ヒマラヤトレッキング記
瀬川 滋
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今年のゴールデンウィーク、この時期のネパール政情に大きな変化が無いということから、いつもの山仲間10人でヒマラヤトレッキングに出かけた。スケジュールは一部安全性を考慮して変更したが、ほぼ予定通りの計画で行くことが出来た。天候も、秋の雨季明けのように毎日快晴とまではいかなかったが、雨季前にしてはまずまずであった。
まず旅程は次の通りである。
0)4月27日(水)
東京・新潟組の6人は羽田から飛行機で、諏訪組の3人は茅野からバスで、都合10名、内2人は風邪気味だったが、22:00に何とか全員関西国際空港に集合。
1)4月28日(木)
関空01:25出発、プーケット経由、バンコクで10:30(日本時間12:30)発に乗換、ネパールの首都カトマンズに12:35(同15:50)着、市内観光後カトマンズのホテル泊。
2)4月29日(金)
カトマンズ発、空路トレッキングの拠点ルクラ(2,827m)へ。ルクラでサーダ-、ポーター等15人と合流し、都合25人てトレッキング開始。緩めの上り下りの道をパグディン(2,652m)まで歩きテント泊。
3)4月30日(土)
ドートコシ沿いの道をジョサレへ進み、国立公園入園手続を済ませる。高度差600mを登って、ナムチェ・バザール(2,713m)でテント泊。意外なことに、日本では想像だにしなかった高山病にかかり夜中苦しむ。
4)5月1日(日)
エベレスト頂上を求めて、エベレスト街道を上るが生憎見えず。世界最高地ホテル(3,865m)としてギネスブック公認のホテルエベレストビュー泊。
5)5月2日(月)
早朝の寝室前とホテル出発直後の二瞬、エベレスト山頂が雲間より顔を出す。もう一つの目的クンデピーク(4,200m)登頂、同ホテル泊。
6)5月3日(火)
シャンボチェの丘へ下って、チャーターしたヘリでカトマンズへ。郊外のパターン宮観光後、カトマンズのホテル泊
7)5月4日(水)
空路ポカラへ出、トレッキングスタッフ10名と合流して、車でカ−レ(1,715m)へ。そこから展望地オーストリアンキャンプ(2,200m)までトレッキングして、同地ロッジ泊。
8)5月5日(木)
朝、アンナプルナ全山とマチャプチャリが一斉に顔を出す。絶景。ダンプス村経由ノーダラ(1,170m)まで急な下りをトレッキングし、車でポカラへ。チベットダンス観賞後、ポカラのホテル泊。
9)5月6日(金)
ポカラ市内観光後空路カトマンズへ、カトマンズのホテル泊。
10)5月7日(土)
カトマンズから13:40(同16:55)発空路バンコクへ、23:50(同1:50)発で機中泊。
11)5月8日(日)
関空に早朝7:30着。神戸見学後、夜、六甲にて打ち上げ会。
初めての海外登山。新鮮な経験を一杯してきたが、ゆっくり印象を纏める時間がなかなか取れないので、とりあえず感じたことを項目別に簡単に記してみる。
1 二瞬とはいえ、憧れのエベレスト(8848m)を拝す
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エベレストはチベットでチョモランマと呼ばれているのは良く知れているが、ネパール地元ではサガルマータと呼ばれていることは余り知られていない。そのサガルマータを見たのが5/2。一瞬とはいえ、朝起き出したホテルの部屋の前でと、ピークに登るためホテルを出発してすぐの丘の上でのこと。朝は4時位から1時間程シルエットで見えていたそうだが、私の起き出したのが5時で、眺めている内すぐに雲の中に隠れてしまった。また2回目は、丘に登り切る前から見えていたんだろうが、我々が登り着いたらすぐに恥ずかしそうにガスの中に消えていった。秋であれば、デンと聳えていてゆっくり眺められるというのに非情。 |
ここからは未だ未だエベレストは遠く、前と横に控えるヌプチェ(7885m)・ローチェ(8501m)の奥にちょこっと顔を出している。すぐ近くのアマダブラム(6812m)の、砂漠の中のサボテンのような異形の方がはるかに目立つ。それでも、憧れの世界一の高さにお目にかかれたことだけで感激。一瞬だったけれども、全く見ないで帰る人も多いということで大満足。
2 日本では登れないピークに登頂
日本国内で登山する限り、どんなに高い山に登ったとしても富士山(3776m)より高いピークには登ることが出来ない。折角ヒマラヤに来たのだから是非富士山より高いピークに挑戦したい、というのが山屋の願望。しかしエベレストへの道であるエベレスト街道は谷沿いに作られた生活道、峠越えはあってもピークは無い。そこで街道をそれて、ホテルエベレストビュー近くのクンデピーク(4200m)に挑戦した。メンバー1人に高山病の症状が出たので、残る9人、酸素が薄いのでゆっくりゆっくり登る。この辺りの森林限界は4000m。潅木地帯から木が無くなった草地にはヤクが放牧されている。ここまでちゃんと牧童が引き連れてきているのだ。こんな高い辺鄙な所にもあるチョルテン(仏塔)をやり過ごすと、やっと頂上。全員で恒例の万歳。ここはエベレスト展望の絶景地というが、ガスの中に鎮座ましまして拝見適わず、残念無念。記念に頂上の石を拾う。日本では絶対味わえない経験に感慨も新た。
3 アンナプルナ大パノラマの展望
折角行くのだからと、エベレストだけで無く、アンナプルナにも挑戦しようということになった。限られた休みなので、時間短縮を図ってエベレスト街道下山にはヘリコプターをチャーター。ところが、朝ガスが出て、そのヘリが山中まで飛んでこれないかも知れないという。もし入らないとなると後半のアンナプルナがご破算になると大困惑。ところが、ガスは時間と共にどんどん開いていって、案ずるより産むが易し。お陰で予定通り行動出来た。オーストラリアンキャンプへの登山道では雨に降られ、その日の展望は無し。翌5/5、起床時は曇っていて、アンナプルナ各峰は麓しか見えない。ところがガスが時間と共に上がっていって、一大ドラマが展開される。青い空の下、アンナプルナT峰ーX峰の全てとマッターホルンに似た霊峰マチャプチャリの雄姿、遠くはマナスルまでを大パノラマで見ることが出来た。キャンプの牧草の緑とのコントラストが実に美しい。ラッキー。日本への帰途一緒になったパーティは、アンナプルナ連峰を5日間周回したが、全山を眺められたことは無かったという、ついていた。
4 間近に迫るヒマラヤの峻険
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飛行機でルクラに着いてまず目に飛び込んでくるのがタムセルク(6608m)。ルクラが3000mだから標高差約3500m余、相対的にはせいぜい富士山の高さだが、形が俊鋭。ここまで来るとやっとヒマラヤに来たなって感じがしてまず感激。これがエベレスト街道を進めば進む程見える山が近くなっていき、ナムチェ・バザール辺りまで来ると山のボリュームが圧倒的に増す。すぐ眼の前に絶壁が聳え、岩壁の襞まで手に取るように見える。それがさらにホテルエベレストビューまで上ると、氷河もすぐそこにあるし、何と言っても日本には無いボリュームに圧倒される。双眼鏡を取り出し、頂上を征するにはどの尾根、あの壁を越えてなんてトレースするのも楽しい。 |
この辺りの6-7000m峰、どれであっても、日本に持ってくれば超人気の山になろう。また、シェルパの里クムジュン辺りから見るアマダブラムの高さの違う双峰の威容も迫力がある。山々には雲が出ていて頂上は見えないんだなあなんて思っていると、その雲のまた上に頂上が顔を出している。高さの感覚が日本の山とは全く違う。本当に涙が出る。生憎の雲でエベレスト等7ー8000m峰はほんの一瞬しか見えなかったが、それでもスケールが違う。来た甲斐があったというものだ。
5 花三昧
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この時期、石楠花の花が満開であった。日本のより相当大きな木に、西洋石楠花のような彩やかな花が咲く。今年は2週間ほど早いと言うが、ホテルエベレストビュー辺りは満開だった。ホテルの周りは自然が作ったまるで日本庭園のようになっているが、石楠花の木がメインに広がっており、赤や白の花がびっしりで見応えがあった。ナムチェ・バザールでも満開の石楠花の大木の向こうにゴンパ(寺院)やチョルテン(仏塔)が建っていて、急な斜面の中の色取りのコントラストがとても楽しい。山に登れば、小さくかわいい高山植物の桜草やアヤメが群生している。そして街道では、菜の花に桃、姫りんごの花々が咲いている。 |
昔日本人が住んでいたという所では、未だ咲いてはいなかったが桜も咲くそうな。まるで、日本の田園風景かと見間違う程。都市では、紫色のジャカランタや黄色のシルキーオークが大木に咲く花として賑わしていた。また暖かいポカラ辺りではブーゲンビリアも咲き乱れていた。ネパールは山だけで無く、色んな花にも恵まれた実に自然色豊かな国だということを実感した。
6 江戸時代への逆戻り
エベレスト街道は、この地に住む住民の生活道。しかし、車も入らない山道。大昔からそんなに変化していないだろう。この道、チベット商人の交易の道でもある。近隣の山から採れる豊富な石が、ふんだんに使われている。道は随所に石畳が敷かれ、山地の上りの階段も石が葺かれてきちんとメンテされており、大変歩き安い。また道と畑、畑と畑も石で仕切られている。畑にゾッキョ(ヤクと牛の交配種)等家畜を放すのだが、家畜は石で区切られた範囲の草を食べる。草が無くなったら境界の石を一部はがして次の区画に移すというように、家畜の餌の調整のために積まれている。街道を歩いていると石、石、石の文化だ。そしてその道を、人以外は荷物運搬用のヤクやゾッキョが活躍する。道にはその糞が満ちており、うっかりするとふんずけてしまうので、歩く時には注意が肝要。ナムチェ辺りではソーラ発電と思われる電気が通じており道にも薄い明かりが灯っているが、街道筋の大概の村はローソクが頼り。そんな中でも、村人は何不自由無く暮らしている。時間の尺度も違う。例えば、現地の人はどこの村からどこの村に行くかの距離の単位がkmでは無くて日単位という。多分、江戸時代の日本の街道もこんなに長閑であったんだろうなあと、タイムスリップに感慨もひとしお。
7 登山文化
今回のエベレスト街道の山行、宿泊にロッジを使う手もあったが、山をやっている者が行くのだからとテント行を選んだ。その生活たるや正に大名旅行。サーダーと呼ばれる幹事役、案内役のシェルパ、コック長、キッチンボーイ、そしてポーターと、我々10人に対して総勢15人が付く。各々役割が決まっており、決して役割以外の仕事はしない。朝テントで目覚めると洗顔の湯が出、モーニングティが運ばれる。そして朝食。パン食だが、粗末なテーブルにはちゃんとテーブルクロスが掛けられ、卵料理等が出て、バター、ジャム、蜂蜜も揃っている。スプーン、フォークにナイフ、それに日本人向けに箸も付いている。ちゃんとデザートも出る。我々が出発すると、それらが片付けられ、テントもたたまれてポーターが担ぎ、我々を追い越していく。このポーター、1人60kgから100kgも担ぐという。女性もおり、アンナプルナ行の我々のパーティでは2人が女性だった。10時頃には休息があり、ちゃんとティーが出る。昼も我々が到着する前には準備が整っており、フルメニュー。午後も休憩がある。そして夜、我々が到着する時には既にテントが張られている。そして夕食。やはり、現地料理中心のフルコース。日本人向けに天ぷらも出ることがある。感心するのは調味料。塩、胡椒に加えて、ネパールの薬味そして日本製の醤油まで揃っている。食器は、移動に耐えられるよう全て薄いステンレス。大名旅行の所以だ。エベレスト登山は、1953年に有名なヒラリー卿とシェルパのテンジンが初登頂して以来半世紀の歴史があるが、ヒマラヤの登山文化はイギリス人が築き上げ、現代まで脈々と受け継がれてきているのだ。これに比して、日本の山小屋のお粗末なこと。尤もこれは現地の人件費が安いから成り立つのであって、日本でこれと同じことをやっていたんでは合わないのは言うまでも無いことだが・・・。
8 レッサンフィリリ〜♪
アンナプルナ展望の地オーストラリアンキャンプでの出来事。到着した日は雨が降っていて、山の展望もきかないので皆は沈没。起きていたのは3人。うち1人はプロの料理屋。通りかかったサーダーに「今日の料理は?」って聞くと「天婦羅」という答。それならと調理小屋に入っていき、油加減から衣の加減まで指導。最初は自分の領分を侵されるのではといやがっていたコック長も、新しいことが勉強出来ると目が輝いてくる。「ニンニクがあれば、丸焼きにするとうまいよ」と言うと、横にある畑から取ってくる協力振り。こんなことがあっての夕食。それ以前の食事は、私作る人、私食べる人って感じで我々と彼等の間には何と無く大きな隔たりがあったのだが、思わぬ一体感が醸成されてきていた。とりあえずの食事が終わった後、皆が一同に集って酒盛り。我々の持参した酒と地元の焼酎「ロクシ」で大騒ぎ。やがてポーターの女の子の太鼓に合わせた歌、踊り。彼らのベースになるメロディが、ネパール民謡「レッサンフィリリ〜レッサンフィリリ〜」。ネパールの恋の歌とかいうだけあって、何となく哀調がある。日本人の心にも大い響き、大変盛り上った夜だった。
9 高山病
旅行社の人から、4000mまで登ると大なり小なり全員高山病の症状が現れるが、10人のパーティなら必ず3人位は症状が若干重くなると言われていた。しかし私達は、何回も3000mクラスに登っているので無縁のものと思っていた。ところがどっこい、4/30ナムチェ・バザールのテントの中で横になると頭痛。起き出して深呼吸すると治まる。また横になると頭痛。これを5回繰り返す。眠れたものでは無い。翌朝、早速薬のご厄介に。5/1の行軍では、時折り深い深呼吸をしながら進んで問題無し。到着したホテルで血中濃度を測定して貰うと60台。90台は地元の人、80台は問題無し、70台はまあまあ、50ー60台は要注意、50以下は危険という。念のため、酸素を20分吸入。でも血中濃度は変化無し。危惧したが、翌日のクンデピーク登山は全く問題無し。ホテルに戻ってから測定し直したら、自然に80台に回復していた。考えてみれば、ナムチェ・バザールは2,713m、日本では全く問題にならない高さで出た高山病。自分には無縁のものと思っていただけに大ショック。高地順応が鈍いのかなあ・・・。外に酸素のお世話になった人が2人で、旅行社の言う通りの人数。内1人は一時40台まで下がり、大騒ぎした。その彼は随分酸素のお世話になり、クンデピーク登頂も見合わせたが、下山すると嘘のようにすっきりでヤレヤレ。高地では日本で経験出来ない関門が控えているということを改めて痛感した次第。
10 トイレ事情
トレッキングで最も問題になるのがトイレ。今回メンバーに女性が1人いることもあり、大変気になって事前に旅行社に確かめていた。基本的には、宿泊地では近くのロッジ、行動中は途中にある休憩所で用が足せるが、山中最悪は木陰でと言われていた。しかし、街道にはロッジが目白押し。まずトイレで苦労することは無かった。しかし、そのトイレが様々。その殆どが屋外に板囲い。足場には板が渡してあり穴が開いているだけのもの、それも1つだけで無く、何故か3つ並行に開いている所もある。また便器と言っても金隠しは無く、日本とは逆向き(ドア向き)に設置されている。しかし、どこも日本のようなポットン型は無い。トイレの横に置いてある針葉樹の葉をかぶせて臭いを抑えかつ自然回帰を図る方式から、横に置いてあるバケツから柄杓で水を酌んで人力水洗する所まで様々だった。どこのトイレでも、トイレットペーパーは側の箱に入れる方式。いずれにしても、自然との調和が十分図られた中で様々な工夫がさており、いたく感心した次第。
11 信仰心と神仏混交
ネパールの人々は信心深い。都会でも山中でもこちらが「ナマステ(コンニチワ)」って声をかけると、相手は必ず両手を合わせて「ナマステ」と返してくれる。それが、未だ学校にも行っていないような幼児に声をかけても同様である。それに、都会でも田舎でも寺院が極めて多い。それも、ヒンズー教とチベット仏教が全く違和感無く混交している。都会の王宮跡等、人の集まる所には必ず寺があり、両教が同居して向かい合っている。中に祭られているのはシバ神やらガルータ(鳥人)神、大日如来、阿弥陀如来から薬師如来から文殊菩薩等ありと、あらゆる神仏が全く違和感無しである。日本の神仏混合、八方よろすの神のようなものか。また、寺を囲むように四方に中に有難い経典の入ったマニ車が沢山飾ってあり、信者はそれを次々と片手で回し、「オムマニペメフム(南無阿弥陀仏)」を唱えながらお寺を右回りに回る。更には、生き神様という俗界から隔離された乙女の住む館があって、その生き神様にお目にかかれもした。また、街道・山中には、ゴンパ(寺院)、チョルテン(仏塔)、マニ石(経文を掘り込んだ石)が随所に見られた。部落の入口の高い所には、魔除けの旗指物が沢山かざしてある。峻険な峠上にも、立派なゴンパが建っている。都会でも田舎でも住民は決して豊かでも無いのに、富も文化も宗教に集約しているって感じ。これは、どこよりも厳しいネパールの自然環境を生き抜くために宗教が人々の大きな拠り所になっていることから来るのかも知れない。古今東西変わらぬ信仰の力の大きさを垣間見たと言えよう。
12 様々な牛
ヒンズー教が国教のネパールのこと、牛は大変神聖なものである。事実、カトマンズ市内の幹線道路を車で走っていて、急にスピードが落ちたなあと思うと、そこには「お牛さま」が寝そべっている。舗装されていようが目抜通りであろうが頓着無い。どこにいても誰からも追っ払われないから、正に天国。飼い主の分らぬ野良犬ならぬ「野良牛」もいるという。使役には牛は何の役にも立たないので、水牛がその代役を果たしている。
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それが、標高が少し上がるとゾッキョ(ヤクと牛の交配種)が活躍。重い荷物を担いで石畳の階段を何無く登っていく。時に背中の荷物のバランスが崩れると、ピタっと止まってしまう。牛追いがバランスを整えてやると、また歩き出す。性格はとてもおとなしい。街道を歩いていても、突如ヌッと現れる。慣れぬ内はその立派な角とギョロっとした目に恐怖さへ感じたが、慣れてくると何とも愛くるしい。標高が4000mに近づくと、ゾッキョに代ってヤクの世界。高地に生息するだけあって毛はふさふさしていて、高級セーター等にもなっている。 |
また、高地のロッジでストーブに当っていると、その中に黒い煎餅状の物を放り込む。すると急に火力が上がる。聞けば乾燥したヤクの糞だという。こんなところにも役立っているヤク、性格は極めて獰猛。偶々放牧しているのを見つけて写真でも撮ろうと近付くと、必ずシェルパが護衛に寄ってくる程だ。道ですれ違って、人が谷側にいようものなら突き落とされることもあるというので、すれ違いは必ず山側を選んだものだ。このようにネパールでは、標高に応じて異なった牛が活躍している。そんなネパールの食事には、当然ビーフステーキは出ない。ところが、ある所でOKというので頼んだ。聞けば水牛のウェルダンだという。いけないのは牛だけで、それ以外はいいのだそうだ。
13 毒にも薬にもなる水
この国は山また山の国であり、1年の半分は雨季というから水は豊富。それが電気に化ければ、立派な資源。事実、カトマンズの街中、トロリーバスが走っているばかりで無く、町のあちこち縦横無尽に電動乗合オート三輪車が走っている。正に庶民の足。小さな車体に満員の場合客を8人位乗せており、坂道ではウンウン唸って上っていくのは壮観。どこで充電しているのか、その光景は見たこと無いが、これだけ電気自動車が実用化している国を他に知らない。この国の隣国はBRICsに列するインド。その工業化がもっと進めば、中国の例を見るまでも無く電力不足は必定。この国の水を源とした電力が輸出されることになろう。そうなれば、観光のみに頼るこの国の経済に大きな活路が見出せるよう。ところが、その水が我々旅行者には大変厄介な代物。道を歩いているときれいな沢水が流れている。日本での登山であれば、こんな場合、マグカップを取り出してちょいと一杯喉をうるおす。ところが、そうはいかない。出発前から水には注意するようにと再々言われてきた。とに角、ホテルでも煮沸した湯かミネラルしか飲まず、部屋に置いてあるジャーの水さへ全く口にしなかった。ましてや、山行中出る料理、火を通した物しか食べず、好きな生野菜さへ警戒した。例え野菜が良くても、それを切った包丁が危ないのである。包丁を洗った水の菌が恐ろしいからである。事実、ポカラからカトマンズ行きの空港でネパール人が脂汗を流し、お腹を抱えて胃薬が無いかと訴えてきた。聞けば、日本に13年住んだネパール人。郷里に帰って昨夜食べたチベット料理店で水にやられたようだと言う。本人はネパール人だと思っていても、もう身体は日本人になってしまっているのである。
14 航空機アラカルト
今回利用した航空機、カトマンズまでの国際線は大型ジェットで乗り慣れたものであったが、国内便は18人乗のプロペラ機。低空を飛ぶので窓外に見える下界は、手に取るよう。山にはあまり木は無く、かなり高い所まで家が点在し、赤っぽい山肌に千枚田のように小さく区切られた畑が広がる。遠くには、ヒマラヤの山塊が各々の個を主張するかのように独特の形で楽しませてくれる。操縦席との仕切ドアは無く、パイロットの向こうの前景も楽しめる。その分、空港でのハイジャック検査はとても厳密。ルクラ便で前を見ていた者が「エベレストが見えた」と叫ぶ。あわてて前を覗くが、もう雲の中。やがてルクラ空港、滑走路は、急な山峡の斜面の途中の狭い段丘の端っこに、短く緩い上りスロープで作られている。大丈夫かなって思って見ていると、見事無事着陸。ホッとする。シャンボチェからの帰りは、チャーターしたヘリコプター。ルクラよりもっと山奥で、滑走路は舗装されておらず、現在は飛行機の乗り入れは無い。チャーターヘリのみ。到着を待っていると、定期便でも無いのにどうして分かるのか、近くの農婦が出てきて即席の土産売り。
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ヘリの爆音と突風の下、乗り込むとすぐ出発。5人乗なので2組に分れ、先発隊はルクラで降り、国内便に乗り換える。ヘリは取って返して、後発隊5人を乗せる。カトマンズまで直行するには燃料が持たないので、ルクラに寄って給油。何とポンプで自動ではなくて、ポリタンを使って手で給油している。プロペラ機より低空を飛ぶので、段々畑がすぐそこに見える。山の斜面をくねくね走る道が人道のみから車道が加わってくると、カトマンズは近い。カトマンズ空港では一旦軍の施設に下り、カービン銃を持った軍人の検査を受ける。麻薬密輸を警戒しているのだろう、麻薬犬まで登場。OKになると、ヘリは再び駐機場に飛んで降機。ヘリといい、ルクラ便といい、険しい谷合を有視界で飛ぶので、飛ぶか飛ばないかはお天気次第。欠航でスケジュール変更は日常茶飯事という。そのため、普通トレッキング計画の最後には観光という予備日が設けてある。今回は全てが予定通り。ヤレヤレ。 |
15 政情
ネパール国民の半数以上はマオタイ派(毛沢東主義過激派)という。権力全てが国王に集中していることに対する民主化要求の結果である。これはアンナプルナをガイドしたサーダーの話で納得。例えば、外国人がトレッキングに入ると入山料なるものを払うが、それは全く地元には還元されず全て国王が握り、道路の整備等は全て地元任せという。事実、入山料とは別に部落で道路整備協力カンパを集めていた所もあった。また、下山時にハイスクールの前を通ったが、そこには片道数時間かかるずっと遠くから子供が通ってきている。遥か向こうの山を指差して曰く、「あの部落に学校を建設する計画があって、日本からの援助がとっくにネパール国王に届いているが、一向に建つ気配が無い。今度ネパールに来る時には、日本では焼却しているような古着を持ってきて欲しい。そしてそれを政府ではなくて、直接現地の学校等に届けて欲しい」と。こんな実情に不満を持つ民衆がマオタイ派に誘われているらしい。かく言うサーダーも、隠れマオタイ派かも知れない。加えて、現国王が即位する経緯や首相を解任して親政を布くとかがあって、政情は極めて不安定。我々がネパールに到着した時は、未だ戒厳令が引かれていた状態だった。元々、5/7はポカラから車でマナスルの素晴らしいマナカマナ寺院に寄る計画だったのだが、万が一マオタイ派によって道路が閉鎖されたら予定通り帰れなくなってしまうという危惧が出たことで断念し、急に飛行機に切り替えた程である。確かに、カトマンズの空港に着く早々、カービン銃を提げた軍人がお出迎え。町中どこに行っても、軍人とやはりカービン銃を持った警官が満ち溢れていた。しかし、その割に町は平穏で、やがてこちらも慣れっこになっていった。その戒厳令も、5/6には無事解除。しかしその後も、軍人と警官が溢れている光景には何の変化も感じられなかった。
16 せんえんせんえん
カトマンズの繁華街を歩いていると、日本人と見るや土産物を手に「ともだち、せんえんせんえん」と寄ってくる。現地通貨ルピーよりレートが良いのと、日本人観光客の感覚から気軽に財布から取り出せるというのことが彼らには分っていてのであろう、断っても断っても執拗に付いて来る。時間と共に品物の数量は2つが3つ、4つに増えていく。根負けして買うと、今度はその数に更に1〜2個おまけがついて、また「せんえんせんえん」とくる。先に払った千円分でその1〜2個くれと思うが、それはダメ。とにかくこの国に定価は無く、売り手と買い手の駆け引き次第。最初はこれを面白いと思って、適当にあしらった末に、「パイナチャイサ(お金無いよ)」。それでも付いて来る。段々五月蝿くなり、視線を合わさないようにして無視。なおそれでも「せんえんせんえん」。徐々に子守唄に聞こえてくる。さらに、地方に行くと「ともだち、ぶつぶつこうかん」と寄ってくる。聞けば、現地では飴とか折り畳み傘が貴重らしく、それらと土産を交換してくれというのである。
旅の終わりになると、何かと余り物が出てくる。持って帰っても仕様が無いので、ついつい話に乗る。これはお互い理に適った取引だと感心した。
17 ワイロ
出国時は、皆が土産を買い込み、往きに対して帰りはかなり荷物が増えている。預ける荷物が重量オーバーしないように気遣って、軽くて嵩張る物をトランクに詰め込み、重くてコンパクトな物を機内持込荷物に納めた。厳重な荷物検査を何無くやり過ごした、税関検査での話。持ってる手荷物を全て出せと言う。そこで市中で買った仏像が引っかかった。露天で買った物だと訴えたが駄目。やがて、仏像を包んでいたビニール袋の中を指差して「チップ、チップ」と言う。後進国ではこんな場合そっと渡すワイロが有効と聞いていたが、向こうからあからさまに要求してくる。財布を見ると、ルピーは使い果して無く、円は万札しか無い。検査官はそれを入れろと言う。万札を取られたらたまらない。止む無くコインを出すが、「ビル、ビル」と取り合ってくれない。偶々横に仲間がいたので、千円札を借りてそれを入れてみる。新札だったが、くしゃくしゃにしてそっとポケットに収め、にこっとOKのサイン。彼等にとっておあつらえ向きのカモってところだったのであろう。
18 インターネット
通信事情の極めて悪いネパール、都会の4☆、5☆クラスのホテルでも、オフィスの中は分らないが、少なくとも客室にはインターネット環境は無い。ところがどっこい、車も入らない高地の交易地ナムチェ・バザールにeメールと書かれた看板の店(インターネットカフェ? お茶は出ないかも知れない)があり、中を覗くとパソコンが置いてあった。使っている人は見かけなかったが、こんな未開の地にも当然衛星経由だろうがインターネットが入ってきていると驚かされた。日本語ソフトが入っているかが大変興味があったが、何しろ言葉が通じないので、外から見ただけで良く分らなかった。鉄や竹のカーテンを突き破った情報がここまで進入してきている。やがてはこの王国も、もっともっと民主化に向かって変っていくことであろう。その時、このネパールの豊かな自然と、王政・カースト制等で固められた社会が決して今のままってことはあり得ない、それらが今後どのように変貌していくのであろうかが大変興味のあるところだ。
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