冬の丹沢で富士山を眺望      瀬川 滋

 
 

 11/26    丹沢・蛭ヶ岳1673m、神奈川、日本百名山)  

 予てから、勤務先の関東での協業先の社員が丹沢それも裏丹沢に凝っているとの話を聞いていた。私の山のスタートは東京での独身時代、奥多摩からであったが、丹沢の沢や尾根縦走にも良く出掛けた。当時、小田急線の駅から出入りするのが殆どであった。塔ノ岳、丹沢山、蛭ヶ岳、檜洞丸の主脈を縦走していて、山塊の北・西は奥が深く非常に魅力的だった。しかし、交通の便がとても悪く、車を持っていなかった当時では余程の日数を掛けないと行ない秘境でもあった。彼と色々話している中で、是非裏から案内したいと言われていた。たまたま、この25日午後から夜にかけて東京で会合があったので、26日とにかく富士山の見えるベストコースをとお願いしたら、主峰蛭ヶ岳に道志側から登るコースを設定してくれた。

 丹沢山塊の最高峰はその名から丹沢山と思われがちだが、その標高は1567mであり、その奥に連なる蛭ヶ岳の方が高い。しかし、表側の麓からは直接見えないこと、日帰り登山が不可なこと、それに、丹沢山から奥が山深くてその名の通り蛭が多く何となく大変な山行を思うこと等で、地味な存在である。事実、登山者も塔ノ岳、丹沢山は大変な人だが、蛭ヶ岳、檜洞丸まで来る人は少なく、それだけ静かな山行を楽しめる山である。それを道志側から登るというので楽しみにしていた。

 当日、彼と橋本駅前で落ち合う。空は、丹沢山塊がきれいなシルエットで浮かび上がる程雲一つ無く、登山口までの道中は、紅葉が盛んではあるが冷えが少し足らない分物足りない。丁度中央線の藤野の真南にあたる、東根の登山口まで車で連れていってもらう。支度して、7:40登山開始。道は良く整備されている。私の持っている昭和40年代の地図では、点線の難路になっているのが時代を感じる。

 紅葉はしているが少し深さに物足らない良く整備された急坂を登り切ると、尾根道に出会う。葉を落とした樹林に囲まれた東海自然歩道にもなっている尾根道を進むと、木がカラマツに、その下は青笹へと変る。カラマツの落ち葉が心地良い。

 自然歩道の最高点を過ぎて広場に出ると、正面にパッと大きく富士が現れる。それまで木々の切れ目から左右に黄色く色付く蛭ヶ岳や道志の山々は見えてはいたが、正面は道か木々。それがいきなり富士。それも雲一つ無く、ブルーの色調に頂上付近は雪の白、しかも大きい。大感動。彼は今年11回目の蛭登山というが、こんなにきれいな富士が見えるのはその内2回という。ラッキー。今回の目的は、半分は達成。蛭、檜洞、御正体山、大室山は、富士を引き立たせるおつきとして見える。ここは姫次原と名付けられているが、正に「姫」の展望所って感じ。至福。

 少し下っていくと、昔小屋のあったという原小屋平。小屋跡の雰囲気は残っている。ここからは、若いブナに覆われた深い森。落ち葉が足に優しく、深山の趣。静かで気持ちが良い。遠く、鹿の甲高い鳴き声が聞こえる。そして急登、道は雨でも無いのにぬかるんでおり、道の崩壊を防ぐために木道や木板がしてあり、その上を歩く。

 やがて、10
:55頂上。明るい広場になっていて登山者が三々五々休憩しているが、皆、富士山の方を向いている。

 姫次の時より少し雲が出てきているが、それが却ってアクセントになっていて面白い。この晴天の富士を求めてであろう、今日は殊の外登山者が多いという。案の上、すぐ近くにある山小屋の本日の宿泊予約者は50人と、この時期では考えられない超繁忙。この山はおおよそ35年ぶりだが、当時はもっと木に覆われていたし、小屋も小さかった。現在は、小屋の横にヘリの荷を降ろすポートが作られているが、当時食料はボッカが担ぎ上げている関係からかメニューはカレー、そして夜はランプだった。今では考えられない。頂上からは、すぐ眼前南方に丹沢山、塔ノ岳が、また東側には当時には無かったはずの宮ヶ瀬湖も見えている。山々は、紅葉により何と無くセピア調で趣深い。

 食事後、名残尽きない頂上を後にして、元来た道を引き返す。雲がどんどん出てきて富士が徐々に隠れ、姫次に着いた時には全く見えなくなっていた。檜洞・大室はすぐ眼前に見えているが、富士が無いと感激もあったものではない、ただの原っぱ。丁度登ってきた登山パーティ女性3人組に朝の感動を話すと、しきりに残念がっていた。慰めにと、彼女達が今夜蛭の小屋に泊まるというので明朝のご来光を保証してあげたら、小躍りして大喜び。そのまま道を急ぐと、14時半登山口到着。予定よりかなり早く着いたので、そのまま車で橋本駅に飛ばしてもらい、新幹線経由でそのまま帰神した。久々の新幹線沿いの登山で、いつもでは考えられない程早く帰宅し、ゆっくり出来た。
 
 
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