我が家がミニシアターになった日
                    辻 淳二


 突如到来! フリーな一日

 2002414日(日)、朝起きると好天で「今日はテニス日和」と一瞬思ったが、家人と老義父のケアをバトンタッチする約束を思い出し、即その思いを封印する。朝食を済ませ、昼食時からタッチするか、夕食時からにするかの家人からの電話を待っていたところ、「今日は私がもう一日泊るから、来なくていい」との予想外の連絡。「本当にいいのか」と聞き返すと「いい」との返事、都内で過ごしたい用事ができたからということで合点し、その瞬間、「very lucky! これを上手に使わないと・・」と気持を切り替えた。そこで思い付いたのは、テニスではなく、「今日しかできないことに使おう」ということだった。実はこの日、会社でごく最近購入した軽量のプロジェクターを金曜日に新潟の大学での講義に試運転を兼ねて携行し、一旦我が家に持ち帰っていた。そして昨土曜日、ちょうどいい機会だから我が家のパソコンやビデオ機器との接続をテストしておこうと、ビデオ機器との接続に必要なSビデオケーブルを買いに走っていたのだった。

  「プロジェクター利用のミニシアター」を着想!

 昨日の内に、テレビもビデオもパソコン(DVD機能付き)も物理的には繋がって、大画面で映して見ることはテスト済みだった。そして、この日にヒラメいたのは、その先のもう一歩踏み込んだ使い方を試すことだった。先ず昼前にやったのが、たまたま我が家のテレビが長女の勤めている会社が出しているダブル画面タイプなのを利用して、一方に大リーグのイチローが出ている試合の生中継を映してこれを大画面(といっても、リビングと和室を仕切る襖全面をスクリーンにしただけ)で観る、もう一方にはテレビ朝日の「サンデー・プロジェクト」を映してこれは音声だけを聴くという試みだった。リビングの椅子に座って、前に映像、後から音声ということにしたが、これはダブル画面を正面から観るよりもずっとスッキリと楽しめた。これに味を占めて、いくつか撮り溜めしてあったビデオを続けて見終えたところで、次なる試みを思い付いた。今夜は家人は老父のケアで実家泊り、同居の娘も遅くなりそう。そのスキに「観たいビデオを借りてきて、ここをミニシアターにしてしまおう」!。

 夕方、図書館へ本を返しに行くついでに一駅先の高幡不動に足を伸ばし、時々利用しているレンタル・ビデオ店に行き、今夜のシアターの演し物を探した。いくつか手にとって品定めする中で、割にスンナリと『ショーシャンクの空に』(スティーブン・キング監督。トム・ロビンス主演)に決まった。

 “上映”はこれでよしとして、その前に、夕食を自分で裁量しなければならない。そこで、帰路に駅前のスーパーに寄って、暖めるだけで食卓に出せるおでん種とシューマイを娘との二人分買い込んだ。そして、メシを炊き、素早く夕食の手筈を整えた積りだったが、食べ終えてざっと片付けたところで時間は9時半になっていた。

 選んだ映画がドンピシャ!

 さあ、“上映開始”である。娘はまだ帰宅せず、我が家では最も広いリビングダイニングの空間に私一人、スクリーン代わりの襖の前の椅子にゆったりと腰を下ろした。直感で選んだ映画の出来もとても良くて、映画館で観るのに近い(少なくとも、いつもの28インチのテレビで観るのとは違う)ワクワク感と集中度で一気に観終えた。ストーリーをさわりだけ書くと、不仲になっていた妻とその不倫相手が一緒にいる建物の外の車の中で拳銃を携行して張っていて、結局そのまま帰ってきた主人公が、その夜に二人が拳銃で撃たれて殺されたことで陪審の「有罪」判定を受け、長期受刑者を入れている刑務所に服役する。そこで、既に20年近い服役歴ながら至って心穏かな“相棒”、自房でカラスを育てる気のやさしい老囚人と心を通わせて暮らしている。もともとインテリ(銀行の幹部だった)でこういう場所では全く弱そうな主人公、後に心友となる“相棒”でさえ彼ら10数人が入所してきた日に「彼が真っ先に泣きを入れる」に賭けていた。ところが見掛けによらず落ち着いた対応を見せ、心の荒んだ連中から陰湿なイジメの対象として狙われても、身体を張って抵抗したり運もあったりして難を逃れ、所内で安らぎを感じさせる存在になっていく。加えて彼には、会計処理や財務の専門知識があった。それを武器に、刑務所長や刑務官の節税や蓄財のコンサルタント的な役割を引き受ける中で彼らの悪事や弱みを知る所となり、それをテコに自分の生き方を通す智謀を巡らせるようになる。その一つが、石像を彫るのを趣味と謳って小さなノミを房内で使うことの容認を受けたことで、実際に、コツコツと彫像を増やしていって、「まさしく、趣味にノミを使っている」と関係者に印象付けていた。そして、刑務所暮らしが20年に近くなったある日、所内に収容されてきた“新入り”の話から、「あの運命の夜に、強盗が入って妻達を撃ち殺した」ことを知る。早速、彼は再審の申請をしようとするが、彼が自由を得て自分の悪事が露見する展開を恐れた所長は露骨な妨害を策する。そして、「いよいよ」という状況になったある夜、彼は決然と脱獄を敢行する。彼は、早い時期に脱獄を心に決めていて、この日に備え、夜の房内ではノミを音がしない程度に慎重に使って、房の壁をくり抜いていたのだった。彼に心事する相棒にもこのことは話してなくて、ただ彼からさりげないサインが出されているのは感じ取っていて、周りに「彼がおかしい」との不安を漏らし、脱獄したと分かった時には「生まれて初めての何とも言えない不安」の中で過ごす(この辺りの、心の描写がとてもいい)。

 見事に脱獄に成功した彼は、所長の会計アドバイザーをしていたのを利用して、脱獄の日の夕方に本人に渡したように見せかけて貯金通帳を持ち出し、翌日直ちに全額下ろして逃げ、証拠を揃えて警察に所長の悪事を告げる。そして、本人は自由な生活を求めて、メキシコの海岸に。そこへ、40年服役してようやく出所を認められた相棒が、主人公から巧みに伝えられたサインに導かれて、“余生の相棒”として暮すために訪ねてくるシーンで終幕・・。

 最悪の環境でも「自分らしく生きられる人」とは?

 要するに、この監督が描こうとしたことは、人間として生きる上で最悪の環境で自分を曲げずに生きるには、第一に「自分はかく生きる」との確信的な心の拠り所を持っていること、次に「心から頼りにし合える」友人の存在、ということだったのだろう。それを、監督は、人間の心の弱さ/切なさと重ねて、絶妙に表現して見せている。それは、先に紹介した老囚人を含めた3人が、“それぞれ長い刑期を経て出獄した後”を三様に描き分ける形である。一番最初に出所した老囚人は、シャバに出たがここでどう生きたらいいかが分からない。彼の選択は、悲しいかな、仮住まいしていたホテルで首を吊ることになってしまった。次に出たのは主人公で、彼は“確たる意志を持った”脱獄、つまり「出たら、こういう暮しをしよう」というはっきりした生き方のイメージを持って出た。従って、迷うことなくその路線へ・・。そして、最期に出た相棒は、まさに両者の間、つまり、スーパーの店員として生活を始めるが、“トイレに行くにも上司に断る”ほど刑務所での習慣がこびりついてしまっていて、一旦は「シャバでは、俺は生きられないな」との思いに苛まれる。しかし、彼には幸いに主人公の心あるサインが出ていて、その「一緒にやろう」というメッセージが決め手で「生きよう」という選択になった。人間のこころって、こんなにもナイーブで微妙で、そして強くもなるもの・・、これをこの三人三様の対比で表現した監督の手法には「参った」と思う感動があった。

 もう一つ、観ながらしばしば脳裏をかすめたのは、かって、先回の当会の研究会に講師でお招きした川田晃さん指導による「LTS(Live True Self)研修」でその存在を知り、その直後に読んだビクトル・フランクル著『夜と霧』(著者は、アウシュビッツ収容所で生死の境を凌いで生き抜き、心理学の大家になった人)に描かれている本質と重なるという思いだった。「あれとイメージが重なる映画があったんだ」という感動もひとしおだった。観終わった所へちょうど帰ってきた娘に「この映画いいから、観たら・・」と言ったら、「ショーシャンクは観たよ」との返事。それは、「へえ、こういう映画も観ているのか」と彼女に一目置いたひとときでもあった(こちらは、この映画の存在すら知らなかった)。

 儲かった! 望外の「感動の一日」

 かくして、「丸儲け」の一日は、朝起きた時には露ほども予見がなかった“感動の余韻”を残して終わった。「こういう日が一年の内に一日でも多い」生き方をと願っている身にとって、“絵に描いたようにうまく行った”休日だった。[2002.4.23]

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