[プレゼン予稿(第13期第4回=00.11.28)]

 

寺島実郎著「1900年への旅」より      新田 謙治郎

 

1. パリ万国博(1900年開催)を訪ねた日本人

1851年ロンドン万博にはじまる。

この回でパリ開催は5回目。4800万人。(cf.最近のハノーバー世界万博が2000万人)

エッフェル塔。「鉄と電気の時代」の象徴。メトロ開通も1900年。

秋山真之=日本海海戦の天才参謀。2年半の米国留学中、米西戦争を観戦(武官)。

ロンドンで軍事戦略・戦術の研究。

広瀬武夫、伊達忠義と同行。露仏同盟のフランス海軍力研究。

「日本のインテリは視野の狭い小専門家。専門以外のことは何も知らない。」

日本館。日本絵画、武器、刀剣、漆器などの精巧さに打たれ、「日本は寡黙だけど

立派な知恵」

夏目漱石、ロンドンへ行く途中で3日間訪問。日本の伝統の素晴らしさを再認識。

「日本の陶器、西陣織,最も異彩を放つ」 

 

2.ベルサイユ講和会議

1919年。第一次世界大戦の終戦処理。1871年普仏戦争後、ドイツ帝国のウィルヘルム一世の戴冠式がここで行われたことの意趣返し。60年間の仏の怨念。

その前にも、一八〇六年皇帝ナポレオンのベルリン入場、テルジットの屈辱的講和

その後も、再びドイツの怨念となってヒットラーの登場を招く。

西園寺公望(主席全権)、1871年(明治四年)から10年仏留学。40年後。

世界5大国の一角に入り込めた時。

3人の主役。仏クレマンソー、米ウィルソン、英ロイド・ジョージ。

日本からの正規団員64名、総勢106名。

牧野伸顕(大久保利通の次男)、近衛文麿、松岡洋右、有田八郎、吉村吉三郎、

重光葵、吉田茂、芦田均。

西園寺は1919年1月18日から6月28日(締結)まで、5ヶ月間ただ一言も発言せず。

ミスター「スフインクス」のあだ名。  

近衛文麿「平常の調査足らず、予備知識なき結果、たちまち措置に迷うて周章狼狽」

1921年の日英同盟解消と共に多国間外交へ。理念とインフラに欠けたまま迷走。

 

3.ロンドンと夏目漱石

1900/9〜1902/12の2年間。

秋山、広瀬、森鴎外と違って自ら望んだ留学にあらず。5高の校長宛に「特に洋行の希望を抱かず、他に余よりも適当な人あるべし」。気負いなし。

本を買うために極度に切りつめた生活を。下宿にこもって、自閉症のように読書に耽り思索を続ける。

 「西洋で100年かかって漸く今日に発展した開花を日本人が10年につづめてやろうとしていることは、子供が背に負われて大人と一緒にあるくような、皮相上滑りの開花」 

「内発的でない日本の限界」という認識は、今日の「グローバル・スタンダード」の攻勢に受け身の対応を迫られている日本にもそのまま当てはまる。

 

4. 日英同盟

1902年〜1921年。日露戦争から第一次大戦にかけて日本の国際社会で台頭し「戦勝国」として振る舞うことの出来た時代。いわば「日本外交の成功体験」

1945年の敗戦以来今日に至る55年の日米同盟とあわせて4分の3世紀をアングロサクソンとの同盟で過ごす。

(日本)侵略的ロシアをおさえる究極の選択。

(英国)露仏同盟。独・伊・オーストリア三国同盟への対抗策。

    特に台頭するドイツへの対抗策としてほかに選択肢なし。

伊藤、井上は青年期に長州留学生として英へ留学。日露同盟を推奨。

内に「栄光あるイギリスが日本を同盟国として評価するはずがない。」のコンプレックス。

一方、小村寿太郎は日英同盟を推奨。

1921年ウィルソン主導によるワシントン会議での日英米仏四国条約によりあっさり破棄。以降多国間外交を制御できるだけの外交力を持たずに迷走。

同盟への過剰依存という固定概念の危険性を示唆。

今、米国の中国との「戦略的パートナーシップ」、 日米同盟再構築不可避?

 

5. グーテンホーフ・光子

1892年18歳でオーストリア公使グーテンホーフ伯爵と結婚。

1896年ウィーンに帰国。14年間に7人の子供。32歳の時夫の死。

ウィーン社交界の華として活躍。厳しく子供をしつける。次女オルガ以外離散。

次男リヒアルト「パン・ヨーロッパ」1923年刊行。

民族を超えた連邦制を構想。関税障壁の排除、共通通貨の創設、利害調整機関の創設など今日のEUの原点を見る。ビジョン実現のため社会活動に一生を捧げる。

基軸通貨ドルに対抗する第二の基軸通貨としてのユーロに注目。

明治の日本女性が残した「一粒の麦」の連鎖がもたらすドラマ。

 

6. ロシア革命、日露戦争と明石元二郎、広瀬武夫、小村寿太郎

明石元二郎(大佐−>陸軍大将)

ロシア革命を誘発すべく反ツアー運動を支援する諜報、謀略工作を展開。

「日露戦争を勝利に導いた隠れた要因」との伝説。1902年ロシア公使館付武官。

広瀬武夫と入れ替えで赴任、100万円(80億円)の工作資金を参謀本部から調達、

児玉源太郎参謀本部次長の指示で、ロシア情報の収集のみならず、反ツァー勢力に活動資金を提供し、武器援助と破壊工作を試みた。

ロシア軍将校のみならず、ポーランド、フィンランド、アルメニア、グルジア、ラトビアなどを巻きこんで、反ツァーリ抵抗連合会議を開かす。

日本国の存亡を背負って時代を駆け抜けた男。壮大なロマン。

広瀬武夫

常備軍130万対20万。海軍力51万トン対26万トン(英国製)

「軍神ひろせ」(杉野はいずこ) 旅順港閉鎖作戦で戦死。

1897年ロシアの海軍留学生。(秋山のアメリカと同じ時期)

ロシア海軍の徹底的研究に没頭。日本海海戦の前年に帰国。

アリアズナ(貴族の令嬢)との恋。ロシア知人も多く戦死の報に涙す。

小村寿太郎

米、露、中の公使としての体験が体型的世界認識を生む。

「日英同盟」から「ポーツマス条約」に至る総合戦略を奇跡的に成功させる

テ・ルーズベルトの支援によるJapan Society of Boston の誕生。 

明石の諜報・謀略工作に批判的。欧州諸国の日本への警戒心と不信感を生む。

明石、広瀬に象徴される国の一隅を支える青年の真剣さと、小村に象徴される広く深い国際意識に裏付けられた戦略性が奇跡的に真美あった時代(100年前)

 

7. ドイツ帝国に学んだ明治日本

プロイセンが普仏戦争に勝ち、1871年ドイツ帝国成立。

ビスマルク。(ベルサイユ宮殿鏡の間で皇帝ウィルヘルム一世の戴冠式)

19c末から20c初頭にかけて英国の海上覇権に対抗できる大海軍建設。

英国を刺激し、副産物として「日英同盟」を生む。

ドイツを訪ねた二つの使節

1862年。江戸幕府による遺欧使節。竹内下野守(正使)

福沢諭吉、福地源一郎、寺島宗則が随行。

製鉄所、造砲所、蒸気車製造所、博物館、騎兵の訓練の見学。

1871年。(明治4年)岩倉具視一行。(674日を駆けて世界一周)

大久保利通、木戸光イン、伊藤博文など政府要人が随行。

ビスマルクの演説に刺激され、クルップ工場で衝撃。(鉄鋼、軍需産業)

鉄と兵器の産業を築き上げたドイツの躍進こそ「日本のモデル」

立憲君主制との政体にも共感。

この方向を決定づけたのが「明治14年(1881年)の政変」

イギリスを近代化のモデルとして信奉する大隈重信らのイギリス派とドイツを範とする伊藤博文らの路線闘争。ドイツ派が勝って決着。

戦後、憲法や兵制は解消・変革を迫られたが、ドイツ帝国型の官僚主導の統治機構は今日の日本に根強く継続。米国の「規制緩和、市場主義」の要求の苛立ちの原因。

明治期に活躍したこれらの若者達に共通しているのは、徒手空拳で欧州文明に対峙しつつ、心の中に「和魂洋才」という文字を刻印していたかの如く、決して日本人としてのアイデンティティを見失わなかったこと。

 

8 その他

・ヘンリー・ルース

1898年中国山東省の生まれ。「メディアの帝王」と呼ばれタイム・ワーナー社の創設者。

「タイム」(1923)、「フォーチュン」(1930)、「ライフ」(1936)

ダニエル・ベル、ピーター。ドラッガー、アルビン・トフラーともF。編集者。

3紙を駆使して中国に侵略する日本の危険性を米国民にPR.

1936年FORTUNEの日本特集号。(200頁)

フライング・タイガー(中国支援のための米国人義勇軍)の組織化。

蒋介石支援のための資金援助。「反日・親中国」の世論盛り上げ。

戦後(1949)共産中国の成立と共に、態度変更。

ダレス国務長官を動かし「日本を西側陣営に取り込み、戦後復興させる」シナリオ。

サンフランシスコ講和条約、日米安保条約へ。

日本の国際社会への復帰、米国支援を一身に受けた戦後復興の道が開けた。

(これなくして復興は30年遅れた)日米という谷間に中国の存在の大きさ。

・ 大島浩駐独大使

第二次大戦時の駐独大使。ピッツバーグのアンティークの店で1945年8月14日の地方紙を読む。「大島大使ほか150名の外交官を収容中」。

40年ヒットラーの友人として日本を日独伊三国同盟締結へと引き込んだ責任者。

極端なドイツ信奉者、ナチの共感者。東条英機と陸士で同期生。

ドイツの最高機密の戦略を殆ど毎日打電し続ける。(五年間で約1500通)

すべてアメリカの陸軍情報部に解読され、ルーズベルト大統領やマーシャルに。

「ソ連侵攻に関する情報」(航空機の数、師団の種類)

「フランスに展開したドイツの軍備状況」(ノルマンディー上陸作戦)

常に「ドイツ軍の優勢と勝利の見通し」を強調するもの。

「まじめに職務遂行するほど、敵に的確な情報を提供し続けたピエロ」

意識しないで連合国に最も貢献したエージェント、功労者。

大島の「独露分断のための日独防共協定」vs吉田茂の「米英敵対論」。

今日の米国も情報戦重視の戦略継続。

通信傍受のネットワークECHELON(エシェロン)「経済諜報」へと移動。

米国の産業にとって「不利益、不公正」な外国企業の動きを諜報によって牽制。

(GPS。カーエレ)

 

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