久々の家族旅行              辻 淳二

 

 「瓢箪からコマ」で実現

 正月に家族全員が集まった時に、末っ子の次女が「家族旅行に行こうか」と言い出した。全体に「それもいいねえ」という雰囲気だったが、幼子を抱える長女などは自分も行く話と受け止めてはいなかっただろう。それが、次女を中心に詰めに入って、長女も4月に職場復帰すると当分は行けなくなるから産休中の今がチャンス、「2月の最初の週末なら、埼玉県に住む長男を含めて全員が行ける」という話になってきた。かくして、その期間に私が出る予定だった年一回の学生時代のテニス仲間の例会を欠席にして、暖かい沖縄に2泊3日で出かけることにした。

 空港で長女親子と合流

 初日の2月5日の朝、8時20分発の那覇行きに乗るため、家内、長男、次女と4人でまだ暗い5時台に家を出た。週末の朝の電車は空いていて、京急川崎駅ビルのマクドナルドで朝食を買い込む余裕もあって、羽田空港に到着。すぐに次女の携帯電話で長女と交信し(そしてこの2台の携帯は、道中分かれて行動する時に欠かせない利器となった)、見送りの婿どの共々、正月に会って以来約1ケ月ぶりの長女一家と再会した。孫娘は、また一歩しっかりした顔つきになって、バギーや父親の腕の中で落ち着いていた。「まさか、この段階で一緒に旅行できるなんて」と自分の発想にはなかったことが現実になって、改めて恵まれているのを実感した。

 現地での足を得て那覇市内へ

 那覇空港に着くと、天候は曇りだが気温は10度近く暖かく、羽田を出た時の服装は全くそぐわない。それに、行動には手荷物が邪魔になるので、幹事役の次女が前もって手配していたレンタカーを借りに行った。マツダのワゴン車で、カーナビが装備されていて、これがまた、滞在中の円滑な行動を支えてくれることとなった。家族全員免許証は持っているがワゴン車の運転経験があるのは息子だけなので、彼が主に運転手役を務め、他はホテルの周辺あたりで練習を兼ねて運転することとした。

 レンタカーを借りて動き出した時、時間は昼前になっていた。今日の予定は2時半から海中観察船に乗って近海の珊瑚や大小色とりどりの魚を観察し、その後首里城を見学して、本島中部の残波岬近くのリゾートホテルまで移動することになっていた。そこで先ず、昼食を摂りがてら市内での買い物や散策の中心スポットの土地勘を得ようと、那覇県庁付近から国際通りへと車を走らせた。県庁前では、北国から真っ白な雪がドカッと届いたばかりで、子供たちによる雪だるま作りが始まっていた。

国際通り沿いで駐車場に車を入れ、観光客の身軽な服装になって、通りと中央市場を散策する。あいにく旧正月ということで、市場はお休み、それでも食堂やスーパーやお土産店は開いている所もあって、沖縄ならではの産品を目にし、名前を覚えるのに役立った。食事は、昼食にはラーメンが良いということで、市場の近くの小さな店に入り、ソーキそば(じっくり煮込んだ骨付き肉入りのラーメン)ととうきびのジュース等で腹拵えをした。道中、長女が孫の世話に掛かりきりで食事もゆっくり摂れないのを緩和するため、誰かが先に食べて孫を抱いて連れ出すことにしていたが、ここで初めて私の出番になった。店の外に出た所で、向かいの露地からおとなしい飼い犬が出て来たら、彼女の興味がそこに向かった。その犬の行き先を追って行くと、もう一匹の毛の長いペット犬が現われた。それらをずっと追っかけているだけで、結構退屈しないようだった。

 市の内外を観光してリゾート地へ

 最後の日の買い物のおよその見当を付けて、那覇港へと移動した。この辺で運転に余裕が出てきて、カーナビを使い始めた。市内の地図のイメージが頭に入り始めると、「あっ、間違った」とか、カーナビと車の動きとの微妙な兼ね合いが分かってくる。息子の評価では「これは、最新の性能のものではない」ようだったが、「それでも結構役立ちそう」ということになった。

 那覇港に着いて、暫く待って観察船に乗り込む。150人くらい乗れる船だが、お客は我々を含めて5組10数人で、船中はちょっと寂しかった。空が曇っていてコンディションは今いちだったせいかもしれない。退屈しのぎに甲板と船室を行き来し、孫を代わるがわるにあやして過ごした。本島沿いに外洋を北上して20分くらいでエンジンが止まり、地下の観察室に呼び込まれた。そこが本島近海の観察地域らしく、その周辺をゆっくりと船が動く中で水面下1〜数メートルくらいの所に棲む珊瑚や辺りを泳ぐさまざまな魚をウオッチした。曇りで陽の光が届かないためか、珊瑚の色は冴えず、目の前を行き交う魚たちの大小色とりどりが見物だった。都会の熱帯魚店で見るようなきれいな色で、大きくて見栄えのする魚がいろいろと見え、ひらめのような平べたい身体の魚が珊瑚の間の水平の隙間を身体を寝かせてくぐるのも見えた。いわしやさばの大群も見えた。一匹だけだったが、全長2メートルくらいある海蛇が底近くで尻尾を丸めているのが、思わぬ見物だった。持参したディジカメで何枚も写真を撮ったが、舟のガラス越しの海の光は検知できないようで、全く写らなかった。

 港を出た後は、首里城に向かった。駐車場に車を停め、先ず守礼の門を見たが、修理中で門前10メートル足らずの狭いスペースでしか眺めることができず、いま新2000円札で話題になっている名勝とのイメージにはそぐわなかった。琉球王府の居城だった首里城は、前に行った時は相当痛んでいたが昔のイメージを留めていたとの記憶があった。それが92年に復元されてきれいになっていたが、却って歴史的な遺産としてのリアリティは減殺されたように感じた。それでも、中国(清朝など)と江戸幕府の両方に首長(王/将軍)が即位する度に使いを送る等、琉球が実態として両国に属する時期があったことなど、独自の歴史を認識するよすがとなった。

 この後、降り出した雨の中を国道58号線から県道へと進んで、宿泊地の読谷町へと向かった。車も多かったが事前の話で思っていたよりは遠い感じで、途中で夜になり、7時頃には食事を済ませて寝る習慣の孫が後部座席で泣き出すという事態もあったが、近くになるとホテルの案内も木目細かくなって、8時頃に無事到着した。ホテルは、きれいな砂浜の海を抱え込んだゆったりとしたリゾートホテルで、玄関正面の植え込みには南国の華やかな生花が植え込まれていた。日頃仕事で泊まるビジネスホテルよりは遥かに広々している部屋に荷物を置いて、この日はもう出かけるのはやめて、中のレストランで食事を済ませた。

 ワゴン車とカーナビの運転を初体験

 翌朝は雨だったが、息子と次女は食後すぐに予約していた体験ダイビングに出かけた。残った家人、長女&孫それに私は、暫く部屋でのんびりしてから、レンタカーに慣れることも兼ねて、近くの岬巡りに出かけた。ここは自分が運転をすることにして、娘がセットしてくれたカーナビがどの程度使えるかを試しがてら、先ずすぐ近くの残波岬に行った。ここは灯台があるだけで、雨中では特に見るものもなく、すぐに5キロくらい北の真栄田岬に向かった。この道は、殆ど間違えようのない一本道ながら、馴染むためずっとカーナビに従いながら移動した。

 真栄田岬には、車で乗り付けたダイバーが4〜5組海に入る準備をしていて、海を見下ろす展望スペースからは50メートルくらい下の海で潜っている一組が見えた。ちょうど、男女のペアにインストラクタが一人ついた組で、朝ホテルを出た時の我が家の兄妹の組と同じだったので、「もしかしたら、うちの子かも」と上から声を掛けると手を振って応えたまま、沖に向かって潜り始めた。

その後、ダイバー達が海へ入る階段を下って海辺に立った所へ、さっきの組と思しき3人が沖から戻ってくるのが見えた。そこで、「もし彼らがうちの子だったら劇的な出会い」と色めきたって、水面に顔を覗かせるのを待ち受けた。ところが、その期待はまんまと外れた。後で聞くと彼らは船で水のきれいな島に行っていたとのことで、「知らぬが故の見当違い」と分かるのだが、手を振られたことで思い込みが強くなってワクワクして見ていたのがおかしかった。

 ここで岬巡りは終えて、地図で見つけた、家人の好きな南方植物園に行くことにした。ここへは道筋が分からないため、ここまでで使い方のコツがほぼ分かったカーナビ頼みで行くことにした。雨の中を走る中で「琉球村」という観光スポットの前を通り、たまたま昼メシ時だったこともあって、「ちょっと入ってみようか」ということになった。駐車場から入り口に向かう所に「サバニ」という漁師が乗る舟が展示されていて、中に入ると小さな舞台があって「ニライカナイ劇場」と名付けられていた。これらはいずれも、今ちょうど朝日の夕刊で連載中の高橋治氏の『漁火』で読んで記憶している沖縄の言葉で、小説に描かれている世界を身近に感じさせられて面白かった。

 ここは、土産物屋や食堂、小劇場のある建物の裏に大きな庭があって、沖縄の民家や生活の調度品、動植物などの実物を展示している所だった。その中の農家の縁側で、そこで売っているお餅を頬張りながら、春先で淡い緑色になった草木や林に囲まれた庭先に降り注ぐ雨を見ていて、しばし禅寺に座っているような「癒し」の気分に浸ることができた。そのまま園内を周り、その途中の茶店風のソバ屋で昼食にした。そこで、斜め横にヤシの実を切ってストローを差してお客を待っている店があったので思わず「(この雨では)商売上がったりだな」と言ったら、その店の持ち主が目の前にいて、場が和んだりした。立ち去ろうとした時、園内アナウンスで「・・で、まむしとマングースの決闘が始まります」と言っているのが聞こえ、ちょっと後ろ髪を引かれたが、もうこの辺が潮時と外へと向かった。

 後はまっすぐに南方植物園に行き、小一時間近く、2つに分かれている園内を歩いた。大きい方が南洋の植物を植えている広い公園で、小さい方が沖縄諸島の中小の植物を植えている庭だった。ここでは、いかにも南の国らしい植物に出会って、いくつか写真も撮ったが、後に印象に残るものは少なかった。ここに居る間に、ダイビングに出かけた2人と携帯で連絡が取れて、ホテルで落ち合うために戻ることになった。帰路は途中から家人が運転し、ワゴン車とカーナビを初体験した。ホテルには夕方戻り、まだ雨は降り続いていたが、夕食は予定通り近くのレストランへ沖縄の料理を食べに行くことにした。その後小一時間あったので、ホテルの喫茶室でコーヒーを飲みながら本を読んでノンビリした。

 お目当ての魚料理店で沖縄の味を

 ガイドブックで次女が目星を付けておいた魚料理の店に、次女の運転で出かけた。カーナビで近くまで行き、後 は車内から携帯で聞いて、ちょっと迷っただけで探し当てることができた。本場のフランス料理店で修業をし、沖縄で魚屋を経験したオーナーがやっているこじんまりとした店で、小さな水槽があって海の魚が泳いでいた。そこの座敷で卓を囲んで、メニューにある珍しい料理を各人の好みで注文して食べた。私は、前日の那覇の市場で名前を覚えていたグルクンという魚がメニューにあったので、それを一押しした。そして、これも沖縄ならではの珍味の一つとして、他の諸々の料理と合わせて堪能した形になった。お腹いっぱい食べたが、値段は昨夜ホテルで食べたよりもずっと安く、やはりガイドブック等をうまく活用する方がいいことを検証した感があった。

 ホテルに戻ってからは、スパーという、泳いだり、湯を肩や腰に当てたり、サウナに入ったりできる温泉に皆で入り、ゆっくりとした。そこまででおよそ満足もし、疲れても来たので、息子と行こうと言っていたカラオケをやめて、寝ることにした。

 ホテルの庭と海岸を散策

 翌日は、昼頃に那覇市内に戻り、市場で買い物をするのをメインの行動予定としていた。この日は曇りから晴れになる天気だったので、朝食後は皆でホテルの庭の先のビーチを散歩した。

 静かな内海の、浜辺や岩陰をやどかりが歩いているビーチで、形の良い貝殻などを探したのは子供たちが小さかった20年前以来だったろう。ホテルの庭のブーゲンビリヤやハイビスカスはもとより、東京で見るのより紅が濃い桜や海岸の岩陰に咲く朝顔など、本土とは季節感が違う花も咲いていて、リゾート地を楽しむひとときを持つことができた。

 チエックアウト時間の11時頃にホテルを出発し、息子の運転で、高速道路を通って那覇へと向かった。だいぶ道にも馴染んで、順調に戻って2日前のの駐車場のすぐ近くにレンタカーを入れたのが12時過ぎだった。それから、旧正月が明けた市場に行った。

 この日は本来の活況を取り戻していて、一階の食品売り場は、肉、魚、野菜、その他漬物のような諸々まで、沖縄ならではの品揃えで満載だった。一番ユニークだったのは魚屋で、店先には赤や緑や青や、とにかく極彩色の魚が並んでいて、年季の入った大人や若い男女がそれぞれにお客に声を掛けていた。一回りして皆が買うもののおよその見当を付けた所で、先に昼食を摂ろうと、2階の食堂街に上がった。

そこも、各店の呼び込みが盛んで、あちこち戸惑いながら、家人が「ここがいい」と聞いてきた角の店に入った。ここでもそれぞれ好きなものを頼むことにして、私はラーメンのほか、張り出されているメニューの中から下の市場で名前を見た「 アバサー汁」を注文した。しかし、これはちょっと外れて、皆の口には合わなかった。後で1階に下りた時に実物を確認したが、極彩色のヌルッとした魚で、これをちゃんと見ていたら注文しなかったと苦笑いした。

この食堂では、長女の食事中お店の中年のおばさんが孫を預かって、2階のフロアを一回りしてくれたが、おとなしく抱かれていて、各店の店員の息抜きの話題となっていた。

 孫が水を得た、空港の遊び場

 その後は、各人が自分の勤め先や近所とかを念頭に置いて、お土産を買い込むことにした。それぞれにかなりの数を買い込んでいて、宅急便で送った者も居た。一番少なかったのは、私だった。子供たちがそれなりに自立してきたことを気付かされた一幕だった。市場を出て、レンタカーの返却時間に遅れないように、営業所に向かった。3時半に少しゆとりを持って無事に返却し、送迎バスで空港へそのまま送って貰ったので、出発までには1.5時間余りの待ちが生じることになった。そこで、ここは自由時間とし、自分自身はしばらく孫を空港ビルで遊ばせた後、コーヒーを飲みながら本を読んで過ごすことにした。ビルのフロアを3つの階に渡って孫を連れ回っている内に、滑り台やジムがある子供用の遊び場を見つけた。早速孫を下ろしてやると、勢いよくカーペットの床を這い始めた。脱兎のごとくだったので、慌ててケアをしようと靴のまま中に入ってしまい、係りの人から叱られてしまった。滑り台も、人がいない時に下の位置に立たせてあげると、逆に登ろうとする。声を出すことが少ない子で、身体を動かす方が好きらしいとは感じていたが、やはりそうらしかった。旅行中は飛行機でもホテルでも車でもベルトをされていたり抱かれていたりしていて、自由に這い回ると言うことが殆どなくて、欲求不満だったのかも知れない。余りむずかることはなかったので機嫌良くて何よりと思っていたが、孫にとっては決して快適ではなかったのかと気付かされた思いだった。この場のケアは程なく次女に託して、すぐ隣のコーヒーが飲めるスペースで本を読んで過ごした。孫はそれからも飽きることなく動き回っていたが、大分経ってから突然泣き声がした。どうやら、滑り台の上で次女の目を掠めて危ない動作をしておでこをゴツンとぶつけたらしい。かくして、特に退屈するということもなく、飛行機に乗り込むこととなった。

 羽田に着いて、蒲田駅で、タクシーに乗る長女と池袋から私鉄に乗る長男と別れ、残った3人で南部線経由で家に帰った。  

離れて暮らす家族が久しぶりに一緒に過ごすと、思わぬことでぶつかったり、車の運転では「確実だが、ノンビリ型」「思い切りはいいが、ちょっと粗い」と言った違いが見えたり、孫から目が離せない長女は食事の摂り方が忙しくなっているなど、それぞれの生活や気持ちが投影していることが見えたりもする。またそれぞれに暮らす中で、気が付いたことを自分で直したり、さりげなくカバーし合ったりできるようになればそれも今回の旅行の収穫になると思いつつ、無事な旅を喜んで帰宅した。   [2000.2.27]

                            

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