少し賢くなった「良寛ゆかりの地の歩き方」     辻 淳二

 

 「越後線問題」への活路を追求

 昨年から、新潟の大学に講義に出かけるのを利用して、JR越後線沿いに点在する「良寛ゆかりの地」を訪ねるフィールドワークをしている。昨年は先ず、良寛ご本人と関わりが深かった場所をさーっと歩いた。具体的には、生地(出雲崎)、玉島・円通寺等での禅修行から帰郷後独居していた庵(弥彦に近い国上山中、2ケ所)、その庵から托鉢に出かけた街(現・分水町)、晩年を過ごした木村元右衛門宅(現・三島郡和島村島崎)など。そして、これらがいずれも越後線沿線で近いのに同線の本数が日中に少なくて、「動きを制約されるもどかしさ」を実感させられた(当ホームページ「投稿広場」00年6月号)。
 今年も、4月から毎週出かけたのを活かし、去年廻りきれなかったゆかりの地へと足を運んだ。結果として、2年目ともなれば多少は知恵がついて、「去年とは一歩前進した歩き方ができたな」といま振り返っている。「どんな知恵がついたのか」、他愛ないことだが、その話を「良寛ゆかりの地トレース」の近況報告を兼ねて、書くことにしたい。一言で言えば、今年は訪問先を選ぶコンセプトを少しずらし、「(ご本人でなく)良寛のお世話をしつつ、深く交流した人達ゆかりの場所」とした。そして、これらを訪ねる中で上記の“一歩前進”の流れを掴まえる「触媒」の役をJRの『ゾーン周遊キップ』がやってくれたという話である。
 春先のある日、駅の前売り窓口でJRの時刻表をめくっていて、偶然『ゾーン周遊キップ』というのがあることに気がついた。よく見ると、出発地から二百キロ以上先の地域という条件で「そのゾーン内なら、何回乗っても一定料金」という“遠距離旅行奨励の割引サービス”だった。因みに、全国にある対象ゾーンの内、私が愛用することになった『越後・新潟ゾーン』キップは「長岡を東京からの入口にして、西は柏崎、東は会津若松、北は村上と小国まで行けて、そのゾーン内を何回乗っても3,980円」というもの。加えて、「このゾーン内に私の行く大学最寄の越後線・越後赤塚もあり、しかも長岡から新潟までは新幹線に乗ってもいい」ことになっている!。見つけた瞬間、「よし。今年はこれを活用しよう」と心に決めた。冷静に考えれば、5年も新潟に行っていて「こういうサービスがあるに違いない」と思い付かなかったのが格好悪いような話なのだが、遅まきながら気がついたのを良しとしよう。

 「沿線駅と長岡を繋ぐバス」が流れを変えた

 これが効果を発揮した最初は、講義を終えた日の夜に新潟に泊って、翌日の早朝に越後線・分水駅に降り、そこから近隣に点在する支援者達の家(阿部家、解良家、原田家。いずれも、良寛の国上山からの托鉢先となる麓の街に住む支援者たちの家)を訪ねた時だった。今年は、2日続けて越後線に乗る時は、東京を発つ前日に上記のゾーンキップを買う。この日もそうして来たのだが、午後には新潟に戻っていなければならなかったので、たいした役には立たないと予想していた。実際、分水駅で帰りの時刻表を見るとこの地に居られる時間は2時間程度、「越後線のかったるさは、去年と変わっていない」とあらためて思い知らされ、この三家を訪ねて(各家とも末裔の人が住んでいるが、記念館のようなことにはなっていない。従って、庭先に入らせて貰って、往時を思い写真を撮っただけ)駅に戻ってきたのだった。そこで図らずも、駅前にバス停の目印が目に留まり、行き先(終点)は長岡で、2時間に一便くらいしかないのに次便は30分くらい後に出ることが分かった。長岡までの所要時間を聞くと、約一時間とのこと。かくして、新潟に午後2時までに戻るのに、越後線でおとなしく戻るのと長岡へ出て新幹線で戻るのと、2つの選択肢があることになった。うまい具合にゾーンキップを持っているから長岡―新潟間は約20分で行けてタダ!、とっさにそうヒラめいて、越後線を見送りバスを待つことにした。そしてこれが、「足は越後線しかない」と頭を硬くしていたためにかこっていた不自由さをブレークするキッカケとなった。

         阿部家

         解良家

         原田家

 膨らんだ「貞心尼への関心」

 バスは程なく稲田が広がる道に入り、途中の表示で「与板(良寛の父の生地で、長男の良寛の代わりに名主を継いだ弟・由之が出雲崎を所払いされた後に住んだ土地でもある。今年訪ねる候補地の一つ)」を指すルート表示を随所に見る田舎道を進んで、長岡市内へと入っていった。これで「与板への土地勘ができた」と感じ、下車後に地図を見ると、分水駅も与板も長岡のほぼ真北に位置し、距離的にも新潟経由で入るよりもずっと近いことが分かった。さらに、良寛と深く交流した人と言えば、「出会った時、良寛すでに70歳、一方の彼女30歳。されど、“これぞ恋歌”とも言える見事な短歌のやりとりまであった」佳人の貞心尼を欠かせない。彼女が当時生活していたのは長岡の閻魔堂という修行場で、島崎の木村家に暮らす良寛との間にたしか4〜5回の行き来があった!。ちょうど、二人の交流を貞心尼の側から描いた小説、瀬戸内寂聴の『手毬』を読み終えた所。これらの重なりから、私の中で「次回は、貞心尼の良寛訪問ルートをトレースしよう」との思いが大きくクローズアップされることとなった。
 そして二週間後、そのチャンスが到来した。6月初めの金、土と二日続きで新潟に泊り、しかも「土曜日は全くフリ−」という好機に恵まれたのだ。土曜日、休日なのにまともに起きて、迷いなく新潟駅内を新幹線ホームに向かう。長岡駅で降りると、駅前のバスターミナルで与板に行くバス路線を探す。結局、与板経由で越後線・小島谷駅まで行くバスがいいということになって、20分くらい待って乗り込む。今では酔狂にも良寛ゆかりの場所をめざして与板に行く人などいないらしく、運転手に聞いてもどの停留所で下りるといいか分からない。そこで「ままよ」と、バスが町の外れから中に入った所からそれらしい表示が道脇に見られないか目を凝らし、町の中心に近い停留所で『由之宗匠・隠棲地』とあるのを見つけ、そこで降りることにした。すると、この商店街通りやそこから少し引っ込んだ所に、父・以南のお墓や住み込み女中のおよしさんが良寛に「からす」という渾名をつけたりして明るく交流した支援者山田家(もう人手に渡ったのか、跡地表示があるだけ)、おばの嫁ぎ先で良寛が書を書いたひょうたんが残っているお寺、三条地区大火の死者を献身的に供養した住職に良寛が感動して送った手紙が今に伝わるお寺など、ゆかりの場所が多岐にあることが分かって、ワクワクする感じのひとときを楽しんだ。


 中でも望外だったのは、町中を少し外れて流れる黒川と言う川の橋沿いの細長い公園にここ10年くらいの間に多数の歌碑が造られて、さしずめ「良寛ゆかりの歌碑」公園となっていたこと。それも、多くの碑に(例えば)「…・・の還暦会」寄贈というように書かれているのを見ると、地元のいろんなグループと町が公民協力して造ったものらしい。しかも、そこで碑に刻まれている歌が、良寛と以南・由之、およし、同町の豪商&支援者の親族で江戸に出かけて大蔵経購入の募金集めに献身した維経尼、そして貞心尼など、ゆかりの人々との交流のエピソードを今の世に伝えている歌ばかりで、思いがけず「良寛絡みの文学散歩」を楽しめたのだった。

 「貞心尼の塩入峠越え」を足でトレース

 かくして、当初の予想より時間を費やし(町の資料館もあって、ここにも良寛ゆかりの資料も若干あった。しかしここでは、鍛冶の町らしく、入り口にドンと置かれていた“日本一大きい鉋”の方が印象深かった)、「さあ、島崎へ」と思ったその時、町で降りた時には、バスに乗る積りで小島谷ヘのバス時刻を手帳に書き留めていたのだが、幸いに雨雲が去り、リュック一つで身も軽いのに思い当たって、「ここは歩こう」ということにした。貞心尼も与板を通って島崎の良寛を訪ねていて、「若いとはいえ女性で歩けたのだから、自分が歩けない筈はない」との判断もあった。

 道は程なく登りにかかったが、当時冬場は雪で通れなかったという塩入峠は今はトンネルで抜けられるようになっていて、路辺の息抜きと言えば、トンネルの入り口近くにある良寛の歌碑と、昔は貴重だったという塩分を含む井戸(塩入の地名はここから来た?)くらい。トンネルを抜けると道はゆっくりした下り坂になって、稲田の中に集落が点在する景色の中をひたすら歩き続けると、途中の行き先表示が「良寛の里」となってきて、ゴールが近ずいていることが分かる。


 結局、乗る筈だったバスにはゴール近くを東西に走る国道116号線に出る直前で抜かれ、その後国道を2キロ程歩いてゴールの和島村・良寛の里に到着した。与板の町からおよそ6〜7キロ、図らずも去年とほぼ同規模のウオーキングとなった。到着地には「良寛の里・美術館」があって去年も訪ねているが、今度もまた中に入り、あらためてゆっくりとビデオを見、展示物を見学した。館内通路の庭の見える角に「良寛と貞心尼が向かい合って会話する彫塑」が飾られている。これが今年は去年よりずっとイメージに残ったのは、ここに至る彼女の往路をトレースしてきたせいだったろうか。

 翌日、即、閻魔堂へ

 館内を出て軽い疲労感と快い充足感の中で思ったのは、「雪のある冬期を除いて、貞心尼にとって、与板から島崎ヘの道は格別大変ではなかったろう」ということだった。そしてそこで、一つの疑問がフト脳裏を横切った。自分は長岡から与板まではバスで来た。バスで確か30〜40分かかった。「彼女がこの間も歩いていたとしたら、一日で行くのは結構大変だったのでは?」。かくして、次の好奇心が生まれ、翌朝の行動指針が定まった。翌日の日曜日は午後から仕事があったのだが、午前中はフリーだった。そこで、この時間を使って長岡の「閻魔堂」跡を訪ねることにした。
 翌日また新幹線で長岡に来て、駅からの出口を昨日と反対側に出てバスのルートマップを見るが、閻魔堂がある市内福島町を通る路線には好便がない。そこで仕方なく、タクシーに頼んで直接行って貰うことにする。閻魔堂に行くのにタクシーに乗る人は少ないのか、近くに行って道を訊きながら、小さな集落を縫う狭い道をたどって到着した。戻りの足もままならない感じだったので、タクシーに待って貰うことにして堂ヘのアプローチを50メートル程進むと、まだ新しいお堂風の建物(平成になって復元)が見え、前庭の芝生に4人の女性達がくつろいで座ってお喋りをしていた。他に訪問者はなく、お堂にはカギが掛かっていたので隙間から中を覗き込むようにしていると、女性方の中の一人が立ってきて、「カギを開けましょう」と取りに行ってくれた。この方がお堂の土地の持ち主で、管理の役も引き受けておられるとのこと。

 中に入ると、正面に閻魔様をはじめ冥土ヘの道々を管理する大王諸像が飾られ、右手の部屋に貞心尼の修業生活のイメージが再現されていた。そして、入り口に置かれていたお堂の案内パンフを見て、昨日来の疑問はあっさりと解決した。彼女は、長岡から与板までは舟を使っていたのだった! 確かに、長岡駅やや西側の市内を信濃川が流れているし、与板でも昨日歩いた時に町の東外れを信濃川が流れているのを見ていたから、ストンと納得がいった。その後、待って貰ったタクシーで長岡駅まで戻ったので、約5千円の予定外の出費が発生した。しかし、小なりとは言えこういう「好奇心を芽生えさせ、それを満たすことのできた充足感」は、やはり自分でフットワークよく現場に出向かないと手に入らないもの。そのことを体得できたことで「この朝の行動の元は取れた」と思うことにした。


 フルに活用! 「ゾーンキップ」

 さらに、この二日間の「良寛ゆかりの地」巡りが、『ゾーン周遊キップ』が効用を発揮したハイライトでもあった。この回は、通常の回の都区内ー新潟間の往復以外に、土曜に新潟ー長岡と燕三条ー新潟(小島谷からの帰路、越後線吉田駅で弥彦線に乗り換え燕三条に抜けた。時間的にその方が新潟に早く着くので)、日曜に新潟ー長岡(往復)の新幹線に乗った。これらが全て、ゾーンキップでカバーされるので、当日に払う交通費はゼロ、金額にして約一万円のコストセーブになったのである。
 このように、ちょっとした気付きから、サイフを気にせずに思い切って動く流れを掴めたのは“確かな一歩前進”だった。その後は何回か新潟入りしながら活用はできなかったが、「来春、また出かけるようになったらもっと伸び伸びと活用しよう」とのいい余韻を残して今年を終えることができたことを素直に喜んでいる。[2001.7.31]

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