[シリーズ投稿] 新聞の研究(その4)
ホリエモン報道の虚実@(朝日新聞の場合) 柳下 彊
2月はじめから4月にかけて新聞、テレビで連日報道された「ライブドア社によるニッポン放送株式の買収問題」については、大勢の野次馬の中の一人として、私も興味を持って眺めてきました。4月18日にフジテレビ、ニッポン放送、ライブドア3社の間で資本・業務提携の合意が成立し、この問題には一応の決着がつき、堀江氏の当初言っていた「通信と放送の融合」に向けての業務提携の具体化をどのように進めるのかという重要な問題は残っているものの、マスコミのこの問題に対する関心は急速に薄れたようで、新聞紙面に「ホリエモン」の文字を見る機会はめっきり減りました。
本稿では、ほぼ70日間(2月9日〜4月19日)にわたって展開された新聞報道から、この間盛んに論じられた「報道の公共性」ということについて考えてみたいと思います。
1 テレビ朝日株式買収問題
フジテレビとライブドア両社の和解成立後に、日経新聞から堀江貴文社長に対する感想を問われた鈴木敏文イトーヨーカ堂会長は次のように答えています。
「メディアを変えるという話だったが、結果から見ればマネーゲームだったというしかない。だが、真相は分からずそう決めつけるのも無責任だ。孫(正義)さんがテレビ朝日の株を手に入れた時と似たような結末になった感じを持っている」(2005.04.22日経 企業防衛 私の視点6)
「孫さんがテレビ朝日の株を手に入れた時」とは、1996年6月にソフトバンク社の孫正義社長が豪州ニューズ・コーポレーション社のマードック氏と組んで、テレビ朝日の発行済み株式の21%余りを取得した出来事を指しています。孫氏側は衛星デジタル放送「JスカイB」の翌春立ち上げを控えて、国内キー局から番組提供を受けることなど、業務提携の実現をねらいとしたものといわれましたが、テレビ朝日と親会社の朝日新聞社は、組織防衛のために分散していた株式を朝日新聞社に集中するなどの手段によって対抗したことが報道されています。この結果、ソフトバンク側は1997年3月に、買収した株式の全額を朝日新聞社に売却し、代りにJスカイBの立ち上げに際してテレビ朝日からソフト面の協力を得るとの約束を取り付けるという妥協に応じることになったのでした。
このテレ朝株買収から、売戻しに至る経緯は、今度のフジ・産経グループとライブドア社の対立から和解に至る展開と良く似ていて、そのこと自体が興味深いのですが、ここでは、朝日新聞の当時の論調をあらためて読み、同紙の考え方を確認しておきたいと思います。
(1996.6.22 朝日社説「マードック氏の日本上陸」から)
日本の放送界は、世界的に視野を広げて、今回の動きを、むしろ情報の質と発信機能を高めていくための好機としなければならない。
テレビ朝日には、将来に向けて、日本の実像を正確に伝えるよう努めるとともに各国の人々から評価され、歓迎される番組作りに、より一層力を入れることを求めたい。視聴率の呪縛から逃れた番組作りに挑戦してもらいたい。
マードック氏の日本上陸は、産業の各分野で起こっている激しい変化の一つの表れだ。ことさら「黒船」の来襲と身構える必要はなかろう。
この社説は、一見、テレビ朝日株式の買収に対する警戒感よりも、むしろそれをチャンスと捉えて、放送界の改革を進めようとする前向きの意見を表明しているように受け取れるのですが、朝日新聞社とテレビ朝日の経営陣の実際の対応は、上にも触れたとおり、ソフトバンクと組んだマードック氏の侵入を黒船来航として認識し、それをひたすら排除しようとする「攘夷政策」だったように見えます。
テレ朝の筆頭株主である朝日新聞は昨年、孫氏らの株買収が表面化してから朝日グループを挙げて組織防衛に走った。伊藤・テレ朝社長をはじめとする個人名義の株式を朝日新聞名義に書き換え、筆頭株主の地位を固めた。孫氏らの役員派遣の要望にも非常勤に限定した。(1997.3.6毎日「テレビ朝日株買い戻し 組織防衛を図った「朝日」」)
朝日新聞の松下宗之社長は、とある会合で、テレビ朝日の株式をマードック氏らが買収した一件を「朝日新聞創業以来の危機」と表現した。日本の放送業界、とりわけキー局はそれぞれ全国紙と密接なつながりを持っている。朝日新聞の今後のマルチメディア事業の展開も、キーはテレ朝。「突然すぎて、友好的とはとても思えない」(朝日新聞幹部)株式買収に、神経を逆なでされた様子が見て取れる。(1997.3.7毎日「テレビ朝日株、売却が“ベスト”
−−ソニーの大賀典雄会長」)
この二つの記事は、前年6月22日付論説で放送界改革の立派な抱負を述べた朝日新聞が、その言葉の裏側では、「敵対的買収」を受けたという認識を持って、対抗策をとっていたことを示しています。同じ新聞社の中でも、論説委員と、経営責任者は別人であって、意見を異にすることはあっても良いとは思いますが、この場合は、新聞社と系列キー局経営の基本的な方針に関わる問題ですから、経営方針と論説との間に矛盾や分裂があるべきではなく、少なくとも経営者の行為が論説の信頼性を毀損しているのは明らかではないでしょうか。社説がこの時打ち上げた「視聴率の呪縛からの解放」と、「海外への情報発信」というテレビ放送への期待は実現したのでしょうか。
試みにテレビ朝日サイトの「会社情報」を開くと、「投資家の皆様へ」と題した同社広瀬社長のインタビュー動画を見ることができます。そこで、社長の語る「全社改革推進運動」とは、視聴率の向上と、それを営業収益(広告収入)の増加につなげることを第一の目的として掲げる運動です。朝日新聞の社説が9年前に述べている「視聴率の呪縛から逃れた番組作り」という言葉が空論であることが、この一事によって証明されるのではないでしょうか。
また、テレビ朝日に対して「日本の実像を正確に伝える番組」を作り、海外に向けて情報発信することを推奨する朝日新聞自身は、そのような努力を尽くしているのでしょうか。4月11日付けの日経新聞は、同月初めの週末に繰り返された中国各地での激しい反日デモの背景について、根拠のない噂がネットや口コミを通じて広がり、反日感情をあおったことを伝えています。
九日のデモで学生たちが配っていたビラには、「ホンダ、トヨタ、日産・・・・は日本の軍事産業の支柱企業だ」とあった。
ビラには「もし百元の日本製品を買えば十元は日本が国際社会で反中を広げるための政治資金に回り、九元は“大日本皇軍”の武器製造に回る」との解説まで書かれていた。(2005.04.11日経「反日あおる虚偽情報」)
中国と日本の社会の間には大きな情報のギャップがあり、そのギャップが悪意や粗忽と結びつけば、首相の靖国神社参拝や日本企業の中国市場への進出などを容易に中国社会に対する悪意や害意を伴った行為のように見せてしまうことができるのではないでしょうか。このようなギャップを少しずつでも減らして行く工夫と努力が必要です。中国の人民日報サイトには自国語のほかに英語と日本語のサイトがあり、韓国の東亜日報と朝鮮日報は英語、中国語と日本語版を備えています。朝日新聞サイトもこれらに倣って、アジアに向けて「日本の実像を正確に伝える」ために英語だけでなく、中国語とハングルのサイトを新設、発信すべきではないでしょうか。
2 ニッポン放送株式の買収問題
2月8日にライブドアによってニッポン放送株式が買収された後、産経新聞は、朝日系列の週刊誌AERAに掲載された堀江社長のインタビュー記事を取り上げて、強い調子で堀江氏とAERAの記事を批判する社説(2005.2.18産経;主張「産経を支配するって?」)を掲載しました。AERAの記事はいかにも週刊誌らしく放談形式の無責任な調子のもので、真面目に取り上げるほどの内容はなかったのですが、産経紙は愚直にこれに反発して、堀江氏のエンタメ重視、経済合理性重視の姿勢に対し、同紙の「正論路線」の正当性を強調して、「堀江氏は、メディアを担う資格があるのか?」と問うたものでした。
この社説に対して、朝日新聞は5日後にこれに呼応して社説を掲載しています。
(2005.2.23朝日社説「ライブドア――いきり立つのでなく」)
次々と起こる出来事に目を奪われがちだが、ここは冷静になってことの本質を考えてみたい。
ニッポン放送は、株式を証券市場に公開している。だれが株を売買しても自由だ。投資家が株を買い集めて経営権を握ろうとすること自体を、不法な乗っ取りのように騒ぐのはおかしい。
フジサンケイグループでは規模の小さなニッポン放送がフジテレビの親会社となるいびつな構造を残していた。この弱みを突かれた面も否定できない。
グループの一員、産経新聞は社説で「産経を支配するって?」と反発している。独自の言論路線を侵されたくない気持ちはわかるが、株の40%をフジテレビが持つという構造に問題がなかったか。
堀江社長らの挑戦的な言動には批判の声が上がっている。それが無用な反発を招くのなら、結局は自分が損をするだけだ。目くじらを立てることはない。
ライブドアが採った敵対的買収の手法と、それを非公開の時間外取引として行ったことは、様々な論議を呼び起こし、その後に行われた司法の場での争いでも論点の一つになりました。高裁までの判断では、ライブドア側に違法性を認める証拠はないとされましたが、証券取引法を改正する動きまで引き起したことを考えれば、産経新聞が主張で問題とし批判する心情は、買収に遭ったフジ・サンケイグループの一員としては無理からぬことです。また、上記の産経社説の論旨は、堀江氏のメディアに対する姿勢を批判の対象として取り上げたもので、敵対的買収の手法自体を不法として騒いだわけではないのです。朝日新聞は、2月25日に発表した社説では、「証券取引所の時間外取引を利用して大量の株を入手したライブドアのやり方も、首をかしげさせるもの」だと述べているので、この点は十分に認識しているわけで、この(産経紙が)「投資家が株を買い集めて経営権を握ろうとすること自体を、不法な乗っ取りのように騒」いでいるとする論は故意に論点をずらしたものです。またフジ・サンケイグループの持ち株構造に対する批判については、確かに同グループの経営上の失敗を突いてはいるのですが、朝日新聞自体も、テレビ朝日株の大株主であった旺文社との間で株式譲り受けのための交渉に手を付けながら、価格面の折り合いがつかず、この交渉を中断し放置していた間に、旺文社からソフトバンク側へ株式譲渡が行われる事態を招くという失敗を犯しています。自己の過去の失策については知らぬ顔をし、他者が同種の失敗を犯すと容赦なく批判を加える振舞いは、ジャーナリズムの公共性に適っているのでしょうか。朝日紙のこのような思想的に対立する他者の失敗に対して不寛容な姿勢は「惻隠の情」に欠ける態度と言わざるをえず、私は好きになれません。
ライブドアとフジ・サンケイグループの争いは、地裁、高裁の判決を経た後、ソフトバンク・インベストメントの北尾吉孝CEOという興味深い人物の登場まであったうえで、結局は株式の買い戻しという妥協策によって一段落することになりました。大山鳴動して鼠一匹という印象がないではありませんが、それでもこの事件を契機として、企業の買収防衛策に関する議論が様々に行われ、法律改正の動きもあって証券市場が今後より公正で公開性の高い方向に進むことになれば、堀江氏の働きには大きな意味があったと言えるのではないでしょうか。
両者の「和解」に関して、朝日新聞の社説は次のように述べています。
(2005.4.19朝日社説「ライブドア これで「想定内」ですか」)
この対立が人々の耳目を集めたのは、目先の変わったビジネス活劇だったからだけではなかろう。日本の社会や企業経営の将来にかかわる大テーマがいくつも盛り込まれていたからだ。 ただ、ここにきての和解劇を見ると、ニッポン放送をもてあそんだだけに終わった感は否めない。だからこそ、堀江氏に対して「初めから売り抜ける狙いだった」との批判もくすぶる。 フジにとっても、「勝ち戦」とはしゃいでいる時ではない。買い戻し価格は、公開買い付け(TOB)の水準を大きく上回った。会見でこの点を突かれたフジの日枝久会長は「内心忸怩(じくじ)たる思いはある」と語った。
社説はこの後、両者の争いの元になったのは、規模の小さいニッポン放送が大きなフジテレビの親会社となっていた資本構造の矛盾であったとして、そのような無理が株式の買い戻しのために多額の費用を要し、フジテレビによる公開買付けに応じた株主と(ライブドアと)の間の不公平を生じたことに対する経営責任を厳しく問うています。ライブドア社に対しては、マネーゲームとの批判に応えるために、フジグループとの業務提携交渉から具体的な成果を挙げるよう迫っています。朝日紙の意見は尤もですが、私見では、この収まり方は双方が力と知恵を尽くして戦った結果であって、この和解で一応の決着が付いてしまったように思います。インターネットと放送の融合に関しては、テレビ朝日株の買収の動因になったデジタル放送の開始が、JスカイBからスカイパーフェクTVへと形を変えた時のように、新しいエネルギーを補給しなければ実現は難しいと思います。9年前のテレビ朝日株式買収と今度のニッポン放送の場合について、当事者達の振舞いや、言葉を見ると、同じできごとが繰り返されているようにも見えます。
朝日新聞の論壇時評(2005.4.27夕刊)で、金子勝氏は、この買収劇について、「80年代、レーガン時代の米国で横行した敵対的M&Aに似ている。」として、「この社会は、80年代の米国をまねているだけで、前に進んでいない。」と酷評しています。朝日新聞の日本社会に対する認識のレベルは確かに10年前から進んでいないようですが、私の目には、日本の経済社会は、良い方向へか悪い方向へかは判りませんが確実に変化しており、この変化から良い結果を生み出す知恵が求められているように思います。
大問題の議論は筆者の柄ではないので、朝日新聞の論調に関して私見を述べて本稿を結ぶことにします。
朝日紙の社説は、正論を述べることが多いのに、優等生の作文のようで面白味に乏しく、説得力にも欠けているように私には感じられます。その要因をいくつか挙げてみれば、
@自分は誤らないという、根拠に欠けてはいるが強い信念、
A朝日新聞社も資本主義社会の中の一私企業であるとの自覚が欠如あるいは不足している、
B論説の基調に強い(時には過剰な)倫理観があってそれが鼻につく
などがあります。
このうち、Aに関して少しだけ補足すれば、新聞社も、広告主と読者の支持がなければ営業自体が成り立たない私企業です。新聞報道の公共性とは、この私企業としての立場と、批判精神との均衡のうえに成り立つものではないでしょうか。私企業的立場を優先して批判精神を失えば、新聞は企業の広報誌と同じものになり、批判精神ばかりが旺盛で自らの私企業としての立場を忘れれば、自らそこに立つ日本社会の現実から遊離した空論家になってしまうのではないでしょうか。朝日新聞がこのような空論家にならない事を子供の頃からの読者の一人として願うものです。(2005.5.30)
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