[シリーズ投稿] 新聞の研究(その3)
松井選手のMLB挑戦を巡って 柳下 彊
昨年の11月はじめに、松井秀喜選手がFA権を行使してMLBに移籍したい希望を発表したときは、「良かったなあ、松井選手も、才能と努力に相応しい活躍の場が得られることになったなあ」という安堵と喜びの入り混じった感動を覚えました。というのは、2002年のシーズン中を通して、シーズン終了後に松井選手が大リーグ移籍希望を表明するのか、日本球界に残ることになるのかについては、メディア上で様々な憶測が飛び交う中、本人は「今は、チームの優勝以外のことは考えていない。」と言い続けるばかりで、その本心を図りかねる一方、2002年シーズンの契約に際して球団側から複数年契約の提示があり、松井選手はその提案を断るなど、日本球界(というより巨人)に引留めようとする動きが目立ち、松井選手が自分の意志を実現することができるのか、心配していたからでした。
以下では、松井選手が日本球界からMLBへとどのように送り出され、MLBでの活躍についてどのように報道されているか、その報道について筆者の感ずるところを述べることにします。
1 松井選手はどのように送り出されたか。
2001年5月5日の朝日新聞に、当時の巨人監督だった長嶋茂雄氏の名前による「私の視点」「松井よ、君は残ってほしい」と題した記事が掲載されました。
『いずれうちの松井も大リーグに行きたいと言う時が来るでしょう。イチロー君があれだけやれるのだから、「おれもやってみたい」という気持ちは当然持っていると思います。しかし松井は球界を代表するビッグタレントですから、球界全体の問題でもある。行かせてやりたい気持ちはやまやまですが、日本球界のために残ってほしいという思いもあります。』
それでも松井選手は、やむにやまれぬ思いから大リーグへの移籍希望を宣言し、目出度くヤンキース球団と契約し、4月下旬から5月中にかけて不調の時期はありましたが、6月にはRookie of the monthに選ばれ、またオール・スター戦にもア・リーグから新人としてただ一人先発メンバーに選出され目出度く初ヒットを記録するなどの目覚しい活躍振りを示しつつあるのは、喜ばしい限りです。この間、長嶋氏も愛弟子の活躍振りが心配になったのか、4月から5月初めにかけて渡米して、松井、イチロー両選手に会っています。両選手とも、調子は良くない時期でしたが、長嶋氏の所見は、「イチロー選手はまったく心配ない。直ぐに打ち出すでしょうが、松井はもうしばらく時間がかかるでしょう。」というものでした。長嶋氏の診断はさすがに的確で、イチロー選手は5月に入ると間もなく、例年のように調子を上げて、見る見るうちに打率首位の座に迫る勢いを見せ始めたのですが、松井選手が調子を上げはじめたのは、上にも述べたとおり6月に入ってからでした。この米国訪問に際して次のような記事が朝日新聞に掲載されました。
2003年5月2日 朝刊 「我が子」を思う長嶋氏
『我が子を思う親の気持ちかもしれない。このところ結果の出ていない松井の打撃練習を、テレビ解説などの仕事で訪れている長嶋・前巨人監督が注意深く見守った。』
2003年5月3日 朝刊 松井は僕の夢の使者
手本はいつもディマジオ メジャー入り熱望していた
『(ヤンキースという)名門チームの中で松井が活躍している姿を見ると、何か夢を、自分にできなかったメジャーでのプレーを、松井が代行でかなえてくれてるんじゃないかなという気持ちがありますよ。感無量です。・・・・立大の監督の砂押さんが、僕を指導していた時、打撃も走塁もモデルは必ずディマジオだったんです。・・・・だから僕はメジャーでプレーしたいというひとしお強い希望があったんですよ。』
これらの記事の中に見える長島氏は、大リーグで活躍する松井選手の姿に感情移入した結果、やや感傷的になっているように感じられますが、長嶋氏の楽観的な性格はよく表れていて、悪い感じではありません。巨人からヤンキースへの移籍という試練を経た後も、松井選手と長嶋前監督という二人の大スターの間に変わらない信頼関係が保たれているように見えるのもほほえましい光景といえるでしょう。ただし、朝日新聞が松井選手の移籍までの間にあった事実、しかも自らが報道した事実を忘れたかのようによそおい、「結果良ければ、全て良し。」と言わんばかりに、スターの人気に便乗する記事を平然と掲載する姿勢は、私には理解できないものです。上に挙げた三つの記事に付けられた標題を並べて見ると、
1.
松井よ、君には(巨人に)残ってほしい(2001.5.5)
2.
「我が子(松井)」を思う長嶋氏(2003.5.2)
3.
(愛弟子)松井は僕の夢の使者(2003.5.3)
のようになります。この行間のどこかに、偽善が隠れているように感じるのは筆者だけでしょうか。
2 松井選手のMLBでの活躍
3月31日に行われた対ブルージェイズ開幕戦の第1打席でヒットを飛ばした後、松井選手は、地元ニューヨークの対ツインズ本拠地デビュー戦で満塁ホームランを放つなど、ヤンキースタジアムでの10連戦を終えアナハイムに転戦した4月下旬までは好調を維持していました(4月21日現在の通算打率は.308)が、以後6月はじめまでの約1ヵ月半の期間は打撃不振に陥り、ゴロによりアウトに討ち取られるケースが多かったために、ニューヨークタイムス紙上で「ゴロ王」“Ground
Ball King”と揶揄されるなど、地元メディアでも酷評されることになりました
(6月4日現在の通算打率.250)
。
2003.05.22 The New York Times(電子版)
Ground
Ball King
An
unusual thing has happened to the Yankees' Hideki Matsui, the three-time
Japanese home run king. He has become a prolific ground ball hitter. According
to Stats Inc., Matsui had hit 97 ground balls through Tuesday, the most in the
majors this season. The two hitters directly below him among the American League
leaders are speedsters:
Matsui is aware of the problem. ''For all hitters, you want to hit a line drive to the outfield,'' he said through an interpreter. ''That's the goal for a hitter.'' (By TYLER KEPNER)
2003.05.22 Newsday(電子版)
2003.06.05 朝日夕刊 流し打ちでやっと 本塁打の花火いつ
今年開場したグレート・アメリカン・ボールパークでは、レッズの選手がホームランを打つたびに花火があがる。ブーンが、ケーシーが、ラルーが、そしてグリフィーがアーチをかけた。中略。ぼうぜんと打球を見送り、花火の煙に巻かれる松井はセンターで何を思うか。本塁打の出る兆候はない。ようやく10打席ぶりの安打が第3打席に出た。右腕ウイルソンの高めの直球を左翼へ流した二塁打。長打は流し打ちで。これが最近の松井の傾向だ。中略。相手のウイルソンは昨年、デビルレイズで6勝12敗、今年も2勝4敗といわば大リーグでは“並”の投手。しかし変化球にほんろうされ、3、7回には空振りの三振を喫した。
松井の入り込んだ闇は限りなく深い。(堀川貴弘記者)
米紙と朝日紙とで、同じ松井選手の打撃不振の報道の仕方が対照的なので、上に並べてみました。ニューヨークタイムスおよびニューズデイ両紙の記事は、両方とも松井選手のプレーに関わる客観的な事実を正確に述べたうえで、ニューヨークタイムス紙はGround Ball Kingとタイトルを付け、ニューズデイ紙はPowerless Matsui Swinging Like Rusty Gate(パワーに欠ける松井のスイングはさびついた門のよう)と表現しています。Ground Ball Kingは、言い得て妙という表現で、ユーモラスにさえ感じられます。ニューズデイ紙のPowerless Matsuiという言葉は、記者の判断が入った主観的な表現ですが、5月の松井選手はバットの芯にボールを当てることができず、ボールが外野まで飛ばなかったのは事実で、パワーに欠けると見られても仕方ない状態でした。またさびついた門のようなスイングという比喩も当時の松井選手のスイング(右肩が早く開いて手打ちになってしまったり、腰が引けてアウトコースの球についていけなかったりしていた)の印象を言い当てています。松井選手自身も、同じ頃にスタインブレナー(ヤンキース・オーナー)氏が言ったとされるパワー不足という言葉に対して、「今の成績ではそう言われても仕方ないと思うし、自分でもああそうだなと思う。」と話しています。
朝日の記事は、地元紙とは対照的に記者の主観が記事の主調を占めています。私は残念ながらこの試合のテレビ中継は見ていないのですが、欠場のバーニー・ウイリアムスに代わってセンターの守備位置についた松井選手が相手方の飛球をぼうぜんと見送る姿など一度も見たことはありませんし、勝ち星の挙がっていない投手だから打てるとは限らないのがバッティングの難しさなのではないでしょうか。グラウンド上の松井が何を思うかというのも失礼な表現で、松井選手は自チームの勝利に貢献するためにプレーに集中していた筈です。記事の末尾にある松井の入り込んだ闇とは、具体的に何を指しているのでしょうか。またそれが限りなく深いとはどういう根拠によってそう考えるのでしょうか。私には、むしろこの言葉“松井の入り込んだ闇は限りなく深い。”は、記者が“私には何も見えていない”と宣言しているように読めます。朝日新聞のこの記事には、グラウンド上で真剣に競技する一流のプレイヤー達のこころと身体のはたらきに対する理解と愛情が決定的に欠けていると感じるのは、私だけでしょうか。
この記事の掲載日の翌日、6月5日の対レッズ戦で、松井選手は打順を前日までの2番から7番に下げられましたが、リラックス効果があったのか、第2打席でセンター越しにバックスクリーンに打ち込む大ホームランを放ち、その後も3打席続けて二塁打を打つ活躍を示し、これがきっかけとなって、その後、人が代わったように打ち続けることになりました。
この時、ヤンキースのトーリ監督は2日間続けて松井選手と話し合い、一日休みを取らせることも考えたようですが、結局守備の必要もあるという判断から、打順を変える対応を選んだと、ニューヨークタイムスなどで報道されています。松井選手はこの時の話し合いについて、「監督からは、これまでやってきたことを何も否定されなかった。チームに貢献しているのだから、今までやっていることを続けてくれればいい、というような話でした。監督には僕個人のことに気を使ってもらって心苦しいと思うと同時に、とても感謝しています。」と語っています
(2003.06.18朝日「語る松井秀喜」)
。この談話は、MLBにおける監督・コーチと選手との関係を物語る挿話として、興味深いもので、野茂投手は著書「僕のトルネード戦記」に次のように書いています。
『メジャーには、トレーニング方法まで押しつける監督やコーチなんてひとりもいません。こちらがよっぽど間違えた練習をしない限り、コーチから注意を受けることもありません。もし監督やコーチが注意をすることがあるとすれば、それは選手が練習をしすぎた時くらいです。「やりすぎだ。少し休め」という程度のものです。中略。とにかく本番で力を発揮しさえすればいい、というのがメジャーの考えなんです。』
『(ラソーダ監督について)彼が一番大切にしていることは、選手とコミュニケーションをとることなのです。しかし、この考え方は決してラソーダだけのものではありません。ドジャースという球団自体も、常に選手とのコミュニケーションを大切にしています。』
この本の第5章「ベースボールと野球の違い」は、日本社会における人間関係のあり方に対する鋭い洞察を含んでおり、興味は尽きないのですが、それはともかく、松井選手のこの体験は、野茂投手の上の観察とぴたりと符合しており、松井選手にも野茂投手と同様に恵まれた環境の中で、良い体験を積み重ねてMLBを代表するプレイヤーに成長してほしいと心から願うものです。
3 見えるものをしっかりと見て書け
私は、朝日、日経、毎日の3紙を購読しており、産経と読売両紙は電子版により社説とコラム(産経抄、今週の正論、編集手帳など)を主に読んでいますが、購読している3紙に「透けて見える」という言葉が頻繁に使用されることが気になっています。この言葉を使用する記者の意識の中に「記事の対象が隠しているものを見抜いてやったぞ」という、記事の対象である人や事象に対する優越意識が隠れているように感じるのは、私の思い過ごしなのか、知りたいと思っています。この言葉は例えば次のように使用されます。
2003.04.23 朝日夕刊 本塁打なくても貢献
2点リードの6回、無死一塁で松井。0−1から、一塁走者のウイリアムズがスタートを切った。ヒット・エンド・ラン―。トーリ監督のサインに、ヤンキース野球の神髄が透けて見えた。(由利英明記者)
2003.07.21 asahi.com(電子版) 本塁打へのこだわり、捨てていない松井
「オールスター戦でもふだんの試合と同じようにやるだけです」ときまじめな言葉を繰り返していた松井だが、「ふだん通り」でなかった取り組みがあった。オールスター戦の当日と前日の打撃練習で、いつもの1キロあるマスコットバットでなく、試合用のバットで臨んだのだ。ボールのやや下っつらにバットを入れ、逆スピンをかけて打球を上げる打法。打球は軽々フェンスを越えていった。「練習時間が短い時は、試合用のバットを使うんだよ」。あとで松井は理由を語った。ただ、それだけだとは思わない。今は中距離打者に“甘んじている”が、日本で332本塁打を放ったパワーヒッターとしての自負が透けて見えた。(堀川貴弘記者)
トーリ監督は、「松井選手にホームランは期待していない。彼には外野の間を抜けるラインドライブ(ライナー)を数多く打つことを期待している。」と明言しており、打順も開幕以来、5番、4番、2番、7番、6番とめまぐるしく変わっています。チーム内での役割も、不動の4番打者だった巨人時代とは変わるのが当然です。この意味で、球にバットを当てる高い技術を持つ松井選手にヒット・エンド・ランのサインが頻繁に出されるのは当然のことであり、そこにヤンキース野球の神髄を見抜いたように思うのは、記者の誤解に過ぎません。オールスター戦での練習については、松井選手は「練習でスタンド入りするのは当たり前です。」と言っており、上の記事については、松井選手の言葉を素直に信じれば良いので、松井選手が打者として十分な自負を持っているのは誰の目にも明らかなことです。
私は、新聞紙面でこの透けて見えるという品位に欠ける言葉に出会う度に、記者の思い上がりや、過剰な自意識を感じさせられて嫌な気持ちになります。
MLBの観戦記事について言えば、見え難いものを見ようとあくせくする前に、自然に見えるものがいくらでもある筈です。例えば、松井選手の守備や走塁は、巨人時代と比べてはるかに積極的で、運動能力の限界に近いプレーが増えています。このことについては、松井選手は「こちらの選手は、自分が捕れそうなボールは何でも捕ってやるという感じです。自然芝の球場で突っ込んでもけがのリスクが少ないから、激しいプレーができる。」と話しています。松井選手が会心の当りを放ったときには、日本にいたときと変わらない美しいフォームを見ることができます。松井選手だけでなく、ジーターやベンチュラの華麗な守備、ジオンビやソリアーノの迫力に満ちたスイング、緊迫観あふれる対レッドソックス戦の雰囲気など、透けて見えるのを待つまでもなくMLBベースボールは魅力あるスポーツシーンにあふれています。はっきりと見える野球シーンを、しっかりと見て競技の進行と同じスピード感と臨場感のある文章で表現してほしいものです。
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