。同氏の専門は化学工学だったが、その頃東工大の数学科に国内留学していて、昭和39年にそこを卒業された努力家である。今年で73歳を迎える。

  当時の篠澤さんは、昼休みには毎日のように日本橋室町にあった本社から丸善まで散歩に出かけ、洋書コーナーで新刊本を漁るのが趣味の一つのようだった。茂原の田舎から本社に出張した折りに、同氏の机の引き出しを覗くと、当時の金で6,000-7,000円(私の初任給は23,000円)もする洋書がびっしり詰まっていて驚かされたのを覚えている。その中の一冊に、L.S. Pontryaginらによる話題の名著"The Mathematical Theory of Optimal Processes"があった。実は私は、前年に卒業した際、新宿の海賊本屋に借金を払いに行った折りに、そこのオヤジさんからこんな本もあるよと云われて、偶々このPontryaginの本の海賊版を買っていた(確か1,000円以下だったと記憶している)。当時、私の方は最大原理が何たるかも知らず、この本は独身寮の本棚で埃をかぶっていたが、篠澤さんは既にその本の大半を読み終えて、バングバング制御の考え方にいたく感動したと聞かされて大変なショックを受けた。これがきっかけになって、私の最大原理の勉強が始まった。やがて1年後、世の中は最適化制御全盛の時代を迎え、最大原理やダイナミックプログラミングの話題で持ちきりになった。

  私が留学で留守中の昭和41年、篠澤さんはご自分の意志で東圧を退職してNECに移り、そこで一貫してソフトウエアの技術開発に取り組まれた。従って、この会の会長である新田さんや事務局長の辻さんなど、篠澤さんをご存じの方も多いことと思う。(そのため本稿では敢えて実名を入れた)

  さて、生前葬は9日の日曜日10時半に始まった。場所は柳川市にある光台山瑞松院の本堂。祭壇に向かって先頭に住職、直ぐ後ろに篠澤さんが正座し、その背後に篠澤さん縁のわれわれおよそ40人が座った。司会は篠澤さんのNEC時代の仲間である金森さんだ。生前葬とは、正式には授戒式と呼ばれ、戒名の授与式であった。住職の読経に続いて篠澤さんに対する戒名の授与が行われ、ご本人に袈裟がかけられた。時間にして30分もかからない。呆気ないといえばそれまでだが、間もなく80歳を迎えるという住職も、これまでの生涯を通じて授戒式は初めての経験というから、私もこのような場面に立ち会うことはもう二度とないに違いない。

  戒名の授与そのものもさることながら、圧巻はその後に続いたイベントだった。先ずは、東圧時代の篠澤さんの親友で同じく柳川出身でもある江崎さん(元三井東圧化学常務)の来賓挨拶が秀逸だった。次の内容を漢詩の書にしたためて掛け軸に仕上げ、それを吟詠して披露したのだ。(制作に三ヶ月をかけた力作だそうな)

  仁兄の資質は双葉より芳し

  東圧 日本の電脳を創む (東圧とNECでのコンピュータへの取り組みを指す)

  奇想 生前 葬送の宴

 百歳後また 喪に服さんと欲す

応用化学を専攻した技術屋でありながら、これまでに何冊ものエッセー集を出版するなど異才の持ち主であることは知っていたが、改めて恐れ入った。

  次いで、NECの仲間による記念品の贈呈があったが、代表して挨拶をされた松川さんの話がまた感動的だった。今年71歳になるというが、元気そのもの、今でも米国と日本に居を構えて行き来をしているという。車やカメラに目がないところは篠澤さんと同じ、二人はさぞウマがあったのだろう。だが、篠澤さんに自転車を教えたのが松川さんだった。今回もBMWの折り畳み式マウンテンバイクを担いで空路福岡入りした。Jパンに赤シャツ、それにサイクリング用の帽子をかぶって柳川から30-40kmは平気で走りまわるというから驚く。実は私も、いずれは洒落た折り畳み式自転車を車に積んで、あちこちでサイクリングを楽しみたいと密かに考えていた。それを実践している人と出会ったのも何かの縁である。後でホテルまで同行してその自転車を見せて貰った。流石にちょっとした車並みの50-60万円するシロモノである。(さて、私の方はどうしたものか?)

  後に精進料理を前にした昼の宴席で、もう一人元気な71歳の地元の名士と出会ってこれまた刺激を受けた。私が、今回は仕事の都合で午後には帰京せねばならず、柳川を楽しむ時間がないと告げると、次回は東京から車で来なさいという。こちらが驚くのを見て、自分はつい先日柳川から山形まで20数時間かけて車で行って楽しかったとくる。70歳を過ぎたら運転は無理と決め込んでいた私は、これを聞いて思い直すことにした。

  最後の篠澤さんご本人の挨拶も振るっていた。曰く、小生は、今後無六齋と称して、許される限り余録の生涯を面白可笑しく過ごす積もりであります。

  無六齋由来

  親はなく 妻なく子なく 家もなく

  財またなくて 思うこともなし

  無六齋 篠澤藤右衛門

  何とも風流で優雅、羨ましい気はするが、やはり私には真似ができない。ただ、時間ができたら、次は自転車を積んだ車で柳川を訪問したいと思っている次第である。

 感動の体験 目次へ