最近の「いい出会い」

               辻 淳二

  

 この98年を振り返って深く心に沁みているのは、Kさんが見せてくれた「柔らかい行動」に触れたことである。Kさんは、九州西北端の、ご多分に漏れず“過疎高齢化”に悩む漁業の町で企画財政を担当する30代後半の地方公務員である。97年秋から今年の6月まで、彼の職務の一つの「情報化」に関連して、情報化による町の再活性化の構想作りでご一緒して、親しくさせて頂いている。この構想の具体化を、彼の企画マンとしての包丁さばきに託して、私はひとまず役割を終えた状況にある。彼の柔らかな行動力は、彼の別の職務である「働き手を町に呼び戻すUターン策の推進」に関して、見事に発揮された。最近、日本の沈滞を反映してか、時代に組織を適応させる変革を自然体でやって見せる“実権リーダー”型のミドル層が少なくなった印象の中で、「過疎の町に、そのお手本がいる。都会の方が学ばなきゃ」と感動した行動を簡潔に紹介しよう。

 今年の3月末、町の飲み屋で「彼が、この間お話しした、今度漁船員になるためIターンして来たT君ですよ。」と一人の青年を紹介された。にこやかな、スポーツマンらしい好青年だった。次の日に、初航海に出るという前夜だった。その時、Kさんは、自ら温めてきたヒナの殻を破る想いだった筈である。というのは、町では、基幹の漁業がかっての勢いを失ってジリ貧に向かう流れの中で、漁船員の後継者難が深刻となっていて、彼の発想による「Iターンも良しとする施策」に切り替えて初めて応募してくれたのがT君だったからである。これまで、保守的な漁業界幹部層の「Uターン者を」というこだわりの枠中では、施策に応じての帰郷者はいなかった。そこで、Kさんが担当になって、発想を変えた。そうしたら、T君という好青年が来てくれた。「彼が船に酔わないで、船員達とも融け合ってくれれば、町に新しいページが開く」と、祈りにも似た想いが去来していたことだろう。T君は、幸いにも上のどちらをもクリアして、漁船員として町民の仲間入りをした。その話を聞いた時、私も「本当に良かったな」と胸をなで下ろした。ところが、これで終わらないのがKさんの柔らかさである。次の出張の機会だったか、彼はこう私に言った、「この間、漁船に乗ってきたのですよ」。彼が「漁船に乗りたい」との出張申請を出した時、町役場では、この申請を認めていいかの検討に暫くの時間を要したようだ。彼にしてみれば、U/Iターン策の担当者として、自分が船に乗った体験を持つことが不可欠と気づいた。だから、ごく自然体の「主体的意志に基づく申し出」だったのだろうが、役場から見れば「コロンブスの卵」に見えたらしいのが実に面白い。実際に、船に乗って、Kさんは漁船員の仕事の大変さも深さも面白さも実感して、それを乗船記にまとめた。そして、U/Iターン予備軍との相談に当たり、その体験を踏まえた応対をしている。そうした努力が流れをもたらして、T君の後、更に2人(1人は家族ぐるみの移住)のIターン漁船員が続いているという。

 その後、これらの動きは、より大きな「町を揺さぶる動き」に繋がり始めているという。これらが、漁業関係者に「Iターンでも、こんないい人たちが来てくれるんだ」との意識の転換をもたらし、また、Kさんの乗船記などが漁船員の家族に「家業の漁業に対する誇り」を呼び戻す方向に作用し始めたことは確かなことだろう。そしてこの作用が、漁船員の子供達が都会へ行くより船に乗ろうとする動きに繋がれば、町の過疎高齢化にも歯止めがかかる・・、そんな夢も現実になるかも知れないのである。Kさんと一月に一回会う毎に、局面の確かな進展を聞くことができ、楽しませて貰った。そして、私自身その一隅にいる思いで、次の進展を楽しみにしている。「こういう出会いを作ってくれた神様に感謝をしないと」とあらためて思う程である。              [‘98.12.14]

[注] 冒頭の写真は、町役場が作成したビデオの中の「T君、漁船乗組み中」の3シーンを転写させて頂いたものです。

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