2004年に登った「日本二百名山」(その7)     瀬川 滋

 
 

(はじめに)

 私は長らく山をやっているが国内ばかり、一度海外の山をせめてトレッキングでもしてみたいと思っていた。しかし現業を持っている身、なかなかまとまった休みが取れないということでリタイアしてからと半ば諦めていた。ところが仲間の間で真似事でもいいからやろうという話が持ち上がり、私が幹事をおおせつかった。雨季明けのベストシーズンで、しかも手っ取り早く短期の休暇で行けるということで、アンナプルナに10月29日夜から11月8日朝までという計画を立て、夏休みも取らず準備してきた。ところが、元々ネパールの治安には若干不安を持っていたのだが、9月に入って外出禁止令が出る等急に悪化し、外務省の渡航注意レベルが1段階引き上げられた。「渡航禁止では無いので決行」という意見もあったが、多数決で見合せが決まり、がっかりしていた。
 

 ならばこの10月二百名山をもう少し増やそうと目論んだが、元々あったヤボ用に加えて、相次ぐ台風の襲来、新潟地震、あげくの果ては左足親指爪裏に培菌が入り歩けなくなるアクシデント等が続き、全く山に登れなかった。11月に入りもう夏山シーズンは終了と諦めていたら、6・7日にやっと空き時間が出来たので挑戦した。天気によっては雪も考えられるので出来るだけ南の山にしようと、伊那谷沿いの中央アルプスの最北の経ヶ岳と最南の安平路山を選んだ。しかし、現地に問い合わせてみると、安平路山は先の台風で林道が崩れ不通と言うので諦めざるを得なかった。その代わりということで、同じく飯田から入れる二百名山で困難な山の1つに数えられている南アルプス最南の池口岳を選んだ。


1 11/6    経ヶ岳 (長野、2296m) .161
 

 経ヶ岳という名の山は、'00年に佐賀県最高峰の山として登ったことがあり、福井県にもある。大峰の八経ヶ岳のように「経」という字の付く山まで広げてカウントすると、全国に42座あるという。その昔の、山岳信仰の盛んだった頃の名残といえよう。今回の経ヶ岳は中央アルプスの最北部にあり、その42座の中でも最も高い山である。麓の仲仙寺縁起によれば、慈覚大師が信濃に下向してこの山中の霊木で十一面観音を刻み、その余りの木片に経典を書写して山中に埋めて経塚としたことに由来するのだという。  

 当初、5日終業後すぐ出掛けて前泊してとも思っていたが、登山口がICに近いのと往復が8時間位というので、未明に出ればその日の内に下山可能である。それならばと朝3時に家を出、東海・中央道をすっ飛ばし、伊那ICから羽広登山口に着いたのが8時前。そこは仲仙寺の境内で、紅葉が真っ盛り。すぐ登山開始。お寺の横から、まるで林道のようなルートを。やがて山道になるが、道はしっかりしていて歩きやすい。マツタケでも採れそうな赤松の林が続き、やがて黄葉がとても綺麗なカラマツに変る。その落葉の上を歩いて、とても軽快。おまけに、道標が合目単位についている。4合目では、大泉ダムからの道と合流。5合目辺りから道の両側に緑のクマザサが現れ、カラマツの黄葉との対比が美しく続く。7合目辺りでは白樺が現れ、今まで隠れていた頂上がやっと姿を見せてくれる。

 8合目のピークまで登ると視界が開け、南方すぐ近くに盟主木曽駒ヶ岳の山容がくっきり大きくそびえる。東方眼下に伊那谷北部の郷が一望でき、その奥には南アの峰々や八ヶ岳が遠く広がっている。本日の山行で最も眺望の良い地点だ。晴れているので胸がすく。アップダウンの後木々がシラビソに変って、石仏群が見えるとそこが頂上。11:20。石仏や石碑などが修験の山の雰囲気を十分漂わせてくれている。しかし、信州大学のパーティが頂上標識をポール代りに黄色のツエルトテントを貼っ付けており、荘厳さを帳消しにしているのが残念。眺望は樹林に覆われて良くないが、南側の一角が少しだけ開けており、そこで昼食。



 元来た道を戻るべく、9合目を少し下った所が黒沢山分岐。手持ちの二百名山ガイドに載っている地図を見ると、黒沢山を経て仲仙寺から約4km位の距離にある隣町の吹上神社に下る道がある。未だ時間が早く十分行けそうなので、分岐から分れて黒沢山を目指す。道はしっかりしているが、シラビソの樹林は深く、登りと違って誰もいない。一旦大きく下って、上り返したら又々分岐があり、一面がクマザサの黒沢山頂上へ。標高2126m 伊那市 が一望出来る。ところが、クマザサが刈ってあるのはここまでで、神社に下る道はササに覆われている。藪漕ぎでもすれば下れそうだが、かなりの労力を使いそうなのであきらて分岐まで戻る。元来た道を引き返すか、道標に従ってこのまま下山を続けるか。手持ちの地図はここから先ははみ出していてどこに下るのかさっぱり分らない。大思案。引き返すのは癪だし、道もはっきりしているのでこのまま下ることとした。  

 道は尾根に沿っており、道標もしっかりしているのでどこかに迷い込むという不安は無い。暫く進むと、正面に大きな山塊が美しくくっきりと見えてくる。御岳か乗鞍か。形から見て乗鞍と思える。道は北西に向っている。ということは、このまま進むと木曽側の木曽福島・塩尻間に下ることになるのか。となると交通が至極不便で、今日中に車に戻れるか不安になってきた。しかしここまで来たからにはままよと、そのまま笹と潅木の多い尾根道を下る。と、道は90度右に折れ谷合を急降下する。この方角なら伊那谷の辰野方向に向うことになり、少しは気が楽になる。回りはシラビソの林で、地面には杉苔がビッシリ。おまけに落葉が多く、とっても道が分りずらい。しかし、木々に赤いテープと布がしてあり、それを目印に伝えば道を外すことは無い。ただ、岩が多く急でとても歩きずらい。登りとえらい違い。頂上から約2時間で林道に出る。ヤレヤレ。  

 林道を少し歩くと、三級の滝に下りると表示された道がある。辰野に下るとして、車を置いてきた伊那までの移動時間を考えるとあまりゆっくりもしておれず、寄り道しないで真っすぐにとそのまま林道を進む。野生の猿が現れ、カメラを向けると逃げる。お手並拝見とおちょくられているような気になる。周囲は全山カラマツで、葉の黄色と青い空との対比、またカラマツの、陽の当っている明るい黄色と陽の当たってない黒の対比がとても美しい。途中3ヵ所で大きな崖崩れがあって、とても車が入れる状態では無い。ただこの林道、下るでも無くただだらだら曲がりくねっており、歩いても歩いても山の中。日がとても短くなってきてるので、いつどこに着くのか段々不安になってくる。やがて、つづら折の本格的な下りになり、下り切るとゲートが現れる。案の定閉まっており、この林道は車は通れない。帰宅後この辺りの地図を見ると、大洞林道といって今は使われておらず、歩行者は三級の滝の方に急降下した方がはるかに早く下れるということだった。  

 暫く歩くと自然観察園があり、車が止まっている。黒沢山分岐から全く人に会わず、やっと人里に下りてきたって感じでほっとする。しかしここも山奥深くて、小さな東屋がある程度。今どこにいるのかさっぱり分らない。さっそく、遊覧者に恐る恐る「すみません、ここはどこですか?」と聞いてみる。案の定、辰野の山奥で横川渓谷の蛇岩だという。交通手段を聞くと、ここからは全く無く、約10km下ると中央線 信濃川島という駅 に出る。この駅は中央線の塩尻・辰野間にあるが、今中央線はみどり湖経由に変っているので殆ど走っていないという。それよりも、良く熊に遭わなかったナと感心された。熊避けの鈴を付けてますからと答えたものの、最近の熊騒動を思うとぞっとする。時刻は16:30。そろそろ暗くなってくる。訳を話すと、親切にも「それでは、伊那行きの列車の走っている辰野駅まで送ろう」という。渡る世間に鬼は無し、本当に助かった。  

 辰野から電車、 伊那市 からバスと順調に接続し、仲仙寺に辿りついたのは18:30。予定より3時間遅れ。もし、もう1−2時間遅れていたら、真っ暗になってとんでもないことになる所だった。知らない山を歩く時はあやふやな地図で判断するのは危険で、しっかりした山の地図で経路を確認してから進むべし、もしはっきりしない時は自分の位置がはっきり分る地点まで戻るべしという山のイロハを改めて認識した次第。おまけに、先月痛めた左足親指をかばって長時間歩いたためか、右足親指がとても痛い。明日の登山を諦めてこのまま帰宅しようかとも考えたが、とりあえず先に進んで明朝判断しようと、夕食後伊那ICから飯田ICまで高速を飛ばして遅く池口に入った。

2 11/7 池口岳 (静岡・長野、2392m) .162 

 北・中央アルプスに比べて、南アルプス特に白根三山より南の山はアプローチが長く、登山道も未整備でかつアクセスも悪い。このため開発が遅れており、中高年の山ブームから取り残され、比較的静かに登山できる。百名山でも南ア最南の光岳はどこから登っても不便で、その分登るには体力・時間を要するのでどうしても後回しになってしまい、結局百番目の山を光岳にする人が多い。私が仲間と登った時も、結構年配の単独行の夫人が山小屋の壁に「祝・百名山登頂達成」の幕を貼っておられ、我々同宿者が拍手で達成を祝福したのを思い出す。この南ア南部には二百名山が3座あるが、いずれも登頂困難な山に列せられている。私はこの内、白根南嶺(白根三山の南、大井川源流の東側尾根)の笊ヶ岳には既に登っているが、光岳より南の大井川源流西側(通称南アルプス深南部といわれる)の池口岳と大無間岳が未登頂であった。大井川側から入らねばならない大無間では日程的に無理なので、伊那側から登れる池口岳を選んだ。ガイドブックには往復11時間余とあり、日が短くなっているこのシーズンに登るには余程条件が整わなけねならず、決行するかどうかの最終判断は慎重にと思っていた。  

 ところが前日には、予定外のエネルギー浪費と左足親指の痛み。おまけに登山口の池口が「信州のチベット」といわれる秘境・遠山郷のまだ奥にあり、飯田ICからかなり遠い。しかも林道の最後は地元の元名ガイドが山屋のために開放してくれているとかで手入れが十分で無く、とても荒れていて、夜間のこととて車が腹を擦りそうになることもしばしば。運転に非常に神経を使う等で思いの外時間がかかり、到着がかなり遅くなってしまった。このようにアゲインストばかりが重なり、登山口にあるこれもその人が提供してくれている避難小屋に着いた時には、樹林に囲まれた狭い空には満天の星が輝いていたが、それと裏腹に決心の方は大分鈍っていた。そんな中、まあ全ては明朝のことと、誰もいない小屋に飛び込んで眠りについた。  

 朝、明るくなるはずの5時過ぎには出発しようと思って寝たが、目が覚めたのは6時前。不覚。空は既に白んで、三日月が輝いている。天気は良さそう。幸い右足親指の痛みは引いている。即決行を決意し、小屋を出たのが6:05。登山口には車が1台止まっており、登山者は私1人で無いことを表していて心強い。人工林の植えられた登山道は昨日の上り同様非常に良く整備され、随所に木々に赤テープが付けられていて、迷う心配は全く無い。この道の整備も元名ガイドのボランティアによるものというから、全く頭が下がる。しばらく登ると明るい赤松林に差し掛かり、ブナも混じる。ブナは黄葉もしているが、結構葉が落ちており、絨毯の上を歩いているようで心地良い。やがて面切平。ここから尾根の左北側はカラマツ林の黄色、右南側は自然林の緑という対比の真中を歩く。いささか展望には欠けるが、日差しを遮ってくれて気分は良い。やがて、一面背丈の低い笹原が広がり、高い木々の黄色との対比が面白い。そんな斜面を登り切ると、南側がすぱっと切れ落ちたかなりのスケールの黒薙の崩落地に飛び出し、しばらく進むと黒薙の頭。ここで初めて、双児峰の池口岳が姿を見せてくれる。また左下には「日本のチロル」下栗集落が小さく見下ろせ、その左遠くには中央アルプスの山々も小さく連なっている。  

 再び樹林帯に入り、アップダウンを繰り返す。やがて林はコメツガ、シラビソに変り、利剣沢の頭に。北方遠くにはかなりな高度で林道が走っており、小さな山小屋も見渡せる。方向からすると、塩見岳登山道の鳥倉林道と三伏峠小屋だ。そう思って小屋をずっと東に辿ると、奥に遠く独特の三角形をした塩見岳が小さく見える。その東方手前には、大きな三角形の聖岳がそびえる。薄暗い樹林帯をひたすら進む。枯葉が腐葉土になっていて、クッションが効いている。やがてザラ薙平に到着。ダケカンバの大木が所々に立った草付きのテン場に、テントが1貼貼ってある。登山口にあった車の主のものか。標高が高くなった分、塩見岳の三角形がはっきり大きくなり、その奥に北岳を主峰とする白根三山も望まれる。  

 ここから暫く歩くと登りがきつくなり、小さな岩場も2ヶ所あるが、ロープがしてあり何てこと無い。ここで、私の音色と違う鈴の音が聞こえてきた。ザラ薙平のテントの単独行の人で、今日の山行で後にも先にも出合ったのはこの人のみ、今朝発って頂上から下ってきたという。暫く苦しい登りを続けていくと、南ア南部の山々がすぐ眼前に姿を見せてくれる。その中心は光岳。独立峰では無いが、山腹に2つの大きな岩が見える。濃い緑の山に、白い岩がくっきり浮かび上っている。山名の由来にもなっている「光石」だ。光岳から左に茶臼岳、上河内岳そして聖岳の雄峰と、南ア最南の巨人達が尾根を連ねて続く。かつて縦走したが、まさか、さらにその南のこの方向から眺めると思っていなかっただけに感慨もひとしお。やがて、光岳からの縦走路と合流。約4時間のコースという。  
 
最後の斜面を登って、11:35に山頂に到着。樹林に覆われ展望も無く、頂上を表す標識が木に打ちつけてあるだけで、本当に殺風景。登りたいという希望はあるもののなかなか登れないから地味になってしまう南ア深南の山を改めて認識。
 昼食を取って下山開始。来た道を忠実に戻るだけなのだが、これからが大変。上りでは何てこと無かった右足親指が、下りだと靴の爪先部分に当たって徐々に痛んでくる。下り坂が急な程痛み、フラット若しくは上りだと痛まない。この下山道、結構アップダウンが多くて体力は消耗するが、痛む足からみれば上りは却って休息になり楽。だましだまし下る。黒薙の崩落地から下った辺りまで下ってくると、傾斜も緩くなりかなり楽になった。そんなことでペースが随分落ち、登山口に辿り着いた時には16:05になっていた。思いの外時間を要したが、車に乗ればしめたもの。後は、自宅まで一目散に車をすっ飛ばした。  

 今回の山行は、中ア・南アの巨人達をいつもと違った角度で眺めることが出来、それも黄葉が真っ盛りというベストシーズンに閑かに踏み入れることが出来たということで、私の登山史に新しいページを飾る楽しいものであった。アンナプルナトレッキング中止のバックアップとして登ったにしては、得るところ非常に大であったと言えよう。

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