昔日の高校野球の思い出 辻 淳二

 

  予備校さぼって神宮通い

  玉置さんから「高校野球にまつわるコンテンツ」(9月号「投稿広場」欄に登載)を送って頂いたのに触発されて、44年前の思い出が蘇った。私が高校3年生だった1956年夏の高校野球大会・東京都予選のことである。私が在籍した私立成蹊高校は、ラグビーでは全国大会に出た名門校だが、野球部が甲子園に出たことは今に至るまでない。ところが、その年の都予選ではうまく勝ち運に乗ってアレヨアレヨと言う間に勝ち上がり、決勝戦まで進んだのだった。

  当時は、学校が今ほどなかったから東京代表は一校で、我が校が入っていたブロックはまだ緒戦のうちから神宮球場で試合をしていた。時期は、学校が夏休みに入ったのとほぼ同時で、私たちは受験の準備のために都心にある予備校の夏季コースに通い始めていた。

 その年の我が校野球部は久々の実力チームで夏の都予選でも16のシード校には入っていて、しかも同級生のM君がエースで4番だった。そこで、予備校に通う名分で毎日家を出るが、試合のある日は途中の千駄ヶ谷駅で降りて神宮へ通うのがパターンとなっていた。見に行くと、同窓の3年生が中心で、総勢でも15人くらいの少数精鋭チームで、スター性があるのはM君と第2投手も務める内野手で2年生のF君くらいで、シードキープのベスト16までが力相応という感じだった。それが、応援に行く度に勝つので何とも気分がいい。だんだん試合間隔が詰まって行くので、受験勉強そこのけで神宮通いに熱中した。

  ハイライトは準決勝での勝利

 そして、M君とF君が良く投げて試合を作り、数少ないチャンスをうまく活かして、準々決勝までスンナリ勝ち抜いてしまった。そして準決勝という望外の所まで来ると、我が校側の応援席はかなりの人が集まるようになり、異様に興奮が高まってきた。準決勝の相手は日大三高で、後にプロ野球の阪神で活躍した並木がエースでいて名声/実力とも明らかに相手が格上だった。どう見ても「今日が最後」の覚悟での観戦だったが、この試合は我が校にとって最高のできで、堂々と5分に渡り合った。そして、終盤に確かF君が奇襲のホームスチールに成功して、見事に勝ったのだった。その勝利の瞬間の興奮は、今もまだ脳裏に残っている。

  大声援のなか力尽きる

  次の決勝戦は、良く晴れた真夏の(たぶん)日曜日だった。いつものように神宮球場に行くと、我が校側のスタンドは卒業生達も大挙して応援に来ていて超々満員、物凄い熱狂ぶりだった。相手は早実で、何と後にプロで活躍する醍醐、徳武、王(現・ダイエー監督、当時は一年生で一塁手)が3番から5番までに名前を連ねる強豪チームだった。相手側のスタンドを見ると、決勝ぐらいは慣れっこなのか満員までは行かず、逆に応援団は整然たるもので、我が方の“にわか応援団”の初々しさと鮮やかな対照を見せていた。

  試合は、「昨日の好試合再び」の願いはあっけなく破られ、序盤3回までに10点くらい取られ、13対1で大敗した。この試合で7戦目だったと思うが、もう選手たちは力を出し尽くしていて「刀折れ矢尽きての(従って、もはや悔いのない)敗戦」というイメージだった。試合が進むにつれ「熱狂の雰囲気」は萎んでいったが、明るい青空の下で試合前「どの顔もワクワクしていたシーン」は今も忘れることができない。

  その後、母校が夏の予選でこのように卒業生を動かす所まで勝ち上がったことは一度もない。この夏もテレビで、甲子園での若者の汗と涙の結晶としての感動的なドラマを見たが、あの時のワクワク感あって生々しく共感できるようであり、「あの一夏、いい夢を見せて貰った」のは幸せだったなとあらためて感じている。    [2000.8.26]

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