2003年に登った「日本二百名山」(その3)
瀬川 滋
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今年の登山が終わった。結果として、今年登った主な山は以下の通りだった。
日本百名山:4山
大台ケ原山(三重・奈良)、大峰・八経ケ岳(奈良)、水晶岳(北ア)、八幡平(青森・岩手)
日本二百名山:16山
九州:市房山(熊本)、尾鈴山(宮崎)、大崩山(宮崎)
近畿:釈迦ヶ岳(吉野)、御在所山(三重、再登)、伯母子岳(熊野)
飛騨:大日ヶ岳(岐阜)、位山(岐阜)、能郷白山(岐阜)
中部:赤牛岳(北ア)、烏帽子岳(北ア)、愛鷹山(静岡)、茅ヶ岳(山梨)
東北:秋田駒ヶ岳(秋田、再登)、姫神山(岩手)、栗駒山(岩手・宮城)
その他:4山
三仏山(鳥取、投入堂)、峰の松目岳(八ツ岳)、飯盛山(長野)、野口五郎岳(北ア)
上記の内、最も注力したのは日本二百名山で16山(内再登2山)、これで通算47山、百名山(既に完登)と合わせて147山となる。夏山については10月号からの前2稿で報告済みなので、本稿(最終稿)では秋山について概括する。
8 9/13 秋田駒ヶ岳(秋田、1637m) .43
かつて岩手山は噴火で登山禁止だったため、我々の山仲間は姫神山に代替登山していた。しかし
禁止が解除されたので、岩手山麓の馬返でのキャンプ場を中心に早池峰・岩手山・八幡平の百名山
組と秋田駒・姫神・栗駒の二百名山組が合同で山行しようということになり、都合合わせて10人が
4班に別れて東北に向かう。この内3班8人は早池峰を目指し早池峰山麓に向い、我々二百名山組
2人は前夕のうちに車を飛ばして東北道経由馬返キャンプ場に深夜到着。
朝、田沢湖高原まで行き、そこからは、昔は車で入れた登山道を環境保護のために走っているシャトルバスで八号目小屋着9:20。登山開始。潅木の道を歩いていくとやがて展望のきく所に出、すぐ下に静かに田沢湖がその深さを誇っておりスキー場が広がっている。道には未だ紅葉はしていないが赤い実をつけたナナカマドやトリカブトが咲き、更に歩を進めると頂上男女岳の斜面が若干色付いて来ている。秋の気配満々。やがて男岳との間を進むと、ガスが出てきて阿弥陀池に。多分噴火口に出来た湖だろう。今は外綸が一部崩れ、そこから直接到達したものと思われる。湖岸には木道が付けられているが、対岸はガスに隠れて見えない。正に霧に煙る湖。ムード満点。
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湖を半周して直登すれば11:00駒ヶ岳(男女岳)頂上。ガスが益々深く、何も見えない。すぐ下山。今度は横岳との間の崩れを下る。今はリンドウしか咲いていない大湿原を過ぎると、安達太良を思わせる赤褐色の噴火跡を滑るように下る。12:05八号目に戻り、乳頭温泉郷の一つ鶴の湯で汗を流す。ここの奥の黒湯に、昭和40年代に来たことがある。当時は秘湯中の秘湯で、混浴の大露天風呂を中心に湯治客用の萱吹の小屋が並んでいてそこに湯治客が寝そベっていたものだが、ここもさすが混浴では無くなっている。ただ、その雰囲気を今も残していて懐かしい。そのまま馬返に引き返えすと早池峰組が到着しており、皆で大宴会をした後各々のテントに就寝。 |
9 9/13 姫神山 (岩手、1124m) .44
宮古島を襲った後朝鮮半島に大被害をもたらした台風が、北海道を伺って昨夜日本海を通過。その
余波で大変な風に見舞われた。めんどうなのでペグで止めてなかったテントが、台風並みの風で吹き
飛ばされそうになる。おまけに、皆で飲み食いするためにしつらえてあった共同設備が飛ばされそうになって、夜中に何回も補修する始末。とても眠れたものでは無かった。朝起き出すと、仲間のテントが1つたたまれていた。何と早く手早く方付けたものだと感心していたら、何と強風で夜中テントが崩れ復旧してもまた崩れたので夜中テントをたたみ車の中で眠ったんだという。別の人からは、夜中多分トイレに行った隙にだろう、テントが1つ林の向こうに飛んでいったとも聞いた。とにかくすごい風だった。
朝は、その影響も忘れたかのように穏やか。私ともう1人を除く8人は、お目当ての岩手山に挑戦すべく早々とスタート。我々は、ゆっくりと車で姫神登山口に。私は初めてだが、同行の仲間は2回目なので、彼が以前登った一本杉コースを避け田代コースを取る。7:50登山開始。雑木林を抜けるとダケカンバ、ブナの林。人には全く会わない静かな雰囲気。
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やがて岩が点在するかなり広い平地に。東側が一望。ずっと緑が続き、その緑もあちこち色合いが違い、すぐ下の大きな牧場の緑が最も浅い。そこから少し登って8:40頂上。面白い岩がにょきにょきある。西方には巨大な岩手山。あいにく頂上は雲がかかっているが、9合目位から下の裾野はばっちりきれいな尾を引いている。頂上の雲はどんどん減っていっているので、彼らが到着する頃はばっちりだろうと噂する。その北側八幡平方向の雲には淡い虹がかかっている。これは幻想的。真下にはこの山をこよなく愛した啄木の故郷渋民村が、その南には盛岡の街が。そして、東の遠く彼方には岩洞湖が大きく光っている。景色を堪能して下山。 |
相棒がかつて八幡平に登ったがその時は天気が悪く何も見えなかったといい、時間があるので再
挑戦したいと言う。私も昭和40年学生時代の紅葉の盛りに玉川温泉から焼山を越えて御所掛温泉
経由で登ったこともあり、久々なのでそうしようと車で向かう。かつては無かったドライブウェイをぐんぐん登っていく。途中までは晴れており緑の岩手山麓がゆったりとした牧歌的な風景が広がっていたのが、登っていくにつれあいにくのガス。見返峠駐車場11:05着。舗装道と変わらない程立派に整備された登山道を、いくつかの沼を横に見ながら頂上目指す。ガスに加えて風も相当吹いている。途中、御所掛温泉からの雨の溜まった濡れた土の道に出会い、昔が思い出された。11:35頂上。1613m。櫓があり、表示には秋田駒、早池峰、岩手、八甲田から、今回挑戦しようと思ったが無理なのであきらめた森吉山まで書いてある。晴れていたら眺めたであろうのに残念。早々に引き上げ、八幡平スキー場で昼食。近くに10棟程の朽ちた鉄筋住宅が。聞けば、以前登った時には栄えていた松尾鉱山の住宅跡という。時の推移を改めて認識。馬返に戻り、岩手山組の帰りを待つ。案の上岩手山はガスとじっと立っておれない程の風だったそうだ。内4人はこの後八幡平、岩木、八甲田を目指すためこの地でもう1泊するので、残る6人が栗駒高原の駒の湯に急行。仲間の1人は3年前に百名山を達成していたが、岩手山は姫神山への代替登山だったので今日が完全達成ということで、皆で祝福の乾杯。本人は感慨ひとしおといった顔だった。
10 9/15 栗駒山(須川岳)(岩手・宮城、1627m) .45
車で全員イワカガミ平まで行く。6人の内、百名山組の軟弱4人組は東京に直行するという。彼らから盛大な見送りを受け、二百名山組2人で7:45登山開始。過剰とも思われる程整備された石畳
調の道を越えて普通の土の道に。回りの木も低潅木から笹、ドウダンツツジに変わる。すぐそこに見える頂上からの尾根の斜面はゆったりたおやかといった感じ。まるで、四国の山の「平家の**」と名付けられた頂上部にそっくり。
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うっすらと紅葉しかかっている。頂上に近づくとハイマツ、ナナカマドがあり、これは四国には無い。緯度の差を実感する。最後の急登を登り切ると9:10頂上。登って来た方を見下ろすと、はるか彼方までゆったりと緑が続く。これだけの広がりはさすがで、四国には無い。北方遠くには、岩手山の三角形が小さく臨める。祠のあるかなり広い頂上の反対側を見れば、泊りたかったが満室で断られた須川温泉といくつかの湖が見下せる。この方向に朝日、月山が見えるはずだが雲に隠れている。下りも同じ道を引き返し、駒の湯で汗を流した。車で東京に戻るという相棒と古川で別れ、新幹線で東京経由神戸に辿り着いたのは夜9時を過ぎていた。みちのくの遠さを実感したものだ。 |
11 10/12 伯母子岳(奈良、1344m) .46
世界遺産に推薦されて注目を浴びている高野山と熊野本宮の2大聖地を結ぶ熊野古道には、海岸
沿いをぐるっと辿る大辺路(おおへじ)、和歌山の南の田辺から山中に分け入る中辺路(なかへじ)、
そして山中を直線で結ぶ小辺路(こへじ)の3ルートがある。この内の小辺路ルートは、鎌倉末期には
護永親王が、江戸時代には芭蕉の弟子の曾良も通ったが、距離は短いものの熊野の奥深い山中を
通るのでかなり険しく、寂れてしまっているという。
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伯母子岳には、この子辺路ルートを辿って登るルートと和歌山県最高峰の護摩壇山から尾根沿いに歩くルートがある。春に大峰と熊野を結ぶ奥駆をやったので、同じく古しえ人を忍んで是非熊野小辺路を歩いてみたいという誘惑にかられた。そこで小学校低学年の頃には良く一緒に山に登ったが、その後全く登らなくなった息子に声をかけてみると、是非一緒に行きたいという応えが帰って来て、同行者は決定。朝5時起きで神戸をスタートし、和歌山経由で奈良県の最西南端の大股に着いたのは11時過ぎ。ここには平維盛塚があるとか、その昔平家の落人が隠れ住んだのであろう。集落を小辺路街道の表示に従って登っていくと、檜の樹林帯のジグザグの急な登り。朽ち果てた萱小屋の跡を過ぎると、カエデ等が繁る太古の昔からの林が続く。道は小型のジープが通れるんじゃあないかと思われる程かなり整備されている。針葉樹と自然林が交互に現れ、夏虫山への峠を過ぎて少し下ってまた登ると、護摩壇山からの道に出会う。この辺りは、少し小ぶりだがブナの木が多い。 |
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未だ黄葉には早いが少し色付いている。もう少し経てば、さぞきれいなことだろう。ここから伯母子峠に向う小辺路とは別れ頂上へ。原生林に囲まれたこの道は今までのように整備されてはおらず、太古の趣をそのまま伝えてくれている。急坂を登ると13:10頂上。登りのコースタイム2時間半のところ1時間45分だったが、全く息をついていない息子の健脚を改めて見直した次第。ただ、丁度雨が降り出し、回りの山々が全く見えない。大峰の南奥駆の山並みを楽しみにしていたので残念。少し下ると雨も上がり、木の間越しに見える東の大峰、西の高野・龍神の山並みで我慢した。いずれにせよ、あまり高くは無いが脈々と連なる山々に紀伊半島の奥の深さを改めて認識。大股下山後近くの野迫川温泉につかった後、高野山経由海岸沿いの有田の町まで出て、2人で思いきりうまい魚を食べた。 |
12 11/2 茅ヶ岳(山梨、1704m) .47
中央線を東京から下ってきて甲府を過ぎた辺りから、右側に八ヶ岳かなって思う山が見えてくるが、高さは低いし形も整っていない。「ニセ八ツ」という異名を持つ茅ヶ岳だ。この山を有名ならしめたのは、「日本百名山」を書いたあの深田久弥が登山途中に脳溢血で急逝し眠っているからである。日本百名山に挑戦しようとする者にとっては、必ず一度は登りたいと思う山なのだ。私も同じ思いだったが、山仲間の基地が八ヶ岳の麓にあるのでいつでも登れるとずっと繰り延べにしていた。前日、今年最後の山行ということでその基地に集まったのが、一部常連がよんどころない事情で外れた男6人、女3人。いつもは余り登らない女性も登るというので、当初の計画は近くのアルプス展望台・守屋山に登ることになっていたが、茅ヶ岳への思いを吐露すると急遽深田久弥終焉の山に登ろうということになった。
朝ゆっくり起き出し、韮崎ICから茅ヶ岳登山口に向う。途中カラ松が黄葉しており、八ヶ岳の麓が全山黄色に染まり圧巻。結構な数の車が止まっている。9:15スタート。比較的整備された道をゆっくりと歩く。途中廃屋があるが、往時の開拓農家跡という。周囲は赤松とカラ松。それが、若いブナの木の真っ黄色の葉っぱと、カエデの少し大きな朱に変わる。その葉が陽に映えて織りなす綾模様が、秋の盛りを感じさせてくれる。やがて、大きな女岩に行き当たる。岩からしたたり落ちる水がうまい。女岩からは急にきつい山道に。しかし落ち葉を踏む音は軽い。やがて尾根のコルに登り着く。正面に、尖った頂上をちこょんと乗せた金峰山と、岩稜の塊の瑞墻山が連なる美しい稜線が顔を出す。そこから少し登ると、花の供わった小さな碑に着く。銘には、「深田久弥終焉の地/1931.3.21/11.23」と記されている。深田久弥はここで倒れたのだ。南側に富士山がひときわ大きく顔を出して、故人を見守っている。しばし頭を垂れる。ここを通る人皆が百名山を想起するだろう。 さすがの久弥さんもまさか日本百名山がこれ程のブームになろうとは夢々思わず、さぞかし草葉の陰ではにかんでいることだろうと思いながら急坂を登ると、やがて大変な喧騒が聞こえてくる。
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11:20頂上。さすが人気の山、大変な人だ。二百名山はブームの百名山と違って静かな山頂が殆どなので戸惑う。ここからは、普段回りの山に隠れて盟主の頂きをなかなか見せない八ヶ岳も、主峰赤岳までばっちり見える。同様に、いつもは甲斐駒の陰に顔を見せない千丈も、鳳凰と甲斐駒・鋸の間にくっきり姿を見せてくれている。しかし、ただ大きいだけで、南アの女王と言われているあの優美さは全く無い。頂上で昼食を取って、登ってきた道を下山。登山口すぐの深田公園に足を延ばすと、「百の頂きに百の喜びあり」という深田久弥の言葉を刻んだ碑があり、そこから茅ヶ岳が黄葉に染まってくっきりとそびえ立っていた。帰路温泉で疲れを癒し、皆できのこ尽くしを肴に乾杯した。 |