2005年に登った「日本二百名山」(その5)     瀬川 滋

 
 

 暫く山に登ってなかったが、四国NESに勤務した者の同窓会が11/2に東京で開かれたのを機に4日の日に休暇を取って4連休とし、どこか今年最後の二百名山を稼ごうと考えた。地図を眺めた結果、上越国境に的を絞り、仙ノ倉山(群馬・新潟)・鳥甲山(長野)そして砂布流山(長野・新潟)の3山日帰りのはしご登山を計画した。しかし、現地に問い合わせてみると、砂布流山は林道が台風でやられて車が登山口まで入らないので、日帰りは無理だと言う。残り2山だけでもとも考えたが、いっそ簡単に登れない山をと、南アルプス深南部にある大無間岳を思いついた。この山はアクセスがとても悪く、しかも山中1泊が必要、更には尾根のアップダウンが厳しく体力の消耗が激しいということで、難山に数えられている。最近足腰の調子が悪かったのでどうしようかと大変迷ったが、先週の大船山がまずまずだったので行ける所まで行ってみて駄目なら引き返そうと出掛けた。


 
11/4  大無間岳 (静岡、2329m .169   

 '97年8月に日本百名山では南ア最南端にある光岳に登った時、真南に大中小のコブを持つずんぐりとした大きな山がとても印象的だったが、それが大無間・中無間・小無間岳だと聞かされていた。是非1度登ってみたいものだ思っていたが、寸又峡から山中2泊しないと登れないと聞いて半ばあきらめていた。しかし、ガイドブックによれば、金谷から入るSLで有名な大井川鉄道の終点の井川から少し奥に入った田代という部落から登れば山中1泊で登れる、それも途中に無人の山小屋があるという。静岡から赤石等南ア南部のの山々に入る登山基地の畑薙ダム行きのバスが田代を通っているというので、このコースを選んだ。  

 3日、早朝に起き出して静岡に出、駅前からバスに乗り込む。バスはくねくねした狭い道をのろのろ走る。濃い緑の針葉樹林の中、ぽつんぽつんと出くわす集落には茶畑が広がるが、村々の広葉樹の紅葉は今ひとつ。途中、茶店で休憩と極めてのどか、この路線の最高地点の富士見峠辺りで少し黄色くなっている程度。肝心の富士は雲で見えず、反対方向の大無間も狭い大井川の谷間の向こうにそびえてはいるが、頂上はガス。下って、大井川上流をせき止めて出来た田代ダムの堰堤を渡る。ダムから大井川に沿いに少し上ると田代。静岡から3時間の旅。  

 田代の温泉民宿で衣服・装備を整え、いらない荷物を預けて、12:50スタート。山小屋は、ここから標高差で1100m登った所にある。登山口に諏訪神社は諏訪大社の末社であり、入口の鳥居脇から清水がこんこんと湧いている。銘水という。ここから上には全く水場が無いので、ポリタンをたっぷり潤す。寝食担ぎ上げのため、荷は18キロ程になる。最近は麓に泊まっての日帰り登山か、小屋に泊まっても飯付きのことが殆どなので、久し振りだ。鬱蒼としたヒノキの植林道をくねくね登り切ると雷段という所に出、尾根に辿り付く。そこから尾根に取り付く。樹林の中を歩くので、見通しは全くきかない。重い荷物にあえぎながら、ただひたすら登る。途中から広葉樹が現れるが、紅葉は今ひとつ。それにしても、南側斜面はヒノキ、北斜面は広葉樹とはっきり分かれている。後で聞いたことだが、ヒノキは植林で植えられたもので、効率を求めて日当りの良い所しか植えなかったからと納得。その広葉樹は、登るにつれ紅葉が盛んになっていく。重い荷にひたすら耐え、木がツガに変わってより急登になった坂を登り切ったら広場になっており、そこに小屋を見つけた。  

 16:40着。小屋は、5人も泊まれば一杯になるような小さなものだが、寝るには十分。登山中誰にも会わなかったが、小屋も無人。中に入ると、カメラがどういう訳か電源on状態のままになっていてバッテリーが上がってしまっている。思案の挙句、解像度は我慢して携帯のカメラを使うこととした。小屋直前から少し降り出していた雨のためか、暗くなるのが早く、早速寝食の支度。カンテラを取り出して食事をしていると小屋の外に音がして、客人の到着。朝下田を出て今着き、これから外にテントを張るという。食事が終る頃には外は真っ暗。カンテラの明かりのみが頼り。18時過ぎには、シュラフの中に潜り込む。寒さで何回か目を覚まし、外を伺うと雨も上がり万天の星。明日のご来光が期待出来る。  

 4日、朝4:30起床。カンテラを点けようとするが点かない。真っ暗な中、手さぐりで電池・豆球を交換しても駄目。朝5時頃の早立ちを考えていたが、明かりが無ければどうしようも無い。カメラと違って、点かなければ代替策が無い。こんなWトラブルは初めて。色々触っていると、ようやく淡く点いた。点いたり消えたりするのを騙し騙しして、朝食の支度。復路もここを通るので、シュラフ等はリュックに詰めて小屋に置いていくこととし、行動に必要な物のみをサブザックに入れた。そんなことをしていると白んできて、結局出発出来たのは5:50。  

 道は、昨日同様樹林の中を歩くので視界は利かない。ほんの少し樹が少なくなった所で周りが茜色になり、樹間からご来光。その少し南に見える富士にも茜が射している。最近山上で泊ることが少ないので久々だ。携帯写真に収めたが、カメラトラブルが惜しい。樹が少なくなっているのはその辺りだけで、そこから先は全く視界が利かないので、ラッキーだったとしか言いようが無い。楽あれば苦あり。そこからは急登。それもただの上りでは無く、上っては下る。鋸歯と呼ばれている所だ。歯とはいっても岩ではなくラクダの瘤のような樹林の尾根で、その苦しさは半端じゃあ無い。途中1ヶ所、雪を抱いた南ア南部の山々が望まれてほっとする。

 やがて、7:40小無間岳頂上(2149m)に辿り着く。樹木に囲まれ展望は全く利かず、小さな表示があるのみ。ここからは、白い幹がすくっと伸びたシラビソの続く尾根道。途中西向きの大きな崩壊斜面があり、目的の大無間が、また反対側には樹間から富士が見え、心を癒してくれる。アップダウンはあるものの、そんなに大したことは無い。深い落葉で踏み跡が埋って道が良く分らない所が多いが、要所要所の木に赤いテープの目印がしてあり、迷うことは無い。倒木が多く、倒れた幹には杉苔がびっしりで、葉の濃緑、幹の白との色の対比が美しい。途中、寸又峡から登り大無間でテントを張ったという人に出会う。道が分らず非常に苦労をしてきたが、山に入って3日目で初めて人に出会ってほっとしたとニコッとした顔が印象的。道をハイキング気分で進むと、ぽっかり樹木が切れ、雪に抱かれた山々が見える。昨年登った池口岳が双頭でばっちりと、そして光岳、聖岳、赤石岳、悪沢岳と続く南ア深南部の峰々に加えて、中アの山並みも白く小さく見える。至福の時と言えよう。  

 そこから暫く歩くと寸又峡からの道と合流し、広くなったなと思った所が大無間頂上。9:50。頂上と言っても、それまで続いたアップダウンの延長であっけなく着いたという感じ。着いた時は、通過に気付かなかった中無間かなとも思った位だ。シラビソの樹林に囲まれ、ここも展望は全く利かない。頂上の標識も地味で、昔営林小屋でもあったのか、材木とビニールシートが散乱しており興醒め。くたびれたのと荷物を減らすため早目の食事をして、1時間休憩。  

 下りは、元来た道を引き返す。小無間までは、下りというより尾根道のハイキング気分。行きに見落とした中無間頂上の標識は割れ、それも木から外れて下に落ちていた。小無間までは何てこと無いが、そこから先は例のアップダウン。下ったかと思ったらまた登り。くたびれている足には相当こたえる。途中樹の切れ目から笊ヶ岳を捉える。この山は、南ア南部の盟主赤石岳と大井川源流を挟んで対座し、これも二百名山の難山に数えられている登り難い山。私は'98年に登ったが、途中熊に遭遇した苦い思い出の山だ。  

 小屋に着いてからは、置いてあったリュックを担ぎ、紅葉を楽しむ余裕も無くただひたすら下り、16:40民宿着。
 民宿には温泉が引いてあり、ゆったり足を伸ばせた。夕食はやまめの甘露煮、椎茸の網焼きに鹿鍋。田舎料理に舌鼓。翌5日、早朝起き出して田代の部落を散歩。紅葉には少し早いが、たわわに実った柿に秋の風情を味わう。
 宿の主人が親戚の婚礼のため車で静岡に出るというので、乗せて貰うこととなる。途中、富士見峠で昨日登った大無間連峰と富士をばっちり味わう。静岡では、大道芸人大会という最近始めたイベントで大変な盛り上がりよう。そんなフィーバーした街の雰囲気の中で、今川家の菩提寺で家康が幼少の頃人質になっていた臨済寺の秋の特別公開を見物した。正に、静岡の今昔を味わったとの感。静岡でゆっくりして夜遅く帰神した。



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