ハイジャックテロに想う 辻 淳二
こんな事件が起こるとは!
「空白の十年からの復興」を願いつつ迎えた新世紀の初年に、えらい事件が起こってしまった。「すごいシーンが映っているよ」と家族に呼ばれてテレビを見に階下に降りると、世界貿易センタービルへの航空機の突入シーンが繰り返しリプレイされていた。十年くらい前に見た、高層ビルを爆薬で崩壊させるコピー会社のCM映像によく似ていたが、「テロだ!」と連呼するアナウンサーの声に地下鉄サリン事件、真珠湾攻撃などを連想し、これらの、一世紀に一回起きるかどうかの稀有なできごとのイメージを合わせ持つような事件を起こせる「とんでもない犯罪者が現れた!」驚愕を呆然と受けとめた。
その後、マスメディアはブッシュ率いるアメリカの「テロへの報復」を連日トップで報じ、それに駆り立てられるように、議論が飲み屋でもメールグループのようなミニメデイアでも闘わされている。私自身も、「具体的に何ができるのか(当面できるのは、被災者ヘのカンパぐらい)」の無力感に苛まれながら、あれこれと考えさせられている。
幾重にも"暗澹たる思い"
先ず世界を見ると、第一に、イデオロギーの違いを背景とした冷戦が終わっても、民族や宗教などの違いが歴史的な経緯で複雑に絡み合った争いの種は尽きることなく、「平和な世界」は気が遠くなるほど遠い理想だということ。第二に、「一人勝ち」の覇者となったアメリカが“America first"と自国の利害重視のスタンスを取り始めるといとも簡単にevilな意志を持った集団につけ入られて仕舞うほど、今の世界は「unstableな系」、つまり危なっかしいものだということ。などなど。世界事情に疎い私でも、暗澹たる思いにならざるを得ない。
次に日本を見ると、この事件は指導層にとって、率直に言って「真に困ったことになった」ということだろう。小泉改革が不良債権処理などその入り口の重荷の除去に取り掛かったとたん、年初からアメリカのITバブル崩壊による景気後退の直撃を受けてグラッときて、そこへ予想外の重たいパンチをもう一発食らって、「あわやダウン寸前」の状況になってしまった感じだからである。グロッキー気味でゆとりがないから、「日本はかく対応する」との自立的な目標と腹積りを開示し、毅然と振舞うなどできる訳がない。結局私たちは、またぞろ同盟国としての対応が遅れ、サンドバッグのようにこずかれながら、経済的にも国防的にも「受身的にアメリカ依存を深め、自立性/自主性というカジをもがれていく」流れにさらに深入りしてしまうのをもどかしく見ているしかない・・。こちらも、暗澹たる思いを増幅させられるだけで、明るさは見出せない。
学ぶべきは「良寛」
それでも私たちは、心には安らぎを持ち、先には希望を感じつつ生きて行きたい。社会的に無力な自分の場合、この局面では"個人のレベル"で足を地に着けて何とか踏みとどまるしかない・・。そう考え「何が頼りに?」と思いを巡らした時に、スッと頭に浮かんできたのは、近年道楽的に研究の対象にしている「良寛禅師」だった。同師も、世界は視野に入っていなかったかも知れないが、当時の日本にも仏教界にも名主職を追われる流れにあった実家にも"暗澹たる思い"を持っていた筈。それでも、あれだけスカッと自分を貫いて生き抜き、周りの人に親しまれ、敬愛された。その生き方に学べば「踏み止まれる」のではないかと思い当たったのである。
まだ、気の向くままに良寛の生き方を追いかけているだけでしっかりと学ぶことはできていないのだが、それでも、こう考え始めてすぐ2つのヒントが脳裏をかすめた。
その一は、今の世の中、「ある種の諦観を持ちながら」明るく生きていくのがいいのではないかということ。良寛は、弥彦に近い国上山中の庵などで世俗を離れて生きていた人だが、俗界への気配りはしていて、亡くなる数年前に現・三条市で起こった大地震で1,400人余りの死者が出た時などに関係の筋に見舞いの手紙や歌を送っているのが今に遺されている。その一つに、この大地震の直後に三条の近郊の与板に住む町年寄で文人としての交流も深かった山田家への見舞いの手紙に「(前略)。災難に会うときは会うがよく候。死ぬときは死ぬがよく候。(後略)」と書き送っているのがある。一般的には、被災地の人に送るにはちょっと厳しい表現にも聞こえるが、おそらく彼自身がそういう世の中への諦観を持ちながらしっかりと生きていたからスカッと言えた、そして受け取った人も心が鎮まったということだったのではないだろうか。上記のように絶対の安心はない世の中、「たまたま不運に出くわしてしまったら、それも運命と受容し、その上で残された道筋を生きる」と腹をくくっておいた方が明るく生きられるのではないか。
その二は、「"捨てて"、出直すパワーを盛り立てる」のがいいのではないかということ。いま日本が再生をめざそうとする時に、最も近いモデルは「太平洋戦争の敗戦からの出直し」だろう。国民の誰もがこれまでの蓄積がゼロになって、"焼け跡闇市からの再起"に向かった。それで、結果として半世紀もかからずに一旦は大きく浮上した。今の窮状は、その時に比べればまだゆとりがある。では、なぜあの時の気持ちになれないかというと、蓄積が灰燼に帰した訳ではないから、「それを持つ層が既得権にこだわる」姿勢になり、前に進むパワーが盛り上がってこないため。この国を重く覆う不良債権問題をここまで引きずった責任を負うべき財務省や金融機関なども、その権力や地位や命脈を維持するのに汲々としていて、"焼け跡闇市からの再起"を身を挺して引っ張るなど、露ほども考えていないように見える。
そうなると、お手本はやはり良寛に頼るしかない。ここで余人に代え難いと感じるのは、彼が「全てを捨てた人物」だったことである。引き継げた筈の栄えある職(名主)や高僧の地位も、両親も、住居も、生計を立てる職も全て捨ててしまった。玉島の円通寺を出た30歳半ばから74歳で亡くなるまで、生きる足場は終始"焼け跡闇市状態"だった。それでなお、禅僧&詩人・歌人・書家として日本史上に高く評価される業績を残し、接する人々に深い感銘を与えた。
ところが私たち小人は、「捨てる」ことがなかなかできない。良寛のような丸ごとの捨て方は、全く別世界のように思えてしまう。ところが、50歳を過ぎた後の人生の輝き方を見てみよう。彼は、何もなくても、その頃から歌人や書家としての腕を伸び伸びと磨いていって、充実した人生を送った。現代人は、余生を送る資産はそこそこ持っていても「自分が心豊かに生きているという手応え」はいま一つなのではないだろうか。高齢化が進んだ時代に生きる私たちは今、ここ(一生トータルを心豊かに送る)に注目する必要があるのではないか。
「捨てる勇気」を学び、次世代に"焼け跡闇市からの再起"を託そう
日本全体として、「いい地位や待遇などにこだわる」つまり「捨てられない」ことから脱却することを、良寛から学ぶ必要があるのではないだろうか。そう言いながら、私自身「自ら捨てる」ことはなかなかできないなと感じている。ただ、「捨てない」までも「こだわらないようにする」ことを肝に銘じて、その「潮時」を感じたら決断/行動することはできるような気がする。
ここまで書いてきたところに、巨人軍・長嶋監督の辞任発表があった。私たち同世代がヒーローとしていた指導者の「潮時」の判断に、スカッと共感した人は少なくなかったのではないだろうか。かっての"焼け跡闇市からの再起"も指導者世代の若返りが力になった訳だし、これをトリガーに各界に「こだわらない」動きの連鎖がつながることを願うというのは"我田引水"に過ぎるだろうか。[2001.9.30]