祝・都道府県最高峰「完全踏破」 瀬川 滋
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'97年10月に仲間と同時の日本百名山登頂を達成して以来、2人での次なる目標は都道府県の最高峰完登にしようと決めていた。百名山と重複する山が23県20山(県境をまたぐ山があるのでこうなる)あるので、残る24県23山をせっせと挑戦してきていた。'02年9月に新潟県の小蓮華岳に登頂してリーチ、残るは長崎県だけになっていた。
この長崎県の最高峰は、かつては雲仙・普賢岳であったが、あの普賢岳の大爆発ですぐ隣に平成新山が出来、そちらの方が高くなっていた。その新山は、地熱が高いのと猛毒ガスが噴出しているということでずっと登山禁止。今までにも、浅間山等何回か禁止を押して登った山もあるが、さすが有毒ガスには勝てず、おまけに道が無いということでずっと様子見していた。九州に住む旧知の山のベテランに打診してみても、首を傾げるだけ。そんなことでずっと諦めていた。相方も全く同じで、いつ登ろうかと相談しても余りにリスクが大きいと延び延びになっていた。
ところが昨年、所用で長崎に行ったついでに偵察を兼ねて二百名山の普賢岳に寄ったところ、偶々平成新山に登るという人がいたので、頼み込んで連れていってもらった。その時に頂上を踏んでおけば昨年達成となる所だったが、抜け駆けをする訳にはいかないと頂上直下で引き返し、一緒に登れる機会を伺っていた。
そんな折、我々の別の山仲間の夫婦が今年8月に夫婦揃って日本百名山登頂達成を計画していて、この6月に残っている九州の山をまとめて挑戦するという。かくして、1日どこか九州の宿で同宿し、その壮行会を兼ねて我々の5年振りの念願を達成しようということになった。
6/3 平成新山 (長崎県、1486m) =都道府県最高峰完登
百名山追い込みの夫妻は、5月29日に長野を発って海路から別府に入って、由布岳、久住山、祖母山を経て天草に廻るという。そこで、阿蘇山登山前日にNECの阿蘇の山荘で同宿することとした。私は、当初は直接阿蘇に向かうつもりであったが、もしかしたらミヤマキリシマが咲いているのではないかと九重に寄っていくこととした。大分から湯布院経由で九州やまなみハイウェイの長者原・久住登山口に出、そこからすがもりコースを登った。最初は、潅木に覆われた静かな林道。鉱山道だそうだが、2年前の大水害でやられ、今は真新しい災害復旧道路の様相を呈している。
やがて林道から離れて登山道になると、最初はぽつぽつだったが、徐々に群を成してミヤマキリシマが現れる。小さなツツジに似た花が、小さくこんもりとした木の表面にぎっしり詰まって咲いている。それが回りの新緑と対比されてとてもきれい。とは言っても未だ三部咲き位で、これが一斉となるとどんなに素晴らしいことか。登山道の乾いた砂の上に小指程の小さな枝が1本、それに小さなミヤマキリシマが1輪ちょこんと咲いて顔をもたげているのも見られ、とても愛らしい。
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やがて硫黄山から噴出する白い蒸気が間近に現れると、道は硫黄山を巻いて溶岩の中を急上昇、そして急にガスが出てきてすがもり越〈峠〉へ。三股山への登山道と交わるが、ここから一挙に下る。ガスが強く、岩の上のマークを忠実に辿る。
やがてガスが開け、小屋の屋根が見えてくる。ここが法華院温泉で、九州最高地にある温泉。あの芹洋子が歌った「坊がつる恋歌」で一躍有名になった坊がつる湿原の一番奥にある。十数年前に泊まったことがあるが、温泉は大きな檜の風呂にこんこんと沸いており、山屋にはとても人気がある。ただ、一昨年の水害で温泉もかなりやられたと聞く。そう言えば、温泉の真上の沢には大きな堰堤が築かれていて、その生々しさが見て取れる。
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坊がつるまで下ってみる。そこはだだっ広い草原で、未だ春の様相とまではいかない。インターネット情報ではミヤマキリシマもかなり咲いているとあったが、温泉の回りに少し群生している程度。前から歩いてきた人に聞いてみても、大したことはないという。この奥の平治山は山一帯がピンクに染まるということで有名だが、ここから見ても新緑一色。未だ早すぎるのだ。それと、年によっては局地的に尺取虫で花が全滅って年もあるそうだが、今年はどうだろうか。
もっと標高の低い所に下った方が咲いているのではないかと、早々に退却。一旦すがもり越目指して登り返し、峠直下にある北千里という平地から久住本峰と硫黄山の間のカルデラ平坦地を進む。硫黄山の蒸気がゴーゴー音を立てている下を歩くので、気味が悪い。やがて本峰への急な登りを登り切ると、牧ノ戸から本峰への登山道とぶつかる久住分かれ。ガスがきつい。頂上はすぐそこだが、バスの時間が迫っているのですぐ下山。
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少し下るとガスが開け、九重の草原が一望。新緑がずっと広がって、とにかく広い。ただ、阿蘇山の方面だけは雲があって見えない。暫く下っていくと、岩の間にイワカガミの群落。他所のより花が小さく可憐。なおも下っていくと、ミヤマキリシマがあちこち群れを成して咲いている。もし満開だったらその辺り一面がピンク色のじゅうたんで埋まる感じになるのだろうが、まあ未だ五分咲きってところ。しかし、その分、葉の新緑とのコントラストがあってこれはまた格別。特に、大きな岩に群れ咲きのピンクの花をつけたミヤマキリシマがへばりついているのは、岩の灰色も加わってまるで色付きの南画の世界。峠のすぐ上の群生地が最もきれい。 |
結果論だが、これなら最初から牧ノ戸峠まで来ておれば良かったか。満開で無くてもこれだけ堪能させてくれたのだから、もし満開であれば筆舌に尽くし難い美しさなのだろうと思う。「九重と言えばミヤマキリシマ、ミヤマキリシマと言えば九重」とは良く言ったものだ。牧ノ戸から1日4便に減ったやまなみハイウェイバスで阿蘇に出、レンタカーを借りて阿蘇山荘に入った。ここで百名山挑戦の夫婦と都道府県最高峰挑戦の仲間と合流し、今後の壮行を祈念して4人で乾杯。その後山談義がはずんだ。
当日目覚めると雨。ただ天気予報は快方に向かうという。朝食も早々にお互いの成功をエール交換して、夫婦は阿蘇山に、我々は島原へとそれぞれ車をスタート。雨は上がってくる。島原の対岸にある長洲港から島原港までフェリーを使う。フェリーからは、普賢岳・平成新山がくっきり見える。一安心。
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というのは、通行禁止のため普賢岳から平成新山までの間が道の無いかなりの藪で、昨年は何とかそこを藪漕ぎして潜り抜けた。多分大丈夫だろうとは思っているが、ガスが出ていると、前が見えない中で藪漕ぎをしなければならず、この場合同じ所をぐるぐる回っていて道に迷うというケースがあり得る。それが、山頂が見えていれば遠くに目標が見えてその心配が無くなる。それで、ほっとしたのだ。 |
島原に近づくと、平成新山の東面の土石流の跡が生々しい。港から、雲仙温泉よりさらに高い所にある仁田峠まで車を飛ばす。梅雨入り前の日曜のこと、峠には沢山の車で満ちている。観光客は、殆どここからロープウェイで国見岳に。
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時間は11:00、我々は登山道を普賢岳目指して歩き始めた。きつい登りだが、結構登山客、それも若い人が多い。最近の山は中高年で満ち溢れているだけに嬉しい。11:50に普賢岳頂上。ミヤマキリシマがあちこち咲いていて、頂上に色を添えてくれている。360度の眺望。西方すぐには雲仙連峰が、東南眼下には島原湾が見えているのに、肝心の東方目の前に大きくそびえているはずの平成新山だけがガスに隠れて見えない。これでは眼下に見えている藪が越えられるかなと不安がよぎる。 |
早速、頂上直下の藪の入口に行って見る。昨年同様、進入禁止のロープが張られている。ロープを潜ってみると、昨年と違ってかなり踏み跡がしっかりついている。さらに、ロープのしてある所にあった登山禁止の看板も取り払われている。おまけに、所々真新しい赤いビニールテープのマーキングが付けてある。この1年の間にかなりの人が入っているらしい。これなら、道の間違い様が無い。新山の裾に出合う直前に「霧氷沢」という標識が立っており、この道が噴火前から使われていたことが伺える。難無く藪を抜けて、新山の基部の瓦礫地帯に達する。大きな石がごろごろ積み重なっているが、ここにも昨年見られなかった赤いペンキの矢印がしてある。山裾を慎重に時計方向に巻く。多分、有毒ガスを避けるためだろう。石が安定してなくて浮き石が多く、歩きづらい。45度程山裾を巻いた所で、ペンキが黄色に変わる。このペンキは昨年もあった。ここからは、ペンキに従ってかなりの急登を上る。大きな石でさえ浮いており、うっかり体重をかけるとグラっとくる。おっかないこと極まり無し。慎重に慎重に歩を進める。やがて、昨年引き返した少し平らになった所に到着。途中やこのすぐ上で見られた水蒸気ガスも見あたらない。この1年で随分落ち着いたって気がする。ここから更に、ペンキに従って頂上を目指す。
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噴火口のお鉢にまで達すると、これまでと様相が一変。大きな岩がゴロゴロしてるのは変わらないが、浮き石が多くなり、あちこちでガスが噴出していて、地熱の高い所まである。結構風があったので余程のことが無いととは思うが、もし有毒ガスでも噴出してきたらと思うとぞっとする。とにかくペンキに従って進むのが一番安全と信じて歩を進める。ガスでお鉢の全体は見渡せない。かなり進んだ所に一段と高く大きな岩が2つそびえ、その横の適当な高さの石の上にボルトが打ってある所に達した。 |
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大きな岩の上が最高地点であろうが、とても危なくて登れそうも無いので、横の石の前で恒例の万歳。時に'07年6月3日13時5分、5年越しの都道府県最高峰全山登頂を達成。最初の静岡・山梨県最高峰の富士山が1963年7月1日だっただから、丁度44年かかったことになる。感無量。高い石の裏側を覗き込んでみると絶壁になっており、多分お釜になっているのだろう。ガスが強く、回りが見渡せないのが残念。もし晴れていたらお鉢全体と島原湾までが見渡せて素晴らしいものだったと思う。 |
しかし、長居は無用、もし有毒ガスでも噴出してきたら大変と、早々に引き返した。勿論、誰も登って来ない。登った時にはそんなに感じなかったが、傾斜はかなりきつい。大きな石がごつごつしているからいいものの、普通の山だったらロープが必要な程の勾配だ。浮き石も多く、上りより下りの方が石に全体重が乗っかるので危険が大きい。とにかくペンキを頼りに一目算に下り、藪に入り込んだ所でヤレヤレ。心からホッとした。かくして、普賢岳経由仁田峠辿り着いたのが15:10。藪漕ぎが無かったので意外に早く着いた。約1時間半は早かったろうと思う。その足ですぐ諫早に出てレンタカーを返し、2人で祝杯を上げた。
その時は未だ知らなかったが、帰ってから新聞を見ると、16年前に普賢岳が爆発し、大火砕流が島原の町を襲い、43人の犠牲者を出したのが6月3日だったそうで、地元ではあちこちで鎮魂の追悼行事が催されたとあった。登山者が多かったのはその供養登山の人も沢山いたからだったのかなと肯ける。偶然とは言え、記念すべき日に登り、記録を達成したということになる。改めて犠牲者に合掌。