20年ぶりのウイーン・フィル      高嶋 宏尚


 10月25日サントリー・ホールでウィーン・フィルを聴いた。80年にウィーン国立歌劇場が来日した際に、今は亡きカール・ベームの指揮でベートーヴェンの交響曲第2番と第7番を聴いて以来のことだから、21年振りになる訳だ。

 このコンサートは、ある生命保険会社の招待客のためだけに催されたもので、チケットが販売される演奏会とは事情が異なるのだが、友人から招待券を譲り受ける幸運に恵まれたのである。また、この演奏会が、ウィーン・フィル今回の来日最後の日程であり、10日間かけて行なってきたベートーヴェン・チクルスが終了し、最後にこのコンサートが組まれていたものだ。

 ホールには通常の演奏会とは少し異なった和やかな雰囲気が漂い、随所で招待客どうしが談笑し、ロビーにはワインやコーヒー、軽食やクッキーなどのサービスがなされている。優雅な風情であり、はからずも4年前のロイヤル・フェスティヴァル・ホールでの女王陛下の金婚式を祝うガラ・コンサートに行った時のことを思い出した。この時も、お祝いのコンサートということで、ロビーではシャンパンが振舞われていたのだった。もっとも、アルコールがダメな小生は、振舞い酒に参加することは出来なかったけれども。(閑話休題)

 ワインを楽しみ、世界最高のオーケストラの演奏を聴くなど、贅沢の極みではあるが、本当に無礼を承知で敢えて言えば、今回の最大の目標であったベートーヴェン・チクルスは既に終えている。来日10日間の演奏会続きのためオーケストラのメンバーの疲れが蓄積していて、十分な体調での演奏がなされないことがむしろ心配なことであった。

 この日のプログラムは、ベートーヴェンの交響曲第8番と第9番。指揮は、最近ベルリン・フィルの首席指揮者・芸術監督への就任が決まったばかりのイギリス人、サイモン・ラトル46歳である。

 サイモン・ラトルという人については殆んど知らなかった。ウィーン・フィルというのは、そういう名称の演奏団体が存在する訳ではなく、ウィーン国立歌劇場のマイスター達がオーケストラ演奏を行う時の名称であり、マイスター達の自主的運営組織である。従って、指揮者もマイスター達によって選ばれるのだが、本当に世界の超一流の技術とプライドを持ち合わせている演奏家達の厳しい眼鏡に適った人だけが指揮者として声を掛けられるということになる訳だ。旧聞に属するが、あの「帝王」と呼ばれたヘルベルト・フォン・カラヤンでさえ(否、むしろ、カラヤンであったが故にかもしれぬが)、マイスター達との仲違い(音楽観が違っていたのだと思うが)により、ウィーン・フィルの指揮を長期間に亘り外されていたのは有名な話である。日本を代表する指揮者である岩城宏之さんもエッセイに書いているが、ウィーン・フィルから声を掛けられた時にはまさしく夢心地。これまでのあらゆる恩義にも背を向け、全ての予定をキャンセルしてでもウィーン・フィルの指揮はしたくなるものらしい。そういう意味合いをこのオーケストラの指揮者は持つが故に、サイモン・ラトルについても若いが実力のある指揮者だろうな位の感度しか持ち合わせていなかった。

 自分の席は舞台の左サイドの2階で、丁度ティンパニーの真横である。オーケストラを横から見る位置であり、普段なかなか座ることの出来ない、サントリー・ホールならではの座席である。指揮者の顔が正面から見られることになり、これはまた興味深いものがある。

 やがて開演時間になり、名人達が続々舞台に登場する。これが世界超一流の演奏家達だと思うと胸が高鳴る。コンサート・マスターはライナー・キュッヘル。型どおりの音合わせの後、指揮者が登場した。サイモン・ラトルは痩躯長身、カールした銀髪で、いかにも精悍そうな顔つきをしている。一見怖そうな感じもあり、スエーデンのプロ・ゴルファー、イアン・パーネビクそっくりの顔をしている。(年齢からいうと、パーネビクの方が似ていると言うべきか)

 一曲目の交響曲第8番が始まった。ラトルの指揮は文字どおりダイナミックそのもの。時には背中を丸めちじこまり、指先でつまむような仕草で指示を与え、次の瞬間には大きく伸び上がりエネルギッシュに両腕を振り挙げる。タクトを頻繁に持ち替え、間断なく各パートに指示を出し、目を瞑り口を結んだかと思うと、カッと目を見開き大きな口を開けて「ガーッ」と唸り声を上げつつ激しくオーケストラに音を出せと迫る。まるでマルセル・マルソーのパントマイムのように表現力豊かであり、この指揮者は顔の表情だけでオーケストラを動かすことが出来るのではと思われる程のものである。

 特に、フォルテになると「もっと大きな音を出せ。もっともっと強く、激しく音を出せ」と指示を与えている。指揮法には全く疎い身でもそのことは判る。「こりゃ疲れるだろうな」との印象を持った。勿論、指揮者自身のことではない。ラトルの指揮に従って演奏するオーケストラのメンバーがヘトヘトになってしまいそうに見えたからだ。何者かに噛み付かんばかりの、あるいは、何かに戦いを挑んでいるような、ラトルの指揮振りである。

 2曲目の「第九」になるとこの傾向は一層著しく感じられた。ピアニッシモであってさえもある種の強さを求めているかのようであり、これまでに聴きなじんできた「第九」とは異なる曲の演奏を聴いているような感さえあった。

 サイモン・ラトルは、160年の歴史と伝統を持ち、華麗で艶やかな弦の音とくすんだ柔らかい管楽器の音色が渾然と溶け合い、絶妙のハーモニーを醸し出すことの出来るはずのオーケストラに対し、「もっと荒々しく、激しくベートーヴェンを演奏しろ」と迫っている。オーケストラもそれに応えて、目一杯激しい演奏を繰り広げている。フォルテシモではついにバランスを欠いた不快な音が響いたりもした。これが毎年元旦、美しい花に彩られたムジーク・フェライン・ザールでのニューイヤー・コンサートで、ウィンナ・ワルツを流麗・軽ろやかに演奏するあのウィーン・フィルと同じオーケストラなのであろうか。

 長い歴史と伝統の重みと洗練され磨きぬかれた技量を誇り、自分達の演奏こそが本当の音楽なのだというような自負と余裕すら感じさせるのがウィーン・フィルの姿だったのではなかったか。しかし、今目の前で行われていることには、あたかも宮沢賢治の「セロ弾きのゴーシュ」が額に汗し、ひた向きに指揮者に従いていっている、そんな風情が感じられたのだ。指揮者よりもはるかに年長のマイスター達も随分いる中で、この光景が俄かには信じられないような心持ちがしたのである。

 必ずや指揮者と団員との間に厳しい葛藤があったに違いないと思わざるを得なかった。従来のウィーンのベートーヴェン解釈とは明らかに違うように思える。激してバランスを失ったり、不快な音の響きを作ってしまう荒々しさやひたすら強靭さを求めるような音楽は、伝統的なウィーン・フィルの対極に存在していたのではなかったか。

 しかし一方で、そうせざるを得ない事情がオーケストラにもあったのではないかとも思う。ウィーン・フィルとサイモン・ラトルの共演は8年前から始まっていたようだ。ラトルが創る音楽を知らずしてマイスター達が選ぶ筈はないであろう。とすれば、目の前で繰り広げられているような演奏をあえて選択しなければならない必然性がウィーン・フィルの側にあったのだと考えるのが自然である。

 成熟した世界最高峰のオーケストラが、更なる高みを目指そうとしているのであろうか、あるいは新しい時代の音楽を苦しみと共に模索しているのだろうか。ウィーン・フィルがサイモン・ラトルを選んだことが成功であったかどうかは、俄かには判断し難いことのように思える。今夜の演奏会の成否、好き嫌い、賛否はともかく、自分にとって極めて衝撃的な演奏であったことは事実だ。

 「ウィーン・フィルは変わろうとしている。少なくとも、何かに挑戦しようとしている」・・そんな印象を強く受けた演奏会であった。
                          (2001.10.30.)

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