日本の再生に欠かせない「リーダー層の潔さ」         辻 淳二

 

 選りも選ってこの類比とは
 2月中旬に“退陣包囲網”がグッと狭まって「もはや死に体」と見えた時点でも、マスメディアには「彼は辞めない」との報道が絶えなかった。それ程、森首相のよく言えば粘り腰、ありていに言えば往生際の悪さには“定評”があったということのようだが、これが英人女性の致死事件被疑者に関わる「彼は自供しない」と決めてかかっている報道とやたらイメージが重なったのは私だけだったろうか。昨年末に同首相を信任した連立与党議員達にも、同じイメージが脳裏をよぎって忸怩たる思いの人は少なくないのではないだろうか。

 リーダー層に欠如! 危機場面での「局面打開力」と「潔さ」
 日本はいま、政治は“ポスト森”のリーダー不在に、経済はG7蔵相・中央銀行総裁会議声明での「金融システムの不良資産処理の遅れ」指摘でクローズアップされた改革遅れに象徴されるように、懸案の国の再生に「日暮れて道遠し」の感を色濃くしている。あらためて、これらの問題に深く関わっている各界のリーダー層に、私欲や保身でなく身を賭して動く「局面打開力」と過りを勇気を持って認め真っ当な流れに戻そうと動く「潔さ」が見えなくて憂色を強めていることを痛感させられている。
 もちろん、各界のリーダー層の中にも「いいモデル」と言えそうな人がいない訳ではない。行政分野では、東京/長野/三重など、硬直した行政の仕組みに自ら切り込むことで住民の高い支持を集めている知事達が少しずつだが増える方向にある。産業界では、事業のリストラを断行しつつ経営状況が正常化するまでは報酬を返上して組織を引き締め短期間に回復へと導いた商社トップや、固定化しつつあった赤字体質をグループを横断した事業再編/整理や人員過剰の前倒し解消に踏み切って就任年度に単年度黒字に転換して見せた製造業トップなどが思い当たる。ところが、これらが力強いうねりにはならない。それは、この国で影響力の大きい主幹に位置する層でこうした動きがないからだ。むしろ彼らがジレッたい程逆に、つまり失敗を糊塗してミスリードの上塗りをしたり、軌道修正を後送りして復元力を殺いでしまっているからどうしようもない。

 反面教師となった「4人組」
 具体例を挙げると、先ず政治の世界では、密室で森首相を決めた「4人組」(森氏も含めると「5人組」)と言われる自民党幹部層がその代表例だろう。彼らは、最初の密談時(昨年4月)に「森氏がこれほど国民の支持に遠く、その一方でこれほどに粘る」とは思わないという判断ミスをやった。実際に首相に就任した後の同氏の危なっかしさから見て、早い時点で「自分達が、どえらいミスをやった」という認識は何がしかはあっただろう。ところが、昨年11月のいわゆる“加藤政局”の時にも、その失敗を上塗りする「森延命」に動いた。その3ケ月後の結果が、国民の9割を暗い気持ちにさせている今のていたらくである。「国民の幸せに奉仕する」という政治家のあるべき姿に照らせば、本来なら、一旦は謹慎蟄居して出直す姿勢が必要な程の「大失敗」ではないか。ところが、別件で議員辞職に追い込まれた一人を除いて、当人達もマスメディアも“キングメークの実力者気取り/扱い”に見えるのはどういうことだろう。

 「潔さ」あれば流れは変えられたのでは?
 もう一つ、かねてから気になっている例を挙げると、上記の不良債権処理に対処した金融機関トップの姿勢である。いかに大蔵省(当時)のミスリードがあったとは言え、預金金利を長期に渡りゼロ近くに張り付け、公的資金の注入まで受けたことは、“国民挙げての救済”を受けたと見なせよう。とすれば、業界として「当業界が支えている問題業界ともども、当業界も救済を受けている身だ。その業界が、日本の産業界の平均よりもかなり高い給与水準を続けることは筋としてまずい。こういう状況を脱却できるまでは、その平均水準までカットしよう」という動きがあってもよかったのではないか。もしその合意が難しかったとしても、どこかの主力行で「(“横並び”を超えて)精一杯の所まで削って顧客と向き合おう」という所、さらに一歩譲って「腹を括って取り組む意味で、頭取としての報酬を返上する」と申し出るトップが現れる所などはあってもよかったのではないか。先日のG7会議で「10年経っても、不良債権処理が終わらないとは・・」と名指しされて、またぞろの外圧頼みで「間接処理から最終処理へ」の動きが始まるようであるが、この10年間の早い時期に上記のように「潔く経営ミスに対処して、失敗からの復元力を最大化する業界のリーダー」が居たら国全体が今ごろは結構明るくなっていたのでは?と思うのは“机上の空論”だろうか。 

 それぞれに自戒しよう「判断ミスの上塗り」
 ところでこの話は、私が“当事者”のものではない。それなのに敢えて論じようとしたのは、上記の「判断ミスを改めずに、これを上塗りする判断ミスを重ねて傷を深めてしまう」ことは、私たち誰にもあり得ると感じるからである。当会の仲間の戸田忠良さんからは最近、『組織の不条理』という本が戦争や経営の失敗を解明していて、「この案件はうまくいかないな」と思っても、今まで投じた費用(これを“埋没コスト”というらしい)や他の方法に切り替えるための再立ち上げ費用を気にして決断が遅れるというパターンの失敗が多いと指摘していると聞いた。これなど、私自身もそうだが、多くの経営者の方たちにもヒヤリとする心当たりがあることではないだろうか。国が右肩上がりだったから、フェイタルな失敗にはならなかったという人が多いかも知れないが。かくして、成長が見込めずリスクも大きくなった今は、「この“埋没コストの罠”は、全ての組織のリーダー層に身近かなこと」という認識が大切なのだと思う。

 『間違った判断をズルズルと引き摺らない潔さ』・・これが日本が再生に向かうためにリーダー層に不可欠と思うこの頃である。[2001.2.27]

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