〔シリーズ投稿〕私の趣味:クラシック音楽ア・ラ・カルト(その10  

 ウィーン・フィル ニューイヤー・コンサート2004
 
〜華やかさの影にこめられた哀愁と祈りのメッセージ〜

                               大村 英堯

1.年初のNHKクラシック音楽番組  

元日に衛星生中継される「ウィーン・フィル ニューイヤー・コンサート」は、普段クラシック音楽になじみの少ない人たちにとっても楽しみな正月番組の一つだと思います。  

 私は毎年、このコンサートのほかに、「ベルリン・フィルのジルヴェスター・コンサート」、「NHKニューイヤー・オペラ・コンサート」、「NHKナゴヤ ニューイヤー・コンサート」も欠かさずにみて正月気分に浸ることにしています。  

 ところで、NHKの年末年初のテレビでは、クラシック音楽ファンにとっては夢のような好番組が目白押しに放送されます。昨年12月から今年の1月末までの2カ月をみると、上記のニューイヤー番組のほかにも、主なものだけでも、★NHK音楽祭2003ハイライト、★N響のベートーベン第九演奏会、★N響定期公演第1501回〜第1506回、★メルビッシュ音楽祭2003:レハールの喜歌劇“ジュディッタ”、★第72回日本音楽コンクール本選会ドキュメンタリー、★ピーター・ゼルキンのピアノリサイタル、★華麗なピアニストの競演・ヴェルビエ音楽祭10周年記念コンサート、★新国立歌劇場:ベルリーニの歌劇“ノルマ”、★スヴャトスラフ・リヒテル〜幻の東京リサイタル、★小澤征爾指揮サイトウキネン・オーケストラ演奏会2003、★キーロフ歌劇場日本公演:プロコフィエフの歌劇“戦争と平和”、★浜松国際ピアノコンクール本選会 などがありました。  

これらを含めて、この2ヶ月間に私がDVDやD-VHSに収録した音楽番組は全部で49番組、延べ63時間ありました。収録番組のうち約半数は、2回以上視聴しています。録画済のものでも再放送時にはみています。これらをあわせますと、私の音楽番組の視聴時間は1日あたり平均2時間になります。録画するには相応の手間がかかります。手間とは、録画予定番組のチェック、予約登録、録画メディア(DVDやD-VHS)のセット、録画後のメディア本体やケースのラベリング、PCデータベースへの曲名・時間・演奏者・演奏日時・場所・参考情報・感想などの入力、メディア1単位ごとの収録番組名(=タイトル)と曲目の明細シートのプリントアウト、などの一連の作業のことです。この手間に私は、1日あたり平均30分ほどかけています。

 要するに鑑賞に2時間、手間30分、合計2時間半が、ライフワークとしての「クラシック音楽録画コレクション」に私が毎日投入している時間数です。リタイア後で自由時間に恵まれているからこそできる贅沢とはいえ、これを継続するにはそれなりの苦労もあります。何らかの都合で2〜3日、間をおいてしまうと、遅れを取り戻すのに徹夜する破目になります。目下のところ、新しい番組の録画が精一杯で、過去のS-VHSの集積をDVDに転換する作業まではとても手が回りません。高嶋宏尚さんが連日激務の現役の身でありながら、すでにLPモードで2,000時間・500枚ものDVDコンバートを達成されたことを知り、その情熱には頭が下がりました。私の使用機器はパイオニアのDVR−99Hで、高嶋さんと同シリーズ機なので、そのうちに詳しいノウハウを教えていただきたいと思っています。 いつの間にか、ウィーン・フィルのニューイヤー・コンサートからビデオ録りに話題が脱線してしまいました。本題にもどります。  

2.今年のウィーン・フィル・ニューイヤーコンサートはあまり楽しくなかった?  

 「今年のウィーンフィル・ニューイヤー・コンサートはあまり楽しくなかった」という感想をある友人が語っていました。たまたま私も、いつもとは違うなと感じていました。そこで、このコンサートのことを少し詳しく調べてみることにしました。D-VHSハイビジョン録画を再度じっくり鑑賞し、念のために過去7年間のS-VHSも取り出して見くらべてみました。

 さらに基礎的なこととして、そもそもウィーン・フィル・ニューイヤーコンサートはいかなる来歴をもつか、ウィンナ・ワルツとはいかなる音楽か、軽い娯楽音楽ではなかったのか、「ワルツの父」と呼ばれるヨハン・シュトラウス父(1804-49)はどのような人物であったか、その息子で「ワルツ王」といわれるヨハン・シュトラウス(1825-99)の実像はどうであったか、弟のヨーゼフ・シュトラウス(1827-70)や末弟のエドゥアルト・シュトラウス(1835-1916)はどのような作品を残したか、シュトラウス父とともに楽団を結成し後によきライバルとなったヨーゼフ・ランナー(1801-42)とはどのような音楽家であったか、彼らが活躍した19世紀前半の時代背景はどうであったかフランス革命・自由主義思想の高まり・ナポレオン軍の侵攻・ヨーロッパ各地の動乱などの封建国家体制の激動と一見華やかな彼らのワルツとをどのように結び付けて理解すればよいのか・・・などなどについても興味のおもむくままに文献を読みあさり、ネット検索もしました。  

 かくして、私がたどりついた結論はこうです。「そもそもウィンナ・ワルツは本質的に楽しさばかりを表現するものではなく、人生の苦悩や悲しみもその奥底にひめた芸術性の高いものである。今年のニューイヤーは、楽しさだけではなく悲しみも適度に表現されていた。」 このような意味合いでは、友人の感想も私の直感もあながち的外れではなかったと思っています。  

 ご存知のように、「ウィーン・フィル・ニューイヤーコンサート」は毎年元日の午前11時15分(日本時間元日午後7時15分)に、ウィーン楽友協会の「黄金のホール」から、全世界に向けてテレビで生中継放送されます。全世界で10億人もの人たちが同時にみているといわれています。 例年、このコンサートは静かなオープニング曲で開演、ワルツ、ポルカ、ギャロップ、行進曲などヨハン・シュトラウスの作品を中心に約20曲が演奏され、最後にオーストリアの第2国歌といわれるヨハン・シュトラウスのワルツ「美しく青きドナウ」が演奏され、続く「ラデツキー行進曲」で指揮者が聴衆のほうを向いてタクトを振り、聴衆も楽しげに手拍手で応えて締めくくる、という進行スタイルが恒例化しています。このコンサートについて誰しもが抱く一般的なイメージは、楽しさ・華やかさ・明るさ・夢・非日常性・・・・だと思います。まさに新しい年の幕開けに相応しい絢爛豪華な楽しいコンサートという暗黙の了解が定着している、世界的な文化行事のひとつであるといえると思います。  

 絢爛豪華さについてつけ加えますと、今年の放送は初のハイビジョン映像中継でした。NHKが翌朝のニュースでそのことをわざわざ放送したほどの、画期的なことでした。1998年にワイドテレビ方式で放送されたときも私は小躍りして喜んだものですが、今年の感激はそれをはるかに上回るものでした。演奏の合間に映し出されたピカピカの大理石のエントランスホール、柱廊、階段、美しい天井画、彫刻技術の粋を極めたギリシャ女神像の柱など、これらのハイビジョン映像は例年とは比較にならない美しさでした。文字通り、錦上花を添えていたのが、正面バルコニーやステージ前面そのほかホールのいたるところに飾られた花です。昨年は白に統一されていましたが、今年はサーモンピンクのカーネーション、うす緑のシンビジュウム、真紅のポインセチアの3色の組み合わせでした。これらの色彩やデザインは10月ごろに考えられ、花はイタリアから運びこまれ、直前に徹夜作業で飾り付けられたそうです。鮮やかな色とりどりの花と絢爛豪華なホール、正装した聴衆(そのなかには花の色に合わせたかのような赤・黄・緑のスーツをまとった3人の上品な老婦人が並んで着席していました)、スマートなオーケストラ団員たち、ハンサムなリッカルド・ムーティの静かで優雅で洗練されていてしかも力感あふれる指揮ぶり、5.1チャンネルサラウンドで流れる優雅なメロディーと軽快なリズム・・・・・これらのすべてをあますところなく伝えるハイビジョン放送の臨場感が、本来このコンサートがかもし出す楽しさ・華やかさ・明るさ・夢・非日常性・・・を例年にも増して一層強く創出していたのはまぎれもない事実です。  

 しかし、それにもかかわらず、いやむしろ、それだからこそ、表面上華やかなウィンナ・ワルツの奥底に込められている人間の本源的な 「悲しさ、哀愁、苦悩、祈り」が浮き彫りにされたのだと私は考えます。強い光の照射で薄かった影がくっきりと浮かび上がってきたともいえましょう。  

 今年のニューイヤー・コンサートにおいて、このように「楽しさ」と「悲しさ」の両方、つまり人生の二面性が表現されたのは、実は指揮者リッカルド・ムーティがあらかじめ意図し、入念に練り上げた結果でありました。これは、極めて革新的な出来事であったと思います。  

 ところで、ウィーン・フィル・ニューイヤーコンサートは1939年の大晦日に、指揮者クレメンス・クラウスが開催したジルヴェスター・ワルツ演奏会を嚆矢とします。以来今日まで、65年もの長期にわたり連綿と続いてきた伝統あるコンサートです。しかしよく考えてみると、このコンサートがこれほどの長い間継続されてきた背景には、歴代の指揮者たちが、今年のムーティと同じように、伝統に安住せず、常に何らかの革新を行ってきたからに相違ないと思います。まさに、「革新によってのみ伝統は継承される」ことを立証する好事例ではないかと思うのです。
 

3 リッカルド・ムーティのメッセージ:世界平和への祈り
 

 では、ムーティが敢行した革新とはどのようなものだったでしょうか。幸い今年の場合は、ムーティが自分自身の言葉でわかりやすく説明しています。コンサート直前の指揮者控え室でのインタビューで、今年の見所や表現したいことについて次のように語っています。テロップの日本語訳は簡略化のために意訳の箇所が多く、わかりにくいので、できるだけムーティの言葉に即して忠実に訳した私の文をのせます。 

“まずプログラム全体の調和をはかることに重点をおきました。前半のヨハン・シュトラウス父の作品にとくに注目してください。今年は彼の生誕200年にあたります。彼は息子のヨハン・シュトラウスほど有名ではありませんが、「ウィンナ・ワルツの父」と呼ばれるにふさわしい理由があります。彼の音楽は、よりシンプルで、よりダイレクトで、より深い意味がこめられています。彼の後でワルツは洗練され、オーケストレーション(=管弦楽曲化)や転調もより精巧になりました。しかしヨハン・シュトラウス父のワルツが魅力的であることにはいささかの変化もありません。彼が新天地として切り開いた「ウィンナ・ワルツ」が革新的であることの本質が、そのシンプルな音楽からにじみ出る誠実さ(honesty)にあるからです。

 ニューイヤー・コンサートには独特の難しさがあります。たしかにウィーン・フィルには作品の要求を満たす高度な技術が備わっています。しかし、楽しい年越しの翌日の11時に集まって良い演奏をするには大変な自制心が必要です。安定した精神を維持するために自分自身を厳しくコントロールしなければなりません。元日の朝、世界中の人々に、ともに音楽の喜びを分ちあい、平和と幸福が訪れますようにと、神に祈らなければなりません。 ただ単にポルカやワルツを演奏するのではなく、悲しみや哀愁、幸せや喜び、といった人生の二面性を表現しなければなりません。過ぎ去った悲しみと、新たに到来する喜びや希望・・・・ニューイヤー・コンサートではこの二つを皆さんにお届けしたいと考えています。”

 ところで、ニューイヤー・コンサートでは、指揮者は終曲のヨハン・シュトラウスのワルツ「美しく青きドナウ」の演奏前か後に、聴衆にむかって新年の挨拶をするのが恒例となっていますが、今年のムーティの挨拶はきわめて感動的なものでした。一語一語かみしめるように言葉を選びながらスピーチしていました。これはハプニングだったのでしょうか、日本語のテロップも同時通訳もありませんでした。イタリア人のムーティの英語の発音には聞き取りにくい箇所も多くありましたので、その内容を十分に把握できなかった方も多かったのではないかと思います。しかしこのスピーチは今年のコンサートの核心ともいうべき大切な部分なので、これも拙訳でのせます。

    “聴衆のみなさんと世界のみなさんに新年のご挨拶をする最善の時間となりました。まず私は申し上げた
   いのですが、私たちが今ここにいるこの瞬間にも、世界は多くの苦痛・・・、多くの紛争を抱えています。    

シュトラウス一家やランナー、そのほかの作曲家たちの音楽は、ウィーンやオーストリアの文化の魂を表現しています。しかしそれは同時に私たちに、悲しみと喜び、つまり人生そのものをも伝えています。過去何十年にもわたって、シュトラウスやその他の作曲家たちの音楽が、この伝統ある(historical)夢のような(fantastic)ホールで、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の団員のみなさんの才能をとおして、中国、日本、米国、ロシア、南米、など世界のすべての国々を、なんらかのかたちで、一つに結び付けてきました。異なる民族が、場所も、皮膚の色も、宗教も、文化も異なる人々が、シュトラウスの音楽がもたらす悲しみと喜び、そして希望を共有するのです。今日、音楽がなんとしても必要な理由がここにあります。心を共有できれば人々は同じように考えることができます。音楽はすべての人々に語りかけ、すべての人々を仲間にします。  

    わたくしたち自身の人生のために、子孫のために、世界のために、シュトラウスの音楽がウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏をとおして、世界に真の平和をもたらすことを、みなさんとともに希望しようではありませんか。  

 ムーティのこの言葉で、「今年のニューイヤー・コンサートは楽しさばかりではなかった」 ということの背景事情がよくご理解いただけたことと思います。私は、本当のところ、今までのニューイヤー・コンサートも実はそうだったのではないかという気がしています。 単純に「楽しさだけ」を期待していたのは私の理解不足、錯覚、誤った先入観であったように思います。「芸術」の深遠さを思い知らされるとともに、このようなささやかな発見にかけがえのない喜びを見出しています。来年のニューイヤー・コンサートでは、どの指揮者が、ウィンナ・ワルツに潜む楽しさと悲しさをどのように表現するかに注目しながら鑑賞しようと、今から心待ちにしています。  

4 何たる符合! 時空を超えて、東山魁夷の日本画とヨハン・シュトラウスの音楽が響きあう光と影  

 私は今日(1月27日)、横浜美術館で開催されている東山魁夷展をみてきました。唐招提寺の御影堂障壁画、「山雲」と「涛声」に心が洗われる思いがしました。「山雲」と「涛声」の前で瞼を閉じていると、鑑真和尚の不撓不屈の精神力に導かれて、全力を挙げてこの仕事をなしとげ、美しい日本の山と海の心の風景を盲目の和尚にお見せするのだと誓ったという魁夷の心根がそのまま私にも伝わってくるようでした。
 次に「緑響く」についてですが、これは深く優しい緑と青に包まれた森の中を歩む白馬とこれらのすべてをのびやかに逆転投影する水面を描いた絵です。この絵は、魁夷がモーツアルトのピアノ協奏曲第23番イ長調K488第2楽章のアダージョを聴いているときに彼の心に現れた白馬にみちびかれて描き上げたということを何年か前に何かで呼んだ記憶がありました。実際にこの美しい絵の前にたたずんでみると、その
優しさと悲しさが痛いほど心に染み入るようでした。そもそもK488の第2楽章は、モーツアルトの作品のなかでも異例の嬰ヘ短調で書かれています。常に心の奥深くにあって、浮かんでは沈む人生の悲しさ・寂しさをこの上なく美しいアダージョでしみじみと歌い上げています。私は、帰宅するや、CDを聴くだけでは満足できず、音譜をひろげ、オーケストラのトゥッティ(全合奏)からピアノ・ソロが引き継ぐ、とくに美しく悲しい3箇所(第20〜34小節、第38〜52小節、第76〜84小節)を、「緑響く」の白馬の心境で何度も繰り返し弾いてみました。絵画と音楽の不思議な出会いと共通するものを深く感じざるを得ませんでした。
 さらに、この美術展の私にとっての最大の圧巻は「夕静寂」でした。全面濃い青に包まれた急峻な峡谷に細い一条の滝が白く光る暗さとのコントラスには強いショックをうけました。  

  「私も暗黒と悲しみを胸深く蔵してはいるが、苦悩をあからさまに人に示したことは無い。 しかし、暗黒と苦悩を持つ者は、魂の浄福と平安を祈り希う者でもある。私の作品にあらわれる静謐、素純は、むしろ、それを持たぬ故に希望する、切実な祈りともいえる。」  

東山魁夷のこの壮絶な言葉を図録でみた時にハッと思ったのは、ヨハン・シュトラウスたちの音楽との共通性でした。魁夷の暗黒の絵にきらめく一筋の光と、シュトラウスたちの華やかなワルツに秘められた苦悩や悲しみは、まさに人生の二面性の表象としてまさに相似しています。

 さらに驚くべき発見がありました。東山魁夷の図録をみているうちに「光昏」という絵があることを知りました。金色の空にくっきりと稜線を見せて聳える暗紫色の山と黒い湖、その手前に黄・赤・茶の紅葉の樹木群が輝く荘厳な風景画です。この絵を描いた動機について魁夷は、

  「私の心の中に悲しみを基盤としてそれを絢爛とした色と形の世界であらわし
たいと希っている感情が潜んでいたからかもしれません。」  

と控えめに語っています。リッカルド・ムーティの意図、さらにはウィンナ・ワルツの作曲者たちの意図との何たる神秘的な符合でしょうか。ただただ、驚くほかはありません。「光昏」は2月6日から始まる後期に展示されますので今回は見ることができませんでしたが、私は再び横浜美術館を訪れ、「光昏」の実物の前で、音楽と絵画の時空を超越したこの不思議な符合の神秘性と芸術の崇高さに頭をたれ、感激に浸りたいと思っています。
 

 ウィーン・フィルのニューイヤー・コンサートを10回も指揮したロリン・マゼルは、1999年のコンサートの際のインタビューで次のようにコメントしています。  
 「いろいろな意見もあるでしょうが、20世紀は素晴らしい世紀だったと思います。科学だけではなく、文化や倫理の面でも人類は飛躍的な進歩をとげました。20世紀末は人類の努力の結晶の世紀末であったと言えるのではないでしょうか。私は音楽家として、これまでに人類が成し遂げてきたことに心から敬意を表し、より輝かしく実り多き未来へとバトンタッチできれば幸いであると考えています。」 

ロリン・マゼルのこのような20世紀末の見方は楽観に過ぎるとの批判もあろうかと思いますが、100年のスパンで19世紀末、18世紀末、・・・とさかのぼって世紀末を比較してみると、マゼルの考え方は正しいのではないかと私は思います。  

 世界中の人々が真に音楽を愛し、真に絵画を愛するならば、つまり、芸術に感動する心を共有することができるならば、お互いの喜びも苦しみも理解しあい、常に平和を希求し、人類全体の幸福を祈る心豊かな文明社会が必ずや形成されるのではないか。これこそ、私たちが子孫に伝えるべき大切な使命ではないかと確信した思いがしています。 [04.01.27]
  
  
追記: 来年のウィーンフィル・ニューイヤー・コンサート鑑賞の参考までに、若干の補足資料を用意しました。ご利用いただければ幸いです。                                    

資料1. ヨハン・シュトラウスの音楽の参考文献とサイト

■音楽之友社刊・フランツ・エンドラー著・喜多尾道冬・新井裕訳

「ヨハン・シュトラウス〜初めて明かされたワルツ王の栄光と波爛の生涯」

■音楽之友社刊・ピーター・ケンプ著・木村英二訳

「シュトラウス・ファミリー〜ある音楽王朝の肖像」

■音楽之友社刊・渡辺護著「ウィーン音楽文化史・上巻」

13.ビーダーマイヤー時代の音楽生活/15わき立つワルツのひびき/16踊り好きのウィーン/17.ヨハン・シュトラウスとその時代

■中公新書・小宮正安著「ヨハン・シュトラウス〜ワルツ王と落日のウィーン」

■ウェブサイト  http://www5.plala.or.jp/chunworld/winnawalz.htm 

図書では上の4冊を推薦します。 ウェブサイトでは上記の一箇所だけですが、詳しくてわかりやすい情報を提供しています。とくにヨハン・シュトラウスの全作品リストは貴重な労作です。  

資料2.  ウィーンフィル・ニューイヤー・コンサート1997-2004の指揮者・曲数・オープニング曲・エンディング曲

日付

指揮者

曲数

オープニング曲

エンディング曲

970101

リッカルド・ムーティ

12

スッペ:喜歌劇「軽騎兵」序曲

ヨハン・シュトラウス:「美しく青きドナウ」/ヨハン・シュトラウス父:「ラデツキー行進曲

980101

ズビン・メータ

19

ヨハン・シュトラウス:行進曲「われらの旗がひらめく」

同上

990101

ロリン・マゼル

19

ヨハン・シュトラウス:ワルツ「格言集」

同上

000101

リッカルド・ムーティ

18

ヨハン・シュトラウス:「入り江のワルツ」

同上

010101

ニコラウス・アルノンクール

17

ヨハン・シュトラウス父:「ラデツキー行進曲」(オリジナル版) 

同上

020101

小澤征爾

19

ヨハン・シュトラウス:行進曲「乾杯!」

同上

030101

ニコラウス・アルノンクール

20

ヨハン・シュトラウス:行進曲「フランツ・ヨーゼフ1世万歳」

同上

040101

リッカルド・ムーティ

21

ヨハン・シュトラウス:喜歌劇「くるばま草」から行進曲“なんとすてきな”

同上

 「ラデツキー行進曲」は表にあるとおり、エンディングのアンコール曲として演奏されるのが通例ですが、2001年のアルノンクールは、得意の古楽での力量を発揮して、聴衆の手拍子をともなわない純粋の音楽としてのこの曲の紹介を思い立ち、ヨハン・シュトラウス父が書いたオリジナル譜面に最も近い形での演奏をオープニングにとりあげ、絶賛をはくしました。きわめて異例のことです。  

資料3. ウィーンフィル・ニューイヤー・コンサートの歴代指揮者

  年

指揮者名

 

 年

指揮者名

1939-45

クレメンス・クラウス 

 

1994

ロリン・マゼル

1946-47

ヨーゼフ・クリップス(2)

 

1995

ズビン・メータ

1948-54

クレメンス・クラウス(9)

 

1996

ロリン・マゼル

1955-79

ウィーリー・ボスコフスキー(25)

 

1997

リッカルド・ムーティ

1980-86

ロリン・マゼル

 

1998

ズビン・メータ (3)

1987

ヘルベルト・フォン・カラヤン(1)

 

1999

ロリン・マゼル(10)

1988

クラウディオ・アッバード

 

2000

リッカルド・ムーティ

1989

カルロス・クライバー

 

2001

ニコラウス・アルノンクール

1990

ズビン・メータ(3)

 

2002

小澤征爾(1)

1991

クラウディオ・アッバード(2)

 

2003

ニコラウス・アルノンクール(2)

1992

カルロス・クライバー(2)

 

2004

リッカルド・ムーティ(4)

1993

リッカルド・ムーティ

 

2005

   ?

【注1】1939年は、12月31日:ウィーン・フィル ジルヴェスター・ワルツ演奏会。翌々年の1941年からは毎年元日にウィーン・フィル ニューイヤー・コンサートが行われた。1939.12.31を第1回目とすれば、2004年1月1日のコンサートは65回目にあたる。
【注2】( )内の数字はその指揮者のニューイヤー・コンサーの指揮としての登場回数。当該指揮者のこれまでの最終指揮年の欄にのみ記載してある。
 

資料4. ウィーンフィル・ニューイヤー・コンサートで演奏される曲種解説                          出典: 音楽之友社刊「新音楽辞典―楽譜編」 ほか

ウィンナ・ワルツ(=ヴィーン・ワルツ)

19世紀の初め、ヨーゼフ・ランナーとヨハン・シュトラウス父により確立されたウィーン風のワルツ。速度は速く全曲はいくつかの独立した小ワルツからなり、導入部とコーダがつく。シュトラウス父子が楽団を率いて巡演したことで世界的に広く流行した。ウィンナ・ワルツの作曲者は、ヨハン・シュトラウス父、ヨハン・シュトラウス、ヨーゼフ・シュトラウス、エドゥアルト・シュトラウスのシュトラウス一家、ヨーゼフ・ランナー、ヴァルトトイフェル、イヴァノヴィチ、レハール などがいる。

カドリーユ

18世紀末から19世紀初期にかけてフランスに起り、イギリスやドイツでも流行した舞曲。組になった男女が方形になって踊る。6/8拍子と2/4拍子の交代からなり、音楽は当時流行していたオペラのアリアやオペレッタなどからとられた。全体は、ラ・パンタロン、レテ、ラ・プール、ラ・トレニーズ、ラ・パストレーユと呼ばれる5つの部分でできている。

ガロップ(=ギャロップ)

1825−75年頃に流行した速度の速い輪舞。種々変化するステップを用いる。オッフェンバックが「天国と地獄」に使用、またリストのピアノ曲に「半音階的大ガロップ」がある。

行進曲

軍隊もしくは他の集団を秩序正しく行進させるための実用音楽。使用目的に応じて軍隊行進曲、結婚行進曲、葬送行進曲、凱旋行進曲、祝典行進曲などさまざまな名称で呼ばれる。単純明快なリズムと規則的なフレーズを用いるのが原則。形式は主部→トリオ→主部と進む3部形式、これを拡大した主部→トリオ→主部→トリオ→主部が一般的。曲の始めに短い導入部がつくことがある。トリオは主部より旋律的で柔和な性格を持っている。拍子はテンポの速い行進曲では2拍子(2/4拍子または2/2拍子)儀式のために書かれたテンポの遅い壮麗な行進曲では4拍子(4/4拍子を用いることが多い。

タランテラ

6/8拍子の急速なナポリの舞曲。19世紀中期にはリストやショパンが芸術的な音楽を作曲している。  

チャールダーシュ

ハンガリーの民族舞曲。本来ジプシーのもの。2/4拍子。緩やかな導入部ラッシューと急速な主部フリッシュよりなる。主部の強いシンコペート・リズムが特徴。  

ポプリ

広く知られているメロディやオペラのアリアなどを続けて演奏するようにした曲で、接続曲と訳される。フランスのごった煮料理( pot-pourri)を語源とする。英語では musical medley

ポルカ

速い2拍子のリズムに特徴のあるチェコの舞曲。1830年頃チェコ・ボヘミアに起り、ヨーロッパ全域に広まり、世紀末まで熱狂的にもてはやされた。スメタナやドヴォルザーク等により芸術音楽の分野にとりいれられた。  

ランガウス

18世紀後期、オーストリアで流行した3拍子の舞曲でワルツやレントラーの原型の一つである。  

レントラー

オーストリア、バイエルン、ボヘミア地方で行われた3/4拍子または3/8拍子のゆるやかな舞曲で、ゆっくりしたワルツに近い。本来は田舎風の衣装で踊られた田舎風の舞踏であった。ハイドン、モーツアルト、ベートーベンなどによっても作曲されたが、19世紀半ば頃からワルツの流行によってすたれた。  

ワルツ

18世紀末頃オーストリア・バイエルン地方で起った中庸な速度の3/4拍子の舞曲。直接の前身はドイツ舞曲のレントラーやランガウスである。男女が抱き合って円を描きながら踊る円舞。あまりにも官能的な踊りだったため1760年、バイエルンでは禁止されたこともあった。19世紀の初めまでは下層階級のものと考えられていたが、1814〜15年のウィーン会議以後はヨーロッパ全土にひろまり、上流階級にも受け入れられた。ワルツが流布したのは、フランス革命や19世紀の社会構造変化と関連がある。ウィーンでは、貴族と市民の間の亀裂を埋めるために、ヨーゼフ2世が3000の市民を宮廷に呼んでワルツを踊った。19・20世紀を通して種々の型のワルツが発展し、今日では社交ダンスやバレエ音楽に含まれる標準的な踊りと音楽になっている。                                            
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