Y2K問題「始末記」 倉石 英一
昨年2度にわたってこのホームページにY2K関連の投稿を行いました。(「Y2K問題にいかに備えるか」〜その1:「何が起こるか」編、〜その2:「対策」編。いずれも、オピニオン欄に登載中)
今、全てが終わって振り返って見ると、結果的には会員各位をお騒がせしてしまったということになるかと思います。今回は、その「罪滅ぼし」の意味もあって、Y2Kについての一連の出来事を総括し、できれば教訓を整理して今後の類似の問題に対する糧とできればと思い、「Y2K始末記」としてまとめて見ました。
一言で「Y2K(2000年問題)」といってもいくつかの節目がありました。いうまでもなく、最大のものは1月1日、午前0時ですが、その他にも2月29日の「大うるう年」問題、3月31日〜4月1日の3月期決算問題があります。これらを通していえることは、いわゆる「ライフライン」関連(電力、ガス、水道、電話網などのネットワーク)、航空機、鉄道など国民の生活にかかわる重大なトラブルがなかったことです。特に、新年のカウントダウンがゼロになった瞬間に電気が消えるという最も心配された事態が避けられたたことに真からほっとしました。前にも書きましたが、これで問題が起きなければ80%は問題が解決したと考えられたことから、まず一安心ということでした。
また、非常に心配されたことに、各種の制御機器や自動車、家電製品などあらゆる製品に埋め込まれた「マイコンチップ」が誤作動を起こし、これらの機器や製品が暴走するかもしれないという危惧でした。この点も結果的には、大きな問題とならなかったようです。これは、「実態が分からなかった」「調べようがなかった」が故の、最悪の事態を想定した心配という面もあったと思います。しかし、ライフライン関連などの基幹系システムではこの部分も含めて徹底的な調査と手当てが行われたと聞いています。また、手が回らなくて対処しきれなかった部分(これが大部分でしょう)についても、日付を扱ったものはほとんだなかったから大きなトラブルにつながらなかったというのが正解でしょう。
目立ったトラブルとしては、年始における原子力発電所の監視システムや証券会社の内部システムの障害が大きく報道されました。証券システムについては、このシステムの開発、運用を行っている某総研会社の人に年明け早々に会ったら、「親戚から心配して電話が何本もかかってきた」と笑っていました。実際はほとんど数時間で解決した程度の話だったようです。2月29日には、郵貯オンラインと気象庁アメダスが障害をおこしたとのことですが、これらも話題性としては大きくとりあげられました。しかし、重大トラブルとはいえないレベルでしょう。
こういう結果を見て、もともと「騒ぎ過ぎ」という指摘もありますが、それは違うと思います。報道されていないところで細かいトラブルはずいぶん起きています。関係者の努力があったから、これらを乗り超えて無事に新年を迎えられたと言ってよいと思います。事実、コンピュータメーカーや大手SI企業の関係者に聞いてみると、年末年始に会社やホテルで多数の社員が待機態勢を取っただけでなく、それまでの対策にあてた工数やコストは大変なものだったようです。それでも、「重大な障害」でない各種トラブルは随所で起こっていますが、その多くは世間に公表されていません。公になっている障害事例は氷山の一角に過ぎない(日経パソコン、2000年1月24日)ということのようです。企業としては「身内の恥」をわざわざ曝したくないという配慮からでしょうが、社会的に致命的な影響を与えるレベルのものは防いだか、ないしはすばやく対応して火を消したかのいずれかと予想されます。
それと、Y2Kは基本的にソフトウェアの問題と言えます。しかも、目標時期とターゲットがはっきりしていて、対策が見えていれば、あとはそれに間に合わせるための資源の確保だけが問題となります。基幹的なシステムを主として担っている大企業は何が何でもやり遂げようとするし、事実、やりおおせたというのが結論でありましょう。
年があけてから、「Y2Kの教訓」というような記事が多数出てきましたが、「『騒ぎ過ぎ』という批判もあるが、問題が発生しなかったのは、『偶然にもラッキーだった』から」(日経産業新聞、2000年2月14日、「ネット社会のリスク」)という記事がありました。私は、問題が発生しなかったのは、単なる「偶然のラッキー」ではなく、関係者の異常とも言えるまでの努力の結果であると思います。例えば、私の知り合いの大手ガス会社の役員が言っていましたが、都市ガスの原料(というよりもガスそのもの)であるLNG(液化天然ガス)の供給元の東南アジアや中東へ技術者を派遣して、現地の積み出しシステムの2000年対策を指導したり、実際に修正作業にあたったということを聞いて、「そこまでやっていたのか」という感にうたれたものです。
かかったお金の評価についても、「無駄使い」という意見もありますが、これを半分にしたらトラブルは5〜10倍になったことは間違いないとの見方(日経NetBrains 2000年3月、「爆発するアジアのネット」会津泉)の方が正しいと思います。ところで実際にどれくらいのお金がかかったのでしょうか。いくつかの推計があります。全世界では3200億ドル、米国では政府と民間と併せて1000億ドル〜2250億ドルと見方に幅があります(ガートナーグループ、IDC、米国は米上院、2000年技術問題特別委員会)。日本では(社)情報サービス産業協会の調査に基づく試算で約1.3〜2.4兆円ということでした。確かに大金には違いないかもしれませんが、この程度のお金で無事に年を越せたのだから安いものと言ってよいのではないでしょうか。
ここらで、私自身がどう対応したかを報告しなければフェアでないでしょうね。年末が迫ってくるに従って、私自身の心証というか判断は「大きな問題は起こらない。または起こっても2〜3日で解決できるだろう」ということになりました。根拠は特になく、いってみれば感触に近いものですが、様々な情報源からの情報や政府の発表(100%信用はしていませんでしたが)なども参考にはしました。その結果、食料など非常用備蓄は2〜3日分、余ってもあとあと消化できそうなもの(現金、ペットボトルの水、ガスボンベ、米と時節柄ということでお餅)はやや多い目(といってもせいぜい半月分ですが)を準備しました。最後に風呂のバスタブに満タンに水張りをして新年を迎えました。このなかで完全に無駄になったものは風呂に溜めた水くらいのもので、殆どは消費してしまいました。ただ、ガスボンベについては、年明け後やたらと「鍋料理」が増えたという笑い話がありますが、それでもいまだに余っています。
そして、2000年の新年を迎えて夜の街の探訪に出かけました。交通信号も正常、電車も運行しており、車も普通に走っていました。これで、世の中平穏に動いていることを確認して一安心しました。ただ、近所のコンビニ(大手でなく、中小に属する)で試しに買い物をしたところ、POSは正常で買い物はできたのですが、「本部にデータが送れない。ソフトの入れ替えをしなければ」といっていました。以上が我が家の「Y2K譚」のお粗末です。
その後、政府の総括発表資料「コンピュータ西暦2000年問題 に関する報告書」(平成12年3月30日、内閣コンピュータ西暦二千年問題対策室)が公表されました。政府が行った施策や判断が結果的に正しかったことが強調されていて自画自賛の気味もありますが、結果論ではあるとしてもおおむね適切な対応がされたと評価しておきましょう。笑ってしまうのは(亡くなられた今となっては笑ってはいけないのでしょうが)、小渕総理のリーダーシップの素晴らしさを強調した部分があることです。報告書はかなりの大作ですが,総括としてはあまり参考にはなりません。むしろ付属資料として発表された「国際Y2K協力センター報告書」が,総括としても読み物としても面白い内容になっており,一読の価値があると思います。長くなるのでタイトルのみ載せます。これで内容を想像してみて下さい。
【戦略について学んだこと】
1. 脅威の共有と国境を越えた相互依存が成功の鍵である。
2. ネットワーク化と情報協力が機能した。
3.「跳び越し」が効果的!
4. インフラは、連結しており、かつ弾力的である。
5. リーダーシップは不可欠であるが、組織の機敏さは様々である。
6. 官民のパートナーシップがうまく機能した。
7. 技術の管理は可能である。
【情報について学んだこと】
8. 事実によって信頼は確固たるものになる。
9. 担当者の報告を評価すべき。
10. 接近している程よい。
11. 詳細な説明が重要である。
12. 情報の遅れに注意せよ。
13. 情報のカルテル(出し惜しみ)は、限界的な価値しかない。
より詳細をご覧になりたい方は
http://www.kantei.go.jp/jp/pc2000/komon/dai8/8sankou2.html
をアクセスしてみて下さい。
これらの報告書でも日本で心配されたパニックが起きなかったことについて分析がされていますが、私は以下の2つの条件が幸いしたと考えています。
・ 関係者の大変な努力
これについては、再三述べてきましたので省略します。
・ 部外者の無関心
今回、当事者以外の人間が意外に無関心だった(よくいえば冷静だった)と言えると思います。私の家族を見ても「お父さん、なんでそんなに騒ぐの」という反応でした。情報を持てば持つほど不安になるということもあるかもしれませんが、大多数の一般庶民の冷静さが無用なパニックの防止に役立ったと思います。いわば、素人の判断が結果的には正しかったとも言えるケースでした。今回はこの2つの条件が重なった稀有なケースと考えられますが、今後とも似たような事態が起こったとき、このような幸運に恵まれるとは限らない、きちんとパニックを起こさない対策を考えておく必要があると思います。
最後に、Y2K問題が残したものをいくつか見ておきましょう。コンピュータ業界の人達は「やるべきことを全てやったから問題が起きなかった。これからは他の業界やお客様に振り回されないでやるべきことをやり、言うべきことを言おう」と自信をつけたのではないでしょうか。また、責任がはっきりしないインターネットでも問題が起きなかったということはLinuxのようなボランティア的なものへの信頼感が増し、今後は基幹業務への適用も増えてくると言われています。今後にどう生かすかという視点も大事だと思います。
国家や企業経営におけるリスク管理の観点から言えば、「いかに対処したか」というプロセスの検証が始まっているようです。地球規模に広がった巨大ネットワーク型社会が共通の潜在リスクを認識し、「自らのリスクが他人のリスクに及ぶ」ことを学んだ最初の機会でもあったのです(前出、日経産業新聞、2000年2月14日記事)。この認識があればこそ、世界中が一つの目標に向かって協力しあった稀有なケースを生んだと言えます。そうでなければ、先進国はともかく、Y2K解決は困難と見られていた旧社会主義国や発展途上国を含めて、全世界的にこのようなスムーズな結果に収まることはなかったと思われます。
企業レベルでは、顧客管理や品質管理(品質保証)手法を見なおす気運も生まれています。Y2Kを機会にシステムの総点検を行ったが、そのデータが残っており、これを生かして「顧客管理システム」の再構築に乗り出したり、自社の取り扱い製品と担当部門を見直したりという企業が出てきています。また、障害管理用のシステムを有効活用してシステムの品質保証レベルをアップするといったところも現れています。Y2Kへの対処を通して有形、無形の資産を残した企業が今後これを生かすかがこれからの課題ではないでしょうか。
ともあれ、Y2Kをともかく無事にのりきった日本の産業界(とりわけ情報サービス業界)にとって、「Y2Kにかまけて」先送りされていた、本格的な企業の戦略的情報化に向かって改めて乗り出すべき時期が来ていると思います。Y2Kの教訓を生かしながら、新たなる挑戦が大きな成果を生んでいくであろうことを期待して、このシリーズを終わろうと思います。
皆さん、長い間おつきあいいただき、ありがとうございました。