[シリーズ:心に残るみてら・みほとけ(その1)]
安産寺・子安地蔵
林 淳一朗
安産寺は、奈良県宇陀郡室生村三本松中村にある無宗派のみてら。子安地蔵は、安産寺に祀られている重要文化財の地蔵菩薩(写真は、ここをクリックして見て下さい)。
室生村は、いうまでもないが、女人高野室生寺のある村。安産寺は、宇陀川を挟んで、室生寺の対岸にある。お寺と言うより、お堂のような愛らしい建物である。三本松中村区の人々によって護られ、管理されている。住職はおかれていない。
子安地蔵は、謎に包まれたお地蔵さまだと私は思っている。謎は二つ。
一つは、この地蔵菩薩はもともと室生寺においでになったみほとけで、それが、どういう経緯があったのか、仲間と離れて、ひとり安産寺においでになる。「室生寺のみほとけがなぜここに?
」が、一つ目の謎。二つ目は、この地蔵菩薩の光背が室生寺に残っていること。「なぜ光背と引き離されて、お地蔵さまはここにおいでになるのか?」、これも私にとって大きな謎である。
光背から引き離されたお地蔵さまは、寂しそうだ。後ろ楯がないので、なんとなく所在なさそうにお立ちになっているように見える。室生寺に残っている光背は、子安地蔵より一回り小さいお地蔵さまの後にたてられている。金堂中尊・薬師如来像のむかって右側、一番端っこの地蔵さまの背後に飾られている。お地蔵さまより20センチメートルは大きい。誰がみてもミスマッチである。
この光背を、子安地蔵さんに嵌めたことがある。ぴたりと嵌まったと言う。嵌めてみたのは、日本テレビ放送網。東京国立博物館と共催して『大和古寺の仏たち』という特別展を開催した時(平成五年春)に、子安地蔵と本来子安地蔵のものと思われる光背を一緒に出展するにあたって嵌めてみたらしい。安産寺でいただいたパンフレットにも、「子安地蔵と室生寺にある光背が一致する」と書いてある。さらに、「このみほとけは、室生寺からお越しになった」と書いてある。
だが、「なぜ?
かはわからない」とも書いてある。パンフレットには、時ならぬ豪雨で室生川を流されてたどり着いたと言う、土地の古老の言い伝えが紹介してある。この伝承は、オハナシとしては面白いが、お地蔵さまに川を流された時に当然に生じただろうと思われる損傷の痕跡はないから、たれも信じてはいないようだ。
平成九年春四月、私は妻と連れ立って、安産寺にお邪魔した。中村区の当番の役員の方にあらかじめ電話して都合を伺い、打ち合わせた時間にお堂の前に立った。すでに役員の方が二人お見えになっていて、お茶をいれて待っていてくださった。
「このお地蔵さまは、私たちが若いころは、お堂の隅に何気ない感じでおいてありましたです。そんな大事な仏さんとは思っていませんでした。身近な親しい存在でした」
「立派なお堂が増築されていますね」
「戦争が終わって、国宝・重要文化財の見直しがあったのです。そのとき、この仏さんは重要文化財に指定されたのですが、ここに置いておいては、防災上問題だと言われましてね。奈良国立博物館に委託保管されました。その後、何とかしてここに戻っていただきたいと地区のものが運動しました。自分たちで浄財を集め、国や県などの補助金ももらって、空調完備の鉄筋コンクリートのお堂を建て増しました。そうやってやっとこ帰っていただきました。大変でした。大変さは今もかわりありません。お堂の維持管理が大変です。ごらんのような急な斜面に立つ、貧しい農家の集まりですからね。」
「ご苦労なさいますねえ」
「でも、郷土の誇りですから」
子安地蔵は、像高177、5p、榧の一木から彫成された平安時代の作とされている。おそらく室生寺中尊薬師如来と同じ仏師が彫ったものと言われている。かっては、美しく彩色されていたが、今は、枯淡な木肌が人を誘い込むような端正な姿でお立ちになっている。
「このお地蔵さまがここにおいでになると言うことは、かって、室生寺とこの地区の間に、よほど強い結びつきがあったと言うことを想像させるね」
「それにしても、美しいみほとけね」
お暇乞いをして、近鉄大阪線三本松駅に向かって斜面を下りながら、私たちは、つきない想いに身をゆだねたのだった。