孫っ子、この一年の成長            辻 淳二

 

 初孫である長女の娘を、その成長を時々近くで見たいとの思いから休日に娘夫婦から借り出して遊びに連れて行くようになって、一年余りが過ぎた。2歳になる少し前の昨年春から3歳を少し過ぎた今までに、昨年は通信総合博物館(あんぱんまん展)、上野動物園、ユリカモメ沿線、よみうりランド、葛西臨海公園、今年に入って多摩動物公園、NHKスタジオパーク、通信総合博物館(マジックショーとジャックと豆の木”劇)、高尾山、区立荒川遊園に出かけた。その間、昨年はほとんど夫婦で同行していたのが、家人が老父のケアに忙しくなったこともあって、今年はほとんど私一人で対応するように変わっている。そしてこれが今、「やみつきになる」というか、ひょっとしたら孫自身よりも私の方が楽しんでいるかも知れないという感じになっている。それは、彼女の目線に密着して付き合っていることで、幼児がどう成長しているのか、何に目の色を変える感じになるのかが、多面的に、また、思いがけなく目の前に見えてくるからである。そこでこの稿では、そうしたシーンをたどりながら、「3歳を挟む一年辺りの、幼児の成長」をレポートすることとしたい。  

 何よりも、同行するのが楽になった!

 先ず最初に、同行してきた印象として、当初と最近と何が違ってきているかを記そう。

  第一は「意思疎通が楽になった」ことである。どちらかというと人前ではシャイで口数も少ない子だと思うが、それでも最近は彼女の意思を訊く際の応答は随分はっきりしてきて、「じゃあ、こうしよう」ということが迷いなく決まる。具体的には、ここに入る/入らない乗りたい/乗りたくない等から食事をする/トイレに行く等に関するやりとりなのだが、この辺りに疎通のブレがなくなると私の側では何時間でも相手ができる。かくして、始めた頃は「娘たちに返す夕方の時間までどうもたせるか」を気にしていたが、今は「この子がやりたいことは何でもやらせて、日没になるまで時間は気にしない」という付き合い方に変わっている。

第二は、「自立度」が高くなって来たこと。例を挙げれば、靴を自分で履く食事を(目の前にお皿に入れて置いてあげれば)一人でスプーンで食べる手を繋いで歩いていて「抱っこ」と言わない等の他愛ないことだが、これは7月末に保育園に迎えに行って3時間ほど二人で居た時に、それまでと比べはっきりと変わっていた。それまでは「もうボチボチ・・」と思いながらグレーゾーンだったのが、私から見ると何とも“あっけなく成長を確認する感じになった。

第三は、「当日体験したもの/ことを伝える力」が身に付いて来たこと。孫っこと出かける動物園や遊園地などには、そこの売店に「そこで見られる動物やキャラクター等をプリントしたグッズ」を売っている所が多い。ある時期から、手頃なお土産なのでそういう品物の中から本人が「これ」と選んだものを買うことにしているのだが、家に帰って娘夫婦にその日のことを話す時にそれを指で指しながら「・・さん居た(見た)よ」、「・・さん居なかった」と実に正確に(「どっちか分からない」ということなしに)伝えているらしい。

  ここで一目置く感じなのは、「(この動物を)見た」「見なかった」を言い切る認識力。買ってきたタオル等を見ながら答えて行く力は、私などより遥かに確かなものを持っている。たまたま、私はボケが進み始めている家人の老父との同行も時々していて、こちらは動物園でゾウとかライオンとかのド迫力満点の動物達を見ても数時間経つともう記憶から消え去ってしまう状況だから、それとの対照が孫っこの認識力を際立って感じさせている面があるのかも知れないが。そしてまたこれは、「私自身はまさしく両者の間にいて、どちらかというと老義父に近いぞ」とギクリと気付かされることにもなっている。

 またここで面白いのは、往きの電車の中で「・・さん、見ようね」と会話した動物が行ってみたら見れなかった時などに、「・・さん、居なかったよ!」と見た動物より先にそちらを(残念な気持ちがあるのか)口にする傾向があること。昨年末に葛西臨海公園に行った時、メインの水族館に向う順路の途中に「小鳥の森」を示す矢印の案内が見えたので、「後で、小鳥さん見ようね」と話した。それで、孫っこの脳裏に「小鳥!」というアンテナが立ったらしく、水族館でペンギンや魚などを途中まで見て少し飽きてきた辺りで、「小鳥を見に行こう」と言い始めた。そこで、水族館を切り上げて、「小鳥の森」の案内のある道を小鳥を探しながら歩いていった。ところが、季節的に小鳥が暖かい所へ飛んで行ってしまった時期なのか、行けども行けども近くには小鳥一羽飛んでくることはなく、結局あきらめてひき返した。これが相当印象強かったのか、帰り道での私との会話でも帰ってからの母親との会話でも「小鳥さん、居なかった!」が真っ先に。その後何か月か後の同行の機会でも、歩きながらの会話の中でまた「小鳥さん、居なかった」が出て来て、「この子、まだ覚えている!」とビックリさせられた。ついでに言うと、この時は、この後で孫っこが見せた反応がまた面白かった。それは、程なく、「小鳥に気を取られ過ぎて、水族館をあっさり出てしまった」ことに気がついたらしく、「また、ペンギンさん見に行こう」と言い出したのだ。そこで、水族館の入場料を払い直して、また一回りした。すると、前の時には岩山の下の方に居て余り目立たなかったペンギンが多数岩山の上の方に移動していて迫力一杯に見え、それがこの日のハイライトシーンになるという結果に繋がった。その話を帰って母親である長女にしたら、「だめねえ。言い聞かせて、ちゃんと見終えてから小鳥の方に行かなくては」と笑われたが、たまにしか会わない私にそこまでの会話はまだ難しい!。  

 「目を輝かせること」が行動を伴う方向に

 次に、これらの同行の中で、孫っこが私の虚をつく感じで「興味を示した」ことを記そう。2月にNHKのスタジオパークに行ったときは、帰りに渋谷駅の方向に歩いている途中で小さな公園を見つけ「ブランコに乗りたい」と言い出し、しばしそこで遊んだこと。4月には、通信総合博物館で人を空中に浮かせたり、箱の中に入っている人を鋸で切ったのに切れないで生還したりするマジックを見せたが、これは今ひとつ分からなかったらしい。むしろ、帰りのJR線が空いていて、その揺れを楽しみながらあちこち走り回ったり、床に転げたりして嬉々としていた方が彼女の本意に叶っていたようだった。5月の高尾山では、登る途中で見たサル山の子猿と、頂上から下りてきてサル山まで戻るすぐ手前の「蛸杉」と呼ばれている根っこが蛸の足のようにのたうっている大杉のところで長々と遊んだこと。前者のことは、下山路で彼女が「また、おサルを見たい」と言い出したので分かり、蛸杉の所で他の子供たちが遊んでいるのにつられて、結局サルのことは忘れてしまうことになったのだったが。

7月の荒川遊園では、そこに飼われている牛や馬や小鳥の写真を自分で撮りたがったこと(実際に、私が密着して援助してだが、何枚かの写真が撮れた。左の写真もその一部)などなど。

 同行していると、このような他愛ないことで「感動する」というか、幼児が嬉々として振舞うシーンに立ち会うことが必ずあり、その興味の対象、そこでの彼女の行動の変遷を見られることは、とても貴重なことと感じている。因みに、一年前には大の苦手キャラクターだった「あんぱんまんアニメの悪役・ホラーマン」の縫いぐるみがベッド上の棚においてあったので聞くと、彼女曰く「パパに買って貰ったの」。何ともあっさりと卒業していた。  

 爆笑! そしてちょっと感動

 最後に、こうして密着しているご利益”とも言える場面が時にあることも記しておこう。最近の一番のハイライトを一つ挙げると、5月のゴールデンウイークに「明日は高尾山に行く」ために娘親子が我が家に泊まりに来ていた夜のこと。その時はたまたま、我が家族が全員、孫っ子から見てジジババ(我が夫婦)、叔父(我が長男)、叔母(我が次女)の全員が揃って、リビングルームで雑談をしていた。そこで、「寝る前にお風呂に入ろう」ということになって、孫っ子本人もその気になって、風呂場のある方向にトコトコと向かい始めていた。その時に、母親である長女が「Mちゃん、誰と入る?」と聞いた。すると、孫っ子はくるりと振り向いて、皆の顔を順に見た後で、ちょっと恥ずかしげに首をかしげながら「おじいちゃん」と言ったのだった。これには、一同唖然呆然、そして一瞬の間をおいて大爆笑。かくして、この一泊の間にお風呂に2回、トイレに1回、彼女の世話をすることになってしまった。尤も、当然ながらこれにはウラがあって、その前の一時間ほど、私の部屋にあるパソコンで「あんぱんまん」やら「ミッキイマウス」やらのお気に入りのキャラクターを彼女が求めるままにホームページで検索して存分に遊ばせてあげた“上げ底”があっての話だったのだが。ただ、これは家族全員が居合わせた場の出来事だったので、ずっーと年月が経っての会話にふっと出てくることがあり得る。その時に、当の本人の彼女がどんな反応を見せるだろうか。それを、私は天国?でニコニコしながら見ている(これは、まだ学生だった頃に見たミュージカル映画『回転木馬』の一シーンからの連想なのだが、この場面に思い当たる方はおられないだろうか)。この一シーンは、そんな諸々の意味合いから“直近のハイライトシーン”ということになっている。[2002.8.4]

  感動の体験 目次へ