[シリーズ投稿]私の趣味:クラシック音楽ア・ラ・カルト(その4)
『ベートーヴェン ピアノ・ソナタ第30番作品109』の謎
大村 英堯
ロンドンのブロードウッド社から贈られたピアノ
1818年、ベートーヴェンは、ロンドンのピアノ製造会社ジョン・ブロードウッド・アンド・サンズ社から1台のグランドピアノの寄贈をうけました。 このピアノは、C1からc4までの6オクターヴの73鍵あり、現在のピアノに相当する2本のペダルをもち、表情豊かでダイナミックな音色を出せるものでした。その当時ベートーヴェンが専ら使用していたシュトライヒャーなどのウィーン製のピアノも同じく6オクターヴ73鍵ありましたが、音域はF1からf4までであったので、ブロードウッドのピアノは完全3度分だけ低音部にずれたものでした。
現在の普通のピアノの音域は、このいずれをもカバーして余りあるA2〜c5の88鍵7オクターヴです。私の大好きなピアニスト藤原由紀乃さんが愛用するベーセンドルファーの「インペリアル」では、さらに低音部が拡張され、8オクターヴ97鍵、C3〜c5の音域があります。一番下のC3音の周波数はおよそ16ヘルツ、人間が聞こえる音の下限に近く、重低音を響かせる効果が発揮されています。
ところで、ピアノ寄贈の予告を受けたベートーヴェンは嬉しさのあまり、つぎのような礼状を書いています。
「お贈りくださるピアノが到着する由のお知らせを受け、これ以上の大きな喜びはありません。私はそれを祭壇と思い、アポロの神に最も美しい奉納品を捧げる光栄をあなたから与えられたのです。あなたの優れた楽器を手にしましたら、直ちにその瞬間に得ました霊感の果実を、わが最も親愛なるブロードウッドさんへの記念品としてお贈りし、それがあなたの楽器に相応しいものであれかしと心から願う次第です。わが親愛なる友でもあるあなたは、友であり、またいとも賤しい召使からの最大の尊敬をお納めください。 ルイ・ヴァン・ベートーヴェン 1818.2.3 」 (小松雄一郎訳「ベートーヴェン書簡集」音楽の友社刊)
さて、想像がつくことですが、ベートーヴェンの時代にこのピアノをロンドンからウィーンまで運ぶということは大変なことでした。ロンドンで船積みし、ジブラルタル海峡を通って地中海を経てアドリア海のベネチア湾のトリエステ(イタリア)で陸揚げ、そこからはアルプスを越えて580kmの道のりを馬車でウィーンまで運んだそうです。ベートーヴェンはこのピアノが大変気に入って、ロンドンからブロードウッドの紹介状をもってやってきた調律師を唯一の例外として、そのほかの誰にも一切手を触れさせなかったそうです。 当時聴力がかなり弱っていたベートーヴェンはできるだけ音量が豊かな楽器を必要としていたので、このピアノが彼の創作意欲を大いに刺激し、このピアノで最後のソナタ第30番作品109(1820)、第31番110(1822)、第32番作品111(1822)の3曲を書いたと言われています。先のブロードウッドあての手紙にあるとおり、「アポロの神に最も美しい奉納品」、「霊感の果実」を予告どおり実現させたわけです。
ベートーヴェンはその後1825年(ベートーヴェン55歳、死の2年前)に、音域が6オクターヴ半に拡張され、音量もさらに豊かになったグラーフ社製のピアノを入手しましたが、この時期には彼の聴覚は完全に失われていたため、もはやこの楽器でピアノ・ソナタを書くことはありませんでした。したがって実質的には、このブロードウッドのピアノが、ベートーヴェンが使用した最後のピアノということになります。名曲がうまれた背景事情として興味が尽きません。
私の好きな曲・私が尊敬する曲のひとつ 第30番作品109
「丸山真男・音楽の対話」(中野雄著・文春新書)の中に、「私が好きな曲・私が心から尊敬する曲」というくだりがあります。 “好きな曲”とは「どんな気分のときにでもききたい曲」、 “心から尊敬する曲”とは「妬ましいとまで思う曲」と定義して、15人の作曲者の30曲ほどをリストアップしています(同書49ページ以下)。そのなかで、ベートーヴェンのピアノ・ソナタからは“好きな曲”として第31番作品110、“尊敬する曲”として第23番作品57「熱情」が選ばれています。また、“好きな曲”のうちフォーレの「レクイエム」にはご丁寧に 《→私が死んだときにはこのレコードをかけてもらいたい》 との注書きまであります。 あの戦後日本を代表する知的リーダで大思想史家の丸山真男の感受性の豊かさに驚嘆するとともに、ほほえましい気持ちにさせられました。残念ながら第30番作品109は選ばれておりませんが、丸山真男の真意は第30・31・32番の3曲を代表して31番を選んだのだろうと、私は勝手に思いを巡らせています。
かって私は、これにヒントに、自分でも“好きな曲”、“尊敬する曲”、それに加えて“死んだときに流してもらいたい曲” のリストを作ってみようと試みたことがありました。あれこれ思案した結果、ギブアップしていまいました。丸山真男の分類定義がどうも適当でない、つまり、「好きな曲」=「どんな気分のときにでもききたい曲」は理解できるとしても、「心から尊敬する曲」=「妬ましいとまで思う曲」 という定義の実感がわかない、「妬ましい」曲に出くわしたことがない、「好き」でありかつ「尊敬する」曲をどちらに入れるべきか、また「死んだときに流してもらいたい曲」と私が思っても、それが残されたもののそのときの気持ちに果たしてかなうものであるのか、むしろ「好きな曲」として生きているうちに存分に聴いておくことと同義ではないのか、さらに同じ曲でも演奏家により自分の感じ方がずいぶんと変わるので、「好き」・「尊敬」は「曲」と「演奏」の組み合わせ抜きでは考えられないのではないか、・・・などの疑問が次から次へとわいてきて、とてもリストを作るどころではなくなったからです。
いずれにせよ、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第30番作品109は私の「好きな曲」であり、かつ「尊敬する曲」の一つであることに相違はありません。「なぜ好きか」は「好きだから好きだ」というほかはなくうまく説明できませんが、なぜ「尊敬するか」となると理由はいたって簡単、晩年のベートーヴェンが書いた曲だからです。実生活上で甥カールの後見問題に悩まされ、耳はほとんど聞こえないという重大な苦境にもめげず、創作意欲をますます燃え立たせ、巨大なピアノ・ソナタ第29番作品106「ハンマークラヴィーア」を1818年に完成したばかりなのに、大作《ミサ・ソレムニス》と《第九交響曲》の創作に挑み、その格闘の合間に、第30番を1820年に、第31と32番を1822年に、と矢継ぎ早に完成させてしまう、その凄まじさ・気迫・精神集中力・作品の斬新さに打たれざるを得ません。200年後の今日でも世界中の人々から『楽聖』とあがめられるのは、けだし当然のことだと思います。
この曲は完成後、ベートーヴェンが可愛がっていた18歳のマクシミリアーネ・ブレンターノ嬢(1802-1861)に献呈されました。ブレンターノ家とベートーヴェンとは古くから親交があり、マクシミリアーネの父親フランツはフランクフルトの富裕な商人で後に詩人、母親のアントーニエはベートーヴェンからディアベリ変奏曲を贈られ映画で《不滅の恋人》として有力視された人物、叔母のベッティーナはベートーヴェンとゲーテの仲をとりもったことで知られた有名な才女です。 1821年11月にベルリンのシュレジンガー社、ウィーンのアルタリア社・カッピ&ディアベッリ社・シュタイナー社から同時出版されました。この曲の鑑賞のポイントは一般の音楽書に譲るとして、とにかく第3楽章のシンプルな美しさは絶品です。この世のものとは思えない叙情性に溢れています。第3楽章はわずか13分あまりなので、クラシックファンでない方でもぜひ一度聴くことをお勧めします。
第30番作品109の謎:cis4音
ここで私が、皆さんにぜひお伝えしたいと思うことが一つあります。
それは、この曲の第3楽章アンダンテ・モルト・カンタービレ・エスプレシヴォの第4変奏テンポ・プリモ・デル・テーマ・カンタービレにある cis4
の音です。 “歌うように、心の奥底から感情をこめて”の曲想標語のもとに、主題のリズムが4分音符、8部音符、16分音符と次第に加速され、24小節にも及ぶ長大なH1とh1のトリルのクレッシェンドの中に32分音符で溶解していきます。その圧倒的なクライマックスと急激な崩壊のなかで、魂がはるか遠くの天空に連れ去られるような感覚を私は味わいます。このクライマックスから沈静に向かうときに聞こえる鐘の音とともに魂が昇華されていくような感覚です。この恍惚感を放射したあと曲は次第に静かになり、最初のテーマがもう一度天上の歌として復活し、静かに重々しく下降しながらピアニッシモの中に消え去るのです。 このクライマックスでの鐘の音は高音域で24個の4分音符を点綴させることで表現されていますが、その最頂点の音がcis4 の3つの4分音符です。この音はまさに第30番作品109のなかで最も崇高な音です。この音を欠いてはこの曲全体が成り立たなくなるといってもよいほどであると思います。ベートーヴェンが最後に到達した究極の崇高な世界がここにあると思います。
ところで、前述のようにベートーヴェンがこの曲を作曲したときに使用したブロードウッドのピアノの最高音はc4までで、それより半音高いcis4の音はありませんでした。 それ以前に使っていたシュトライヒャーなどのウィーン製のピアノなら最高音はf4なので問題はありませんが、そうするとこの曲の第1楽章ヴィヴァーチェ・マ・ノン・トロッポの第13・14小節にある低音のDis4音が出せなくなります。当時のシュトライヒャーなどのウィーン製ピアノでは最低音はF1まででE1やさらに半音低いDis1の音域がないからです。とすると、作曲時はさておき、実際の演奏はどのように行われたのでしょうか? 第1・2楽章では低音を響かせてブロードウッドで、第3楽章はシュトライヒャーでと、2台のピアノを使い分けたのでしょうか? いや、当時はピアノの技術革新期だったので、この曲が完成して間もなく高音部も低音部も拡張されたピアノが開発されたので問題はなかったというのでしょうか? それとも、1825年のグラーフ社製の6オクターヴ半のピアノが出るまでは演奏されることはなかったということでしょうか? 献呈されたマクシミリアーネ・ブレンターノには、いつ誰がどのようにして聴かせたのでしょうか? さまざまなことが考えられますが、私は自分の研究不足もあって、いまだにこのあたりの事情に関する専門家の解説に触れたことがありません。
しかし私が思うに、「cis4の音はあまりにも大切なので、耳のよく聴こえるみなさんもぜひ私と同じように心の耳で聴いてほしい」 とベートーヴェンが敢えて要求したのではないかと解釈すると、夢があって深遠なこの曲に最も相応しいのではないかと考えたいのです。いかがなものでしょうか? このように考える自分は本当のところ、真相をいつまでも知らずに、むしろ「謎」としてそのままにおきたい気持ちも多分にあります。
(注) 本文中に用いた音名について