2005年に登った「日本二百名山」(その2)
瀬川 滋
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金剛堂山(富山、1650m) .165
8月に入って私の人生の先輩からメールが入り、久々に話があるので、上京のついでがあれば飯でも食べないかというお誘いがあった。8月には2回上京の予定があるが、両方共予定は目一杯。さらばと、1回目の日帰り予定を1泊にすることとして、9日に会う約束をした。ところが、9日の打合せの予定が急に5日に変更になり、会食も5日に変更してもらった。
ところで、今年の夏は息子の結婚、お盆を中心に仏事、そして久々の家族サービスと行事が立て続けにあり、稼ぎ時であるにも関らず山にもなかなか登れない。この土日も7日には仏事が入っているので、6日に早朝高速を飛ばせば何とか日帰り登山出来る富山の金剛堂山でもと計画していた。それが5日夜が東京だと無理と一旦はあきらめたが、会食後夜行を使えば可能じゃないかと思い直し、決行した。この山、越中と飛騨の境界にあり、奈良時代から信仰の山として歴史は古いらしい。また頂上付近はお花畑が広がり、高山植物が群生しているという。楽しみ。
その5日、富山地方の天気予報は前日までは晴れだったのが、晴れ後雨に変っているのを気にしながら上京。午後に予定通り用を済ませてからの会食。共通の友人の話や少し込み入った相談事等で大いに盛り上がった。彼は飲めないのでウーロン茶なのに対して、こちらは夜行で眠れるようにと結構ビールを飲み、その分余計話が弾んだ。その彼と別れた後、コインロッカーから荷物を取り出し、上野から北陸への車中の人となった。ビールのご霊験はあらたかで、すぐこっくりの白川夜船。
早朝の目覚め。早速携帯で天気予報を見る。何と晴れ後雨に変っている。やばい。昨年もそうだったが、ヒートアイランド現象で最近の夏の気候が亜熱帯型に変ってきている。午後の雨は必ず雷雨、それも半端な雨では無い。このシーズンでの山行は、早朝登山の早めの下山が必定。ところが夜行ーレンタカーのパターンではレンタカー会社の始業を待ってから登山口までの移動となるので、どうしても頂上に着くのが遅くなり勝ち。雨という予報が無くても山では結構降られることが多いのに、雨と予報されちゃうと午後すぐから本降りになるかも知れない。今回は登山口まで1時間強なので、登山開始はそんなに遅くはならないが、頂上辺りで雷に遇うかも知れない。要注意。
富山で下車。糧食を買い込んでレンタカー会社の前で係員の到着を待ち、始業前から手続きしてもらって早々にスタート。高山線八尾の駅辺りから山越えの道に入る。くねくね道を走り、スノーバレーというスキー場を見送って栃谷登山口に。仕度もそこそこに、9:05スタート。登山道は樹林の下に階段が続き、沢の音も聞こえ、猛暑を忘れさせる爽やかさ。やがて階段が無くなり、沢音も遠のいて蝉の泣き声に変る。傾斜はそんなにきつく無く、やがて深いブナの原生林が現れ、その分木漏れ日が気持ちいい。1346m峰まで登ると南側に山頂が顔を出す。尾根を辿っていくと、眼下にはスキー場や集落が望まれる。
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暫くアップダウンを進むと登りが急になり、東からスキー場に続く尾根が合流すると金剛堂山頂上(1638m)。一等三角点と祠がある。雷雨を心配して全く休憩無しで登ってきて、時刻は11:05。軽食を食べる。それまで晴れていて、越中・飛騨の山が見えていたのが、やがてガスが出てきて、その中に消えていく。大きな丸い案内板には槍・穂、白山から富士まで見えるとしてあるが、これは望むべくも無い。 |
南を見ると、緑の野原の尾根が続き、その先にもう少し高いピークが見えている。地図を見ると、今いる頂上は前金剛で、最高峰はその中金剛とある。これは大変と、食事もそこそこにピークを目指す。もう1〜2週間も前だったらすごいお花畑だったろうと思われる、ゆったりした尾根道。もう秋の花が少し咲いており、草も草紅葉の走りか、若干黄色い。11:30、中金剛到着。途中には石碑があったが、頂上にはそれを示す何の標も無い。お天気を案じて、すぐ下山開始。
下りは登ってきた道をそのまま引き返す。やがてガスも遠のき尾根道は大変暑い。樹林に入ると、暑さも凌げる。急いだ分かなり早く下れて、13:10には登山口へ。このまま富山に戻るのはもったいないと、砺波で代々の家業の置薬屋を営んでいる大学時代の友人に電話してみる。すると、岐阜の白川郷に出張しているが、来てくれれば時間は取れるという。高速を飛ばせば1時間半というので、即向かう。
カーナビがうまく作動せず、手持ちの道路地図を頼りに走るが、うろうろ。途中、五箇村の「平」辺りではあちこち三々五々に合掌造の民家や土産物屋があり、のどか。五箇村ICから高速に入るが、予想通りもの凄い雷雨。ワイパーを強にしても、前が見辛い。幸い殆どトンネルなので何とか走り抜け、友人の待つ白川ICに辿り着けた。この辺りで最も眺めの良い所に案内してやると、少し高台の城山に連れて行ってくれた。雨も上がり、合掌造集落が一望の下。緑の絨毯に積木細工のような合掌の三角形が点々と広がりとても壮観。
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白川郷には、今から25年位前に家族で来て合掌造の宿に泊まったことがあるが、その時はこんなに良い所があるなんて知らなかった。展望所前の茶店に入っていくと、彼はそこの女将と気安く話し始める。話を聞いていると、ここは彼のお得意。交通が発達したとはいえ飛騨の山奥。今でも配置薬が主流なのであろう。聞けば十年振りに交換・精算するんだという。都会ではとても信じられない時空間に驚く。お互い運転中なので飲めないため、食い物を挟んで色々懐かしい四方山話。話しながらの飛騨蕎麦が格別うまかった。
折角白川郷迄来たのだから泊まってゆっくりこの辺りを見物したかったが、翌日があるのでそれは許されず、話は1時間半程で切り上げた。名残の白川郷に別れを告げ、高速を一路富山へ。ところが丁度七夕の祭りシーズン。高速を降りた市街地は夏祭りの真最中で大渋滞。難渋してやっと富山駅に。特急に飛び乗り、その日の内に何とか帰り着いた。今回は前後ろに昔からの人との出会いがあり、また思いがけなくも白川合掌部落まで訪問出来、大変懐かしさに満ち溢れた山行であった。
終わりに
本稿を書き上げて事務局に送ろうとしていた矢先、新田会長の訃報が飛び込んできました。そんな時、私の遊びの話を寄稿するのはふさわしく無いかのなと思って、遠慮しようかとも思いました。しかし、昨年2月の研究会で「私の山と日本百名山」というテーマで自分のライフワークの一端を発表した時、新田会長にも出席頂き、発声も不自由ななか積極的に質問もして頂きました。お身体が大変でもあり、近年は山どころでは無かったとは思いますが、そんななかでの質問に人柄が偲ばれました。ということもあったので掲載するのも供養かなと思い直し、あえて投稿致しました。新田会長のご冥福をお祈り申し上げます。(合掌)
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