平成新山(長崎)頂上直下まで接近     瀬川 滋

 
 

 私は、「各県最高峰登頂」をやっている。これは、全国の都道府県にある山の中で最も高いピークを持つ山に登っていくもので、例えば、東京は雲取山、大阪は大和葛城山、我が兵庫は氷ノ山である。因みに最も高いピークは言わずと知れた富士山で、静岡、山梨両県のピークである。最も低いのは千葉県。愛宕山と言ってわずか408m。私は、これら各県の最高峰をこなし、残すところはあと一つ、長崎のみになっていた。かつて、長崎県のピークは雲仙・普賢岳だったが、あの普賢岳爆発ですぐ隣に平成新山が出来、そちらの方が高くなってしまった。飛行機から見ると、島原半島の連山に高く普賢岳がそびえ、その肩に新山がより高くこんもりとくらいついているのがはっきり見える。しかし、新山は地熱が高いのと猛毒ガスが噴出しているということで、ずっと登山禁止。禁止が解除されたら挑戦しよう、隣の普賢岳はその時に併せて登ろうと、ずっと残してあった。HPを見ると、調査隊や探検クラブが登ったという記録が出ている。ところが今回、長崎を訪れる機会があったので、平成新山の偵察を兼ねて普賢岳に登ってきた。


 
7/29    雲仙・普賢岳 (長崎、1359m

 平成2年11月17日に雲仙の普賢岳の噴火が始まり、翌3年6月3日の大火砕流が発生し、その泥流が民家まで迫り、鉄道を塞ぎ、43人の死者まで出して全国を震撼させたのは、まだ記憶に新しい。今はその時に出来た平成新山にピークを譲ってしまったが、一般には今でも雲仙岳といえば普賢岳を指す。日本二百名山に雲仙岳が入っているが、選ばれた時は爆発前とはいえ二百名山の雲仙岳は普賢岳である。  

 朝、レンタカーで長崎から高速経由で雲仙に向かう。天気は、梅雨明け宣言もあって、晴れ。関西の梅雨明けは未だだったので、やっと夏が来たって感じ。諫早までは快調な走り。ところが、天草半島に入ると道も狭くなり、夏休みに入って車が多いのか、ペースが落ちる。前方に雲仙連峰が見えるが、頂上付近は雲がかかっている。しかし、橘湾はライトブルーでとてもきれい。やがて湾を離れて、雲仙の温泉街に向けて、くねくねつずら折れを登る。地獄の噴煙を上げる温泉街を横目に見て、仁田峠ドライブウェイを登り切ると仁田峠に着く。ここから、ロープウェイで妙見岳へ。もう標高は千米を超えている。しかしガスで山は殆ど見えない。  

 10:35、ここから歩き始める。急坂を登って、神社のある妙見岳頂上。そこから、下ったり登ったり。道は木々が深く、路傍に小さな花がちょこちょこ咲いている。花にはととても大きくてきれいな蝶が羽を休めていて、目を楽しませてくれる。流れているガスの合間に、普賢岳とその奥に平成新山が顔を覗かせる。尾根から谷を見下ろすと、この尾根がこの薊谷をぐるっと取り巻いているのが良く分かる。その一つの国見岳をやり過ごし、ぐんと下った所に立入り禁止の看板が。
 すわ平成新山への道かと偵察に。厳重に鍵のかかった門の外側を潜り、中に入る。藪と露がきついが、何とか踏み跡を辿る。登ったり下ったり暫く進むと、風穴が現れる。きちっとした長方形、自然に出来たとは思われない程で、心地好い風が吹いている。中は、人が何人も住める程の大きさ。その少し先に、もっと小さいのがもう一つある。ところが、ここから先、全く踏み跡が無い。詳細な地図を持ってないので、どの方向に薮扱きしていいのか分からない。やむなくあきらめて引き返す。  

 禁止の表示から少し進むと紅葉茶屋。茶屋がある訳ではないが、この辺り広葉樹林の宝庫で、秋には紅葉が美しいからこの名が付いているのだろう。ここから、普賢岳への急な登り。緑深い道を何人かの人を追い越して登ると、ぱっと開けた台地に出る。大きな秩父の宮登山記念碑がある。頂上はすぐそこに見えている。目の前には、緑の谷越しに、木は全く無い赤茶色の新山が大きくそびえている。所々煙が吹き出していて、未だ活きていることが良く分かる。何とも荒々しい。新山との間には薮があり、ロープが張ってある。ここからなら、薮を分ければ溶岩の所までいけそう。しかし、とっかかりが分からない。それと、もし溶岩に辿り着けたとしても、今にも崩れそうな岩をかい潜り、有毒ガスを避けてどう登ったらいいか、皆目見当が着かない。ガイドが無いととても無理。  

 最後の一登りをして、11:40普賢岳頂上。新山の頂上はガスがかかっているが、時々晴れ間にマッターホルン状のピークが顔を出してくれる。反対側には、仁田峠がくっきり。その向こうには、島原半島と橘湾が雲の合間に見える。このまま引き返して島原半島周遊でもしようかと思っていると、先程追い越した人が順々に到着。女子2人都合9人のパーティだが、彼らの話を聞いていると、内2人は新山に登ったことがあり、これから登るという。これはチャンスと同行をお願いすると快諾してくれた。ラッキー。  

 昼食後、先程のロープの所まで下る。リーダー格の人が、以前と比べて薮が深くなっていて、とっかかりが全く分からないという。記念碑のある高台から尾根状に下った所なら薮が少なそうなので行ってみようということで進むが、途中で進めなくなり引き返す。ここで、女性の内の1人が脱落。ここで待つと言う。今度は、長く張ってあるロープの反対側の右の方から挑戦。薮はとても深い。暫く進むと、木々の中の目立たない所に登山禁止の標識。先程のような門も鍵も無い。ロープの所に標識を置くと、そこがとっかかりということを示すようなものだから置いてないんだと推察。何となく踏み跡らしい所を辿って進むと、赤いビニールのマークがある。ところが、そこから暫く進むと踏み跡が途絶えてしまう。仕方が無いので薮扱き。少し離れると前がどこを歩いているか全く分からない程、薮は深い。とにかく、遠くの形に特徴のある岩を共通の目標とする。しかし、障害が多く、ジグザグ進む。やっとのことで溶岩の麓に辿り着く。

 円錐形のため、どこから登ってもとにかくまっすぐ登れば頂上のはず。しかし、落石とガスがこわいので、そうはいかない。リーダーは、麓に沿って左に巻く。木々が茂る大きな岩の所で、「本来ならここに出ないといけなかった」と独り言。なお左に巻いて進む。かなり歩くと、岩に黄色いペンキで書いた矢印が現れる。火山の収まり具合を調べる調査隊の安全ルートという。ここで、もう1人の女性もリタイア。男性ばかり、矢印を頼りに斜めに登る。直登すると傾斜が急過ぎてえらいのと、落石がひどく下の人に当たって危ないからだろう。このルートには全くガスが無い。浮き石と戦いながら、ただひたすら登る。  やがて、頂上直下のテラス状の地点まで辿りついた、14:00。あと数十米で頂上。マッターホルン状の火山尖岩ピークからは、しきりにガスが噴出している。噴気口の温度はとても高いという。そして、岩はもろそう。
 全員ここまで。無理をして何かあったら迷惑をかけるので、私も指示に従う。雲は晴れて、すぐ前の普賢岳や半島の田園そして有明海がくっきり見える。あの大問題になった干拓堤防がまっすぐ伸びており、右と左で海の色が全く違う。その向こうには、嘗て登った佐賀の最高峰経ガ岳が。反対側に行けば島原の町を襲った泥流跡が見えるのだろうが、ここからは見えない。

 暫く休息して、元来た道を慎重に下る。下りの方が危険なので、神経を使う。溶岩の麓で待っていた女性と合流し、溶岩の麓に沿って戻る。さて、どこから薮に突っ込むか。リーダーは、先程の大きな岩の所まで来ると、ここに間違い無いと岩のすぐ下から分け入る。微かに、踏み跡らしき跡が残っている。すぐ前に記念碑が見えている。先程は随分遠回りしたことが分かる。やがて、霧氷沢と書いた表示が現れる。噴火以前のものが残っているんだろう。少し歩くと跡が消え、探し回ると微かな跡。この繰り返しを続けていると、往きに見た赤いマークに出会う。先程はこのマークをまっすぐ進んだのだが、左に曲がって下れという合図だったんだ!。普通なら曲がった先にもう1つマークしておくのだが、通行禁止のため分かっている人だけの目印なんだろう。

 普賢岳から、紅葉茶屋に一気に下る。そこから、薊谷を経由して直接仁田峠まで向かう。広葉樹に囲まれた道はゆるやかで、両側は低い笹に覆われて歩き易い。道から一瞬、新山の茶色が下流に続いているのが見られた。泥流の跡だろう。仁田峠に15:50着。これで、丁度火山群を一周したことになる。そこで、同行させてもらったパーティに礼を言って分かれる。彼らは博多の会社のパーティで、内1人は堺の人で六甲縦走マラソンに9年連続参加したというベテラン。彼らがいなかったら、とても新山は無理だったろう。感謝。途中、雲仙の温泉で汗を流す。主人に新山登山を話したら、「信じられない」と。デジカメの映像を見せたら、目を丸くしていた。レンタカー返却の時間が迫っているので、混んだ道を急ぎ長崎に取って返した。


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