Val d'Isere(バルディゼール)スキー紀行
椿
正明
Val d'Isere1850
ジュネーブにはほぼ予定通り着いた。現地時間20時、日本時間では翌3日(日)の朝4時である。成田はほぼ時間どおり12時40分発、スイス航空SRの窮屈なエコノミー。足元がやけに冷える。偏西風が強くチューリッヒには40分遅れ、同じSRのトランジットでジュネーブには小1時間であまり遅れず着いて、直ぐバッゲージクレームに直行。バッゲージはどこから出るのだ。どこに書いてあるのだ。A3らしい。待ってるとフェロースキーの高山嬢が、見覚えのある黄緑のウエアで現れる。ちょっと安心。しかし、トランクは偕子のしか出てこない。
えっ、チューリッヒからの便はもうないって?スキーだけでなく荷物が来ないとスキー靴もウエアもない。明日はホテルで待ってるのか。晴れたら悔しいよなあ。と思っていたら、もう1便22時着があるという。遅くなっても待とう。荷物が来ますように。ほぼ予定通り最終便は着いて、22時20分ころ荷物が出てくる。あったあった。スキーも来た。ああスキーができる。やっとマイクロバスに乗って、バルディゼールに向かう。今夜は雪で時間かかるかもと言われていたが、朝2時過ぎやっとホテルTsanteleina(サンテレーナ)に着いた。日本の家を出てから27時間以上経っていた。念じてねばって、ようやく初日が終わった。
3月3日(日)快晴のちくもり
東京からの8人、大阪からの2人、フェロートラベルのエスコート高山嬢、フランスのスキーガイドFebian(フェビアン)−フランスではスキーガイドは必ずフランスの正式ガイドでなくてはいけないので派遣された−の総勢12人、9時45分ホテル前集合。写真入りの5日間リフト券をもらう。昨年のZermattは電子式だったが、こちらは上越並み、人が目でチェックする方式。
ツアーメンバーは10人だが、うちシニアすなわち60歳以上が7人。爺さん3人、婆さん4人だ。シニアには、5日間154ユーロのリフト券が、15%割引で131ユーロになる。すなわち、われわれ湘南チームは椿正明・偕子と松野初枝(全員シニア)、岡崎チームは岡崎ママ洋子さん・息子の則和君・娘さん久美子さんと岡崎ママのお姉さんの小沼浩子さん(シニア)、茨城からのオフピステ大好きのスキー気違い砥綿義徳さん(シニア)、また大阪からの佃克良・静枝さんご夫妻(二人ともシニア)。みんな相当の脚前、偕子が皆様のお荷物にならねば良いが。
高山みさお嬢は富山は滑川の出身、子供のころからスキーをやってたおてんば娘、大学もスキー部だったとか。明るく元気。フェローのフランスツアーを一人で切り盛りしている。風邪を引いたことがないと言う。Febian B Gomesも元気のかたまり。フランス人にしては小柄、岩登りもパラグライダーもやる。体操選手の体格、ダイエットをし、トランポリンで鍛えていて、モーグルのエアーもやる。そう言えば顔は赤くどこか猿に似ている。
Lessieresという山越えのリフトに乗ってSolaise(ソレイズ)側に移動。曇ってきた。滑ったりロープトウに捉まったりして、12時半ころ山小屋風のレストランに。一皿23ユーロくらい、いい値段するなと思って注文したら、ものすごいボリューム。ビールは小さめ。自動販売機のビールがあればなー。昼食は2時間。もう良い時間だ。昨日晩かったし今日は早目にと下山。リフトSolaise Express沿いの混雑したこぶ斜を下る。偕子はリフトで降りる。
途中まで砥綿さんが見えていたが、下についたら見失った。そこはVal d'Isereの街中と聞いていたので、ホテルを探しながら歩く。大きいウッディなホテルだから直ぐ見つかると思っていたら、どれもこれも大きなウッディなホテル。地元の人に聞いたが「知らない」と言う。それもそのはず、ホテル「サンテレーナ」を間違えて「サンテレーゼ」と記憶していた。それでも一人「サンテレー」だけ聞いて「直ぐそこよ」と答えてくれた、そそっかしいおばさんがいて助かった。早とちりにも御利益があるのだなー。ホテル名を書いたものは何も持っていなかったから、運が悪ければ何時間もうろうろ歩いたり大騒ぎになったかも。
部屋について、早速インターネットメールのテストをする。Gric社のローミングサービスにより、日本のプロバイダーDreamnet経由会社のメールアドレスで交信しようと日本でテストしてきたものだ。日本からはフランスに国際電話を掛け、ローミングサービスによる受信のできることを確認しておいた。発信はうまくいかなかったが、量も少ないし必要なら国際電話で藤沢につないでやれば良い。今回はスキーのほか、ローミングサービスのマスターをもう一つの目的としてきた。
今日はシャトルバスで少し下ってLa Daille1785から地下ケーブルFunival(フニバル)に乗り一気にRocher de Bellevarde2827へ。右方向に広大な斜面を下り、リフトに乗ってToviere2704経由Val Claretへ。ここから高山嬢の言う「芋虫電車」Funiculaire Grande Motteに乗り、ケーブルを乗り継いでLa Grande Motte3656(グランモット)の直下3466まで登る。この辺の最高峰La Grande Casse3852は直ぐとなりだ。モンブランまでばっちり見える。高山譲に言わせると、今シーズン最高の天気、ただしZermattのマッターホルンのような目立った山がないので、位置関係が分かり難いし、どんぐりの背比べというか、折角の風景にいまいち締まりがない。
ホテルに着いたらパソコンショップからFAXが来ていたが、「ホテルはゼロ発信かもよ、だからそれでテストせよ」とのこと、しかしこれは昨日テスト済。無意味。長男進に「考えられる原因を考えて」とFAXする。
3月5日(火)うす曇り
今日はオフピステの日である。オフピステには砥綿さん、岡崎さんの若手2人、と私が参加、ガイドの高山さんとFebianを入れて6人のチーム。残りの6人のオンピステ組には、今日新たにフランス人の頑強な、鼻の下に金色のひげを生やしたお姉ちゃんCarol Gaulhurがつく。オフピステは2日間の晴天でかなり荒らされているし、融けて固まっているところもあり、降ったばかりのようにはいかないようだ。
昨日と同じ地下ケーブルFunivalに乗り、Rocher de Bellevarde2827に登る。「雪崩れて埋まったとき発見できるように」と警報機を胸につけて出発だ。ここから、一旦右に下り、リフトBoast Expressで Col de Fresse付近にのぼる。スキーを担いで15分ほど登り、急な稜線の間の急斜面−45度もあるか−を下ることになった。尻餅をついたりするが、新雪は急の方が滑りやすい。緩くなるとごまかしスキー術はたちまち自由を失い、後傾になり不安定になる。俺はこんなに下手だったのか。新雪の中、雪煙をあげて滑るなんてことはもはや俺には無理なのか。
しばしばゲレンデを外れながらあちこち滑り、ゴンドラDailleの中間付近のレストランに到着、ここでオンピステの6人組に合流、昼食となった。曇ってきたこともあり、午後はオフピステをあきらめ、Carol組でオンピステを滑ることにする。ただし、もうかなり滑ったと5人が食後は帰宅となり、オフピステには岡崎さんの若手2人のみ、オンピステも佃夫妻と私だけとなった。
一旦、駅La Daille1785に下り、再度地下ケーブルFunivalに乗り、Rocher de Bellevarde2827から今度はかなりの急斜面をVal d'Isere1850に下る。佃さん夫妻はともに元スキー部とか、ガスでギャップが見えないせいもあるが、ついていくのが遅れ勝ちになる。Carolは「私のトレールについてこい」というが、トレールを見てると、足元のギャップが見えず、足元を見ているとトレールが分からない。「ガスで見えません」と言うと「見えないのはみんな同じだ」という。そうだけど、俺には上手い人のように足の裏に目がついてないんだよなー。
帰ってきたら、長男進からと、パソコンショップから連絡が行ったらしく、カードモデムの製造元TDKからFAXが入ってた。いろいろ詳しく設定やテストの手順が書いてあったが、いずれも不発。電話番号を受話器から掛けると「ピー」とコンピュータが対応する音がするので電話番号は合っているようだ。カードモデムが悪いのかなー。
お天気は悪いし、膝の調子が変だ。朝一旦は出かける用意をしたが、疲れもあるようだしと、今日はお休みにすることにした。出発直前3月1日の会議のまとめや、データベースの広域統合の技術的検討事項、2002年度の経営方針など、曖昧なままスキーに来ちゃったので、スキーボケの頭を叩きながらまとめをした。スキー場に長逗留して、毎日2、3時間滑って、あとは、インターネットで支障なく仕事をするという予てからの夢からは遠いが、その感触を想像する。気がかりが、かなり解消して満足。
3月7日(木)ほぼ快晴
フェローのスキーガイドは4日間、昨日でおしまい。今日は自由に滑る日だが、なにしろ広いスキー場、迷子になりそう。またどこで食事するかもよくわからないし、フランス語のメニュでは何が出てくるかも分からない。高山嬢が今日はガイドでなく、仲間として一緒に滑ってくれるということで、全員一緒の行動となった。
今日もまずは地下ケーブルでRocher de Bellevarde2827に上がり、Tignes2100方面に向かう。Val Claretからは天気が良いので地下を走る「芋虫電車」はやめ、皆リフトで上がる。
リフトでは、皺だらけだが、真っ黒なつやつやした顔のパンチパーマの、日本人ばなれした−メキシコ人に似ている−関西弁のおばあさんと乗り合わせる。6年連続バルディゼールに来ているとか。今回は2週間フランスのスキー学校に入っているそうだ。コネで4つ星ホテルに泊っているので衣装が大変、荷物が重いので、スキーも靴もレンタルという。ここにも優雅で元気な極楽トンボのようなおばあさんがいたもんだ。日本人は、歳を取ると男は疲れ果てているが、女は皆威勢が良い。
ケーブルに乗り継いでLa Grande Motte3656の直下まで上がり、写真を撮ったり、ゆっくり景色を楽しむ。先週までは天候が悪く1週間いてもあまり何も見えず気の毒だったとか。われわれは視界がなかったのは丸1日、なんとついていることか。結果論だが、3月にして正解だったと思う。
昼食はVal Claret。高山嬢は街での仕事があるとかで急いで帰るべく、Toviere2704経由下山することになった。岡崎ママと偕子がゴンドラで下るというので、高山嬢と送り、一緒にくだる。昨日のレストランの右側が良いというので、昨日Carolに教えてもらった林間コース経由地下ケーブル駅に出るものと解釈。途中で高山さんとはぐれる。しかたがないと駅に降りたらば帰りのバス停がない。普通行きと帰りのバス停って、そばにあるものだよなー。しばらく待っているとバスは大分下の方から来る。仕方が無い、かなり歩いてバス停にたどり着き、皆に追いつこうとバスに乗り、急いで帰る。ホテルに着いたらまだ誰も帰っていない。どこで抜いちゃったのかなー。
乾燥室で靴を脱いでいたら、松野さんが帰ってくる。「偕子さん待ってるわよ」とか。でもこんな時探しにいくと、却ってまた行き違いになる。「どうせ帰ってくるはず」とホテルで待っていたら、ほどなく帰ってきたが、おかんむり。「皆さんにご迷惑を掛けた。15分もあなたを待ってた。15分ていくらだと思う。ひとりひとりに謝れ」と散々しぼられた(1日6万円、スキー6時間とすると15分は2500円相当か)。「皆さんすみませんでした。どこで待ち合わせるか知らなかったもので」。
3月8日(金)快晴
今日は皆さんは、イタリヤへのオプショナルツアーの参加されたが、われわれはマイペースで自分の足でVal d'Isereを滑ろうと自由行動を選ぶ。Pissaillas(ピッサイア)方面にオフピステが残っていそうだと、初日のコースをトレースする。このところ気温が上がったため、雪がかたい。一通りコースを滑ったが、オンピステは初級コースばかりだし、オフピステは、がりがりでだめ。そこで山越えのリフトLessieresに乗ってSolaise(ソレイズ)側に移動。中級コース主体にいろいろ滑る。
日本でのように12時前に昼食。ゲレンデ食堂はスイスのようなものかと期待しないで入ったが、期待を上回る。日本と同じで、現物を見ながらこれあれと選択すれば良い。これをトレイに入れて運び、快晴のゲレンデを見ながら外で食事だ。日本でと同様1時間弱で切り上げ、また滑る。午後からはがちがちの雪も融けてきて、まずボーダーがオフピステで滑りはじめた。ちょっとトライしてみたが、やはり旨く行かない。オフピステの滑り方を研究してこないとだめだ。
Tバーリフトで上級コースの急なコブ斜をやってみたが、ぐさぐさに腐っていて快適ではない。もう疲れたし、と2時半には引き上げることにした。振り子沢のコースなら偕子でも大丈夫とこれを降りることにしたが、入り口を間違えて、結構狭い急斜面を降りることになった。幸いまだ人が少なかったので、無事到着。今回は怪我無く終了、これがなにより。時間があったので、義理のお土産を買い、街を歩いた。さすがフランス、どの店も洒落ていて女性は喜んでいた。
3月9日(土)晴
朝4時に起きて荷造り、5時に食事、5時40分ホテル発、マイクロバスでジュネーブに向かう。ジュネーブには8時半着。アムステルダム経由関空に向かう佃さん夫妻とお別れして、われわれ東京組は12時ころ出発。予定より速く11時間のフライトで、日本時間3月10日(日)朝6時成田着。12時30分鎌倉の自宅に着いた。
昨年のZermatt とVal d'Isereとを比較してどうか。今年は海外スキー2回目ということで、どうしても初めての昨年に比べインパクトは小さいが、個人的にはこう思う。滑りとくにオフピステの滑りにウエイトを置き、また2週間とか長逗留できるなら、Val d'Isereが良いだろう。しかし1週間で観光も兼ねるなら、マッターホルンとモンテローザのあるZermattが良い。変化があって良くまとまっている。英語も通じる。標高は平均的にはVal d'Isereの方がすこし高い。お天気で、風も弱かったためか、寒くはなかった。日本の1月の戸隠の方がずっと寒かった。
またZermattはコース案内が整備されていて、ガスで見えなくてもどっちに行くか良く分かる。Val d'Isereは案内が不十分な上、フランス語で読み方が分からないので覚えにくい。U字谷で奥に行くと標高2800メートルくらいの前山を越えないと帰れないので、視界がないと心配である。「ポイントポイントに番号を振り、地図にもこれを明示すると誰でも読めて分かりやすいはず」と、また職業病が出てくる。
食べ物はどっちもどっち。フランスは料理に期待して行ったが、スイスと同様塩辛い。アンチョビのピザなど塩辛くて鰯を除いて食べる始末だ。パンはおいしいのもあるが、これも塩辛いのが多い。海から遠いアルプス地方だから塩辛いのか。今回はジュネーブから入ってパスポートも見せずにフランスに入ったので、感覚的にはスイスにいたような気分だった。
サンテレーナホテルのレストランは一流とか、毎日朝夕食事した。ディナーでは肉−牛肉は出なかった−と魚が交互に出たが、寿司、天ぷら、おでん、中華、ステーキ、焼き肉、ラーメン、そばと変化を求める日本人にはあまりに変化の幅が少なく、飽きが来る。チーズやデザートがコースになっているが、ある時は全員チーズの注文をパスした。エスキモーやモンゴル遊牧民ほどでなくとも、世界中の皆さんはいつもほぼ同じ物を食べて満足している、日本人が特殊なのだろう。
期末の3月に1週間と前後の休日、計9日を投入して、そのリカバリが大変だった。30日になって終わりの桜を見ながら、やっとこの報告をまとめている。傷めた脚はほぼ回復したが、万全ではない。腰が痛く右太股にしびれがある。コルセットをしても直らない。来年スキーができるかどうか。このところやはり急速に弱ってきているのかも。まだシャモニー、コルチナ、カナダ、ニュージランドが残っているというのに。
最後に高山さんにお礼を言いたい。冬だけかもしれないけれど毎週休みなくツアーを迎え、朝から夕食時まで付き合って、いつもにこにこ、大変なことと感心する。そろそろご結婚とか、これだけ人扱いにご苦労されれば、きっと素晴らしいご家庭が築かれるでしょう。お幸せに。[2002.4.1]