ヒマラヤ後、体をナマらさないための梅雨前登山   瀬川 滋

 
 
 

 
5/29 毛無山 (山梨・静岡、1945m) .163

 ヒマラヤトレッキングから帰った後、それまで溜めていたこと等でバタバタしていて、なかなか身体を使うことが無かった。来週末には所用も有り、このままうかうかしていると梅雨に入ってしまう。出かけるとすると、28日には予定があるので29日しか無い。そう思って天気予報の長期予報を見ていたが、それまで晴天が続いた反動か、あるいは梅雨の先触れか、決して良くない。あきらめていたら、日が近づくにつれて良い方に変わっていったので思い切って出かけた。

 今回登ったのは、富士山の絶好の展望地として知られる毛無山。一昨年に、同じく富士がきれいという愛鷹山に登ったが曇天でお目にかかれず、そのリベンジとして、昨年秋に東京出張の帰りに計画したが天候が良くなくて中止した山である。今回も、時期が時期だけに富士の展望は難しいかも知れないと思ったが、登るだけでもと決行した。ガイドブックによればこの山、甲府から身延線で入って下部温泉から登りに5時間半、登山口までタクシーを飛ばせば3時間半という。

 どこか他にとっかかりが無いかとネットで調べると、南の朝霧高原から登れば、バス停から3時間半のルートがあるという。「これだ」と思って、早朝静岡から、富士宮経由バスで朝霧高原グリーンパーク入口に入る。案じられた天候は雲が厚く、車中清水から見晴らせるはずの双頭の竜双山も靄っていて見えなかった。9:15、登山開始。上空は晴れており、向かう毛無山はくっきりと少し樹木の少ない稜線を見せてくれている。しかし、本来反対側に高く雄雄しく聳えているはずの富士は全く見えない。この時期、これで良しとしなければ。

 茅葺屋根の門を持つ立派な屋敷の建つ麓という集落を過ぎるとお宮があって、そこから登山開始。約100米毎にきっちり道標があり、2合目で不動の滝展望台。谷の向こうに一筋の水脈が布を引くように二段に落ちているのが見え、一服の清涼感。そこからは、地図を見ても標高差1100米を一気に直登とある。正に一本調子の急登。8合目辺りまでは木々に覆われているが、朝日に新緑が輝きまばゆい位。鳥の鳴き声がチロチロチロ、チリリリと非常に姦しい。やっと春が来たと喜びを隠せないでいるようだ。また、上に登っていく程蕾が多くなってはいくが、所々山躑躅が満開。木々の新緑の中に赤がまだらに入ってとても美しい。ダケカンバが現れ、木が少なくなってきた8合目を越えて傾斜が少し緩くなった所にある富士の展望台からも、更に少し登って尾根に出てすぐの南アが見渡せるとある大きな岩からも、残念ながら展望は得られない。
 やがて、そこだけ原っぱになっている頂上に到着。12:00。北側は木に覆われているが、南面は富士がすぐそこに眺望出来るように開けられている。太陽が良くあたるせいか、草原にはチングルマやキンバイのような小さな花が一杯。フキやコバイケソウの大きな葉の若い緑があちこちに光って、色を添えている。また、アヤメの葉がこれから花を付けんと小さな顔を出し、木では山桜の花が淡いピンクを残している。真下に朝霧高原が広がっており、標識によれば高原の向こうに富士、その横に伊豆半島、駿河湾が、北側には八ツ、甲府が見えるはずだが、これらは全てガスの中。見えるのは直下の朝霧高原、そしてその辺りを走る車の音が遠く聞こえる。昼食して早々に退散。

 来た道をそのまま戻るのも面白くないと、途中で登ってきた道と分かれて主稜線沿いに尾根をそのまま西に進む。やがてジグザグの急な道になり、下り切ると下部温泉への分岐。そのまま少しアップダウンすると、小さな石仏が祭られた鞍部に着く。そこが地蔵峠。多分、昔日には甲斐と駿河の境であったと思われる。ここからは急な下り。半端では無い。一歩進むと、バラバラと小石が谷に転げ落ちる。所々ロープが張られており、慎重に進む。やがて沢筋に下り着き、コース初めての水で喉を潤すととても旨い。

 沢から登った道沿いに、うっかりすると見落とす位古く苔むしたテラス状に積まれた石垣の残骸があった。昔こんな所に砦でもあったのかなと不思議に思いながらやり過ごすと、やがて金鉱山窯跡という表示に出会う。表示が無ければそこに昔窯があったとは分らない程の小石の堆積がある。そう言えば登山口のお宮の横に金精錬所跡という表示もあった。そうか、この辺りには金山があって、そのため関連施設があちこちにあるんだ。先程の石垣も往時の人の棲家かあるいは鉱夫を相手にした商家の跡であったのかもしれないなあと想像する。この辺り、もしかすると武田軍団を資金面から支えた信玄伝説の金山跡かも知れないなあ等など、あれこれ頭を巡らすと楽しくなった。

 そこからは、それまでの山道と違い、道は沢に沿ってアップダウンするので、歩いていても沢の音がいつも耳に入って心地良い。その沢もやはり金山に由来するのだろう、金山沢と名が付けられていた。やがてその音が一層大きくなったなと思ったら、豪快な滝が現れる。見た目の雄々しさとは合わない比丘尼滝と名が付けられている。やがて、朝登った登山道に合して麓集落に。15:00。時間があるので、グリーンパークの大草原でゆっくり足を伸ばす。この頃になると、富士山も徐々に靄が開けてきて、何となく優美な裾野が分るようになってきた。すっきり見えれば本当に美しいだろうと改めて思った。再びバスに乗り、富士宮に戻り、帰宅の途についた。

 帰って調べてみると、静岡・山梨県境辺りにはその昔は随分金塊が産出し、武田家が戦国大名の地位を獲得する前からあちこちで操業されており、信玄の頃には大いに活況を呈し、力の源の一つであったという。あの辺りから下部道の途中にかけても金鉱脈があって、あそこが麓金山、下部側が内山金山、総称して湯の奥金山と言うそうだ。16世紀から17世紀後半まで栄えた、むしろ初期の金山ということだった。

今回は、目的である富士は残念ながら十分には適わなかったが、戦国時代に遡る歴史浪漫に浸れて、思わぬ収穫のあった山行だった。



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