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瀬川 滋
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全員で完登万歳 |
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「日本百名山」とは、山を愛した随筆家の故深田久弥氏が昭和39年に山の品格、歴史、個性それに高さを評価して日本全国 の山より百山選んだものである。長野県に約1/3、関東甲静越に1/3、残り1/3は北は利尻から南は屋久島まに点在する 。私がそれをはっきりと意識したのは平成になってから。それまでに登った山を数えてみると約半分。良く一緒に登山している会社の仲間・川崎氏もほぼ同じペース。よしやってみるかと二人で決意してから7年。二人共未登峰の山には一緒に、そうでない山は別々にと、お互い第一線にいるため休暇が取れず、遠出山行は夏休みにおいておき普段は夜行一泊か又は車で深夜麓まで入って仮眠し翌日一泊という強行スケジュール。平成9年に入って「あと5座、今年中に我々山仲間や家族が簡単に登れる蓼科山で同時に達成しよう」約束し、この年の8月23日に99座目の南アルプス最奥・塩見岳を征す。さああとひとつ。 我々の山仲間は頂上ではバン歳をし、山行途中で必ず手作りグルメを味わうことからバングル(BanGour)山岳会と称するが、我々が百名山を完登する時は会員とその家族皆で揃って登頂し、下山後完登パーティーをやろうと企画してくれている。その趣旨書に曰く、”この度・・・日本百名山を99まで登頂せられ最後に信州名峰蓼科山一山を残すところとなりました。両氏はこの間、職場におかれては出世はもとより世俗的欲求を立ち切り、ご家族の冷たい目を物ともせず刻苦勉励の末に達せられた登頂成果であると我々は深い敬意を表すものであります。人の為世のため何ら寄与するところが無いこの行為が讃えられるのは、両人の内面に秘めたる高尚なる精神のみが打ち立てうる崇高なケルンだからであります。・・・我々はここに両氏の百名山完登の歴史的壮挙をしかと見届け、盛大に祝賀するため、下記のごとく「蓼科山同行登山」を計画するに致りました。・・・” ![]() |
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山岳会メンバーは私を除いて皆東京周辺。関西からも何人か同行して貰おうと、高校時代のクラブの後輩夫婦、大学の卒論仲間夫婦、職場の同僚にも声をかけ、家内も入れて7人が前日の10日2台の車に分乗して八ケ岳に向けて出発。そこに山岳会の会長の別荘があり、関西組はそこに宿泊。そして関西組で前夜祭。関東組の1人が差し入れてくれたニュージーランド牛乳焼酎が飲みやすく、美味しいと女性軍に受け深夜までワイワイガヤガヤ。 そして迎えた当日。集合場所の蓼科山麓の大河原峠に集合。総勢約30人。関東組は会員もしくはその友人。皆夫人連れ。奥方衆は普段顔を合わさない方が多いので家族揃って祝って頂いているんだと力が湧く。2人同時達成は珍しいと信越放送からのテレビクルーも取材に来ておりインタビューも受ける。もう1人のヒーロー川崎氏は3才の孫にも感激を味わせようと手作りの背子に背負ってきている。又会長の大学時代のスキー部の後輩K氏は十年ほど前にスキー事故でストックが頭に刺さり、足が不自由なのに是非登りたいと参加してくれている。とびきりの美人がいるなと思っていたらその奥さんであの小宮悦子アナを育てたテレビ朝日元美人アナ。さらにはつい直前まで入院していて退院したばかりの山仲間の奥さんもいる。我が家内は本格的な山に登るのは初めてというのに昨夜の焼酎の軽い二日酔いで調子悪いとブツブツ。・・・ 会長の挨拶があり一斉に登山開始。それをテレビのカメラが追う。最初は軽快。峠は紅葉がきれいだったが、登るにつれ天気は冴えなくなる。そう言えば我々の山行で川崎氏ともう一人のA氏が揃うと雨というジンクスがあるが、今日は2人揃っている。こんな時位は外れてくれても良さそうなのにおてんと様も気が利かない。K氏は仲間の尤も剛力が体を支え、腰にはロープを巻きそれを何人かが引っ張る。頂上に近づけば近づくほど傾斜は急になり、岩も多くなり皆の息が荒れてくる。私はこの山岳会の山行では必ず殿(しんがり)を努めてきたので今回も殿を歩く。皆のペースが遅いので私は散歩気分。今日まで36年かかったが、百の山には百の思い出があり、各山でのそれぞれの思い出が走馬灯のように駆け巡る。良くやってこれたものだと我ながら感無量。いたく感慨に耽っている内に頂上。 SBCよりインタビューを受ける2人 |
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頂上はジンクス通り一面のガス。本来であれば蓼科山の円形の山裾に落葉松等の紅葉が一面に広がるはずだが、回りの景色は何も見えない。そんな中であわただしく三角点にタッチ。瞬間何か込み上げてくるものがある。それから完登記念セレモニー。うやうやしく会長より認定書を授かる。そして恒例の万歳三唱。いつもやっていることだがこの日は又格別。仲間の奥さんの書道家が書いた「祝日本百名山登頂完全達成」の横断幕を広げての全員並んでの記念撮影。家内と一緒に百名山で万歳は初めて、2人並んで写して貰う撮影にも力が入る。本当は先に昼食をし、三角点タッチを12時13分14秒にすることになっていたが、何分の天気。寒さもあって外での昼食は無理と先にセレモニーを済ませ、暖かい小屋に逃げ込んで昼食。従って実際の登頂時間はもう少し早いが公式タイムは9ー10ー11ー12ー13ー14と並ぶ上記時間とすることとなった。こんなところにも「しゃれ」を持ち込むのも我がクラブの面目躍如。 無事下山後、会長の別荘に全員集合。ここで記念パーティー。30人以上もの人が集まるといろんな腕を持った人がいて、いろんな料理と酒がが所狭しと並ぶ。バングルの「GOUR]の本領がこんなところで如何無く発揮される。尤も我が山岳会のシェフこと川崎氏が今日は主賓の1人のため調理に参加できず、その分会長夫人に最大の腕を奮って頂く。宴会が始まったところで6時の信越放送SBCニュースの放映。ワイワイガヤガヤ立錐の余地の無い中ではっきり見えないが確かに2人の姿が写っている(このビデオは後日入手)。乾杯の後会長挨拶、我々夫妻からのお礼の挨拶、そして出席者それぞれからも感想等が述べられる。司会はプロのアナウンサーおよびアドリブにかけてはプロまがいの者がいるので、笑いの連続で初対面な人も多いのに和気藹々。我々がお礼に準備した日本地図に100山の位置が示してある2人の名前入りバンダナも好評で花を添えたか。
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皆が帰った後関西組と一部のメンバーが残って2次会。例の焼酎が大活躍。女性軍が相変わらず主導権。日頃のうっぷんを晴らされ男性軍はタジタジ。ここまでこれたのも家庭でのバックアップがあっての賜物と先程持ち上げた効果も無くただただ頷くのみ。翌日は晴れ。帰途の茅野の町から円錐形の蓼科山がはっきり見えた。家内は昨日ガスがかかっていたから登れたんで、もし晴れていたら今日見えてる雄々しきでは足が竦んで登れなかったんではないかため息をついている。南アルプスと中央アルプスが手にとるようにして車中から望める伊那路を快走しながら一路中央道を下って帰途についた。 |
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