八ヶ岳連峰・西岳登頂 瀬川 滋
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山仲間の1人とその友人の1人がこの9月12日四ツ(午前4時)にお江戸日本橋を出発し、旧東海道を走破して、同28日京都・三条大橋に到着するという壮大な計画を達成した。更に、山仲間の方は、翌29日にその足で京都の日本三百名山・愛宕山にまで登っている。東海道五十三次、距離にして500kmを17日で歩いたというから、1日平均30km歩いたことになる。驚異的記録と言うほか無い。関西に住む者としてこの快挙を三条大橋で迎えたかったのだが、丁度この時期都合がつかず、それではどこかで1日同行しようと考えた。丁度22日の日が空いていたので連絡を取ると、この日は豊橋・吉田宿ー岡崎宿27kmを歩くという。
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「足に豆が出来、少しでも休むと歩き始めが大変」が最初の一言。見ると、2人共歩き方がぎこちない。あれだけ山を闊歩しているのに、やはり舗装道は足にきついということだ。それにしても、江戸時代の人は草鞋で歩いているのだから、足の鍛え方がまるで違うということが良く分った。旧道は国道1号線とつかず離れず、時には1号線の側道を歩くことになる。この辺りは、東海道ベルト地帯で日本の経済を支える大動脈の中心ではあるが、旧道の方は至ってのどか。山有り、田有り、畦が有り、火の見櫓有りで、路傍には曼珠沙華の濃い紅い花の群れが秋の彼岸の到来を告げてくれている。 |
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特に、赤坂の宿、藤川の宿は昔の宿場の雰囲気がそのまま残っている。本陣、脇本陣の建物こそ残っていないが、建物跡はきちんと整備されている。また、がっちりした連子格子のある町屋や旅籠は一部残っており、そこには今も人が住んでいて、生活の匂いを醸し出してくれている。観光客向けに、資料館のようなものまで出来ている。宿の中心部はきれいに整備されていて、鉄道の駅名表示板のようなものがきっちり掲げてある。藤川の宿の出口には、昔の松並木まで残っている。並木の中だけ眺めていると江戸時代の街道筋を彷彿させられるが、目を並木の両外側に転じると小さな町工場が建っていて、今昔の対比が面白い。 |
たった1日つきあっただけだが、とても味わいのある旅であった。夜、岡崎の宿舎に入ってからがさあ大変。2人共、両足の豆が化膿しないようにする手当てだけで無く、1人は昨年末に軽い脳梗塞を患った身で、もう1人は以前心臓のバイパス手術を受けてニトロを持ち歩く身、ここぞと競って大量の薬を服んでいた。そんな彼らが完歩したんだから、余計に凄いことである。
その山仲間の「五十三次完歩祝賀会」を10月9日夜、我々の山の根拠地・八ヶ岳山麓でやろうということになった。折角集まるなら山もということで、当人を含む有志4人で8−9日に八ヶ岳最南端の西・編笠・権現3峰に挑戦しようということになった。
10/8
八ヶ岳・西岳(2398m)
7日夕方まで大阪で用事があり、8日朝からの登山はどうしても難しいので、最初は、早朝神戸を発ち、皆より後からスタートし、別ルートから追っかけ登山しようかと考えていた。しかし、それではつまらない。どうしても一緒に登りたい。そのためには夜行を使うしか手が無いと時刻表を繰ってみるが、以前使ったことのある長野行の夜行「ちくま」は無くなっている。バスを調べてみても、茅野行きは昼便しか無い。良く良く見たら、甲府行きなら夜行がある。これで行って韮崎から折り返せば何とかなる。「コレだ」と予約を入れてみるものの、ずっと前から満席という。列車なら自由席という手もあるが、バスではそれは通用しない。万策尽きたとは思ったが、キャンセルを狙って電話を掛け続けた。しかし、いくら掛けてもダメ。3連休だから仕方が無いと諦めかけた。それでも、直前には必ず1人や2人キャンセルが出るはずと、掛け続けた。案の定、前日になると1席空いたというので、すぐ予約。これで何とか皆と同行出来ると、7日夜の便で韮崎に向った。バスは、多分関西から最も行き難い南アに向う人であろう、殆どが登山客であった。
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仲間に小淵沢まで迎えに来て貰う。ここのところ天気が悪かったが、朝は晴れて、七色の大きな虹が弧を描いている。こんなに大きな虹を見るのは久し振り。天気は良さそう。朝食の後、車で船山十字路という登山口に入る。ここは立場山、阿弥陀岳、西岳への登山口でもある。阿弥陀聖水という名水が涌き出ていて、この時期茸のシーズンでもあるので、水汲みと茸狩りの車が沢山止まっている。遠く茅野・諏訪辺りの喫茶店経者が大勢、大きなタンクで汲みに来ているのだ。9:20スタート。すぐ、2本の沢を越える。このところの雨で水量がとても多く、渡るのに一苦労。登山口の表示が無く分かり難い分岐を入ると、いきなり、最近滑落して死者も出たという急登。そこを越えると、まるでハイキングコースのような緩い巻き道。 |
暫く歩くと、木々の向うにガタガタ音が聞こえる。何の音かな、もしかしたら下のスキー場のリフトの音かなと辺りを見回すと、何と遠くにユンボが見える。林道を作っている。植わっている木も唐松と白樺で、材木としてもそんなに価値も無さそうなのに不思議。この公共事業縮小の世にどうも変、現代の棒道ってところか。
やがて、大きな岩が積み重なった信玄の隠れ岩。この辺りの地名には、やたら信玄が出て来る。再び細い山道に入ると、その両側は低い笹原と苔の道。何とも感じが良い。やがて、傾斜はきつくなる。ガスも出始める。風の音はとても大きいが、風そのものはそんなに強くはない。道はかなり急な岩礫となり、仲間の1人がかなり喘ぎ出す。やがて西岳頂上。13:00。ここで昼食。本来なら270度の展望が開けているはずだが、残念ながら何も見えない。天気予報は晴れのはずだったので面食らう。食後ゆっくりしていても仕方無いので先を急ぐ。ここからは、ゆっくりした尾根歩き。稜線を下って暫く歩くと金明泉。こんな高い所にも清水がコンコンと湧いている。それも量が多い。
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少し登って風がとてつもなく強くなると、今夜の泊地の青年小屋が。風で外にじっとしておれない程なので、すぐ小屋に飛び込む。 |
翌9日早朝に目覚めたが、風は相変わらず台風並みにひどい。小屋泊まりの鉄則は、早寝・早起き・早立ち。しかし、朝食を5時に食べた人も再びフトンにUターン。天気予報を見ると、台風並みの低気圧が発生しており、北陸は1日中、長野も午後3時まで雨。しかし、甲府は朝から晴れているという。ここからは甲府が最も近いのだが、天気の境目はここの少し南のようで何とも皮肉。山の天気は分らない。今夜の宴会を考えると、待っても8時発が限界。7時ごろになると、下りの人が出発し始めるが、上りの人は様子見。暫く待っても一向に良くなりそうも無いが、強風の中1つ上の権現小屋まで行ければと出発する人も出て来る。我々は、権現まで上って更に今日中に麓まで下らねばならぬ。止む無く、諦めてこのまま下ると英断。
8:30に小屋を出たが、主脈の風は相変わらずきつい。西岳への尾根に入ると、尾根の向きと風の向きの加減からか、昨日同様若干ましに。しかし、相変わらずのガスで、西岳頂上まで来ても、何も見えないどころか霙がちらほら舞う始末。そのまま下って10時を過ぎる頃にもなると、青空が現れて視界も開けてくる。紅葉には未だ早い唐松の林と鋸・甲斐駒・北岳の南アの峰々、そして頂に少し雪を冠った富士山が何事も無かったかのように見えている。まるで、今までの天気が嘘のよう。阿弥陀聖水まで下って昼食。水がうまいと飯もうまい。そこから車で近くの温泉に行き、汗を流してから仲間の所に。麓は、風は強かったものの大したことも無かったが、昼前になって姿を現した赤岳が1晩で完全に冠雪しており、おまけに朝から白馬と穂高で低気圧が台風並に発達した強風で死者・行先不明者が沢山出ていると報じられていたので、大変心配してくれていた。
その日の夜は、山仲間が13人集まっての五十三次完歩のお祝い。馬刺しと茸尽くしの料理を肴に、当人の苦労話。東京・日本橋から京都・愛宕山まで歩いて登るという、我々山仲間から見れば究極の根性登山をやってのけたということで、話は大いに盛り上がった。中でも、足の豆に話題は集中。そして、次は中仙道か四国八十八ヶ所巡りに挑戦すべしなんて話がはずみ、当人としてもどれかはやらないと引っ込みがつかない程の盛り上がりようだった。