「駆け出し取材記者」の楽しみ 

                 辻 淳二

 

 

この同人誌的ホームページを立ち上げることを決めた98年12月から、デジカメを持って出かけることが習慣になった。まだ、「これだ!」と思うシャッターチャンスを逃したり、フラッシュがたける迄の一瞬にレンズの前を人が通ったりといった失敗ばかりで、まさに「駆け出し」の日々である。ただこれが、いろいろと楽しめて「くせになりそう」な面白さなのだ。先ず、家人に「どこに行くの?」と聞かれて「取材に」と答えるのが格好いいのだ。行き先を決めてなくても胸を張って出られるし、気持ちも前向きになる。これは、意外な効用だった。次に、赤瀬川原平氏の「路上観察」の極意が分かってきたこと。元日の午後、中腹の薬王院にお守りを貰いがてら、高尾山に詣でた。大勢の人たちで賑やかだったが、山頂の近くのあちこちで放り捨てたごみや空き缶が目立つのがいつもと違った。その極めつけが、山頂にごく近いトイレだった。高尾山が「ゴミを持ち帰る山」なのを誇りとしている人たちが見れば、何と無残なと思うだろう程の散乱ぶりだった。私も落着かないまま中に入っていって、フト奥の正面の板壁に目をやって、思わず足を止めた。何とそこに、「トイレはごみ箱ではありません」と張り紙されているではないか。この瞬間にこの言葉と私の心が共振したのだろう、各文字は怒りに震えているように見えた。この時、「こんな場所で」という雑念を超えて、感動が走り抜けた。「これが、赤瀬川氏の言う路上観察の楽しみなのだ」と、生々しく実感できた一瞬だった。

さらに、試みたことが外れても「次への好奇心」が広がるのがいい。ある休日の午後、家から駅に向かう途中の小さな林で、きれいな小鳥が近くを飛びぬけていった。咄嗟にデジカメの準備が間に合わず、しばらく次の来訪を待ったが、ムダだった。それから思い付いて、近くにあるハイキングコースを駅に下る細道を通ってみた。案の定、落ち葉を蹴上げながら歩きたくなるような裏道で、小鳥との出会いがそこここにあった。近くには寄れないが、目ではっきり見える位置のをデジカメで3倍ズームで撮ってみた。夜、家に帰ってパソコンで見たが、逆光やら、幹や枝と重なったりで、「これは」と得心できるものは撮れていなった。これで、「このカメラでは、小鳥は無理だな」とあきらめたが、後日デパートに行った時に双眼鏡の売り場を訪ねてみた。すると、かなり遠くにいる人が目の前ではっきり見える。そこで、「双眼鏡のレンズをアタッチできるデジカメ、どこかで出さないかな」と、興味のアンテナを広げることができた。また、身近な日常行動の中でフト思い付いたことを試みるのも、楽しみになって来た。一例を挙げれば、我が家の借景とも言える梅の庭園・百草園で、「気に入りの梅ノ木を選んで、シーズン中のつぼみから落花までを追っかけてみよう」というようなことである。いつ、思わぬ得ダネに出会えるか。これが究極の楽しみだが、その前にいろいろ楽しめそうで、ぜひ「路上観察」の仲間を得たいと思っている。

感動の体験 目次へ