9月のトピックスから「当節の組織改革」を考える     辻 淳二


 「両リーグ共、新人監督で優勝」は朗報

 今年、私たちは、政界からも産業界からも「日本では、改革は並大抵のことではできない」ことを見せ付けられてきた。ある程度予想された政官財界の守旧勢力の抵抗に加えて、政界では鈴木・加藤・田中各氏、官界では外務省・農水省・経済産業省(原子力保安院)、産業界では日本ハム・東電などが、「こんなことやってたの」と悲しくなるような内実を露呈して、改革への流れに掉さす騒ぎを繰り返しているのだから、どうしようもない。その中で、ここに来て、「組織改革、やってみせちゃいました」というお手本が、相次いで出現した。プロ野球のパシフィック・リーグ西武、セントラル・リーグ巨人の、共に新監督による「リーグ優勝」である。

 両チ−ムの優勝は、もともと優勝する力があるチームを引き継いだという面あってのことだろう。ただ、“ぶっちぎり”に近い快心の流れに導く上で両新監督の「(前監督の路線を明らかに越えた)確信的なリーダーシップ」があったことも確かで、これが、閉塞感の強い今の日本のご時世に励みになるメッセージを送ってくれていることを朗報として受け止めたいと思う。

 リーダーが信じる所を身を挺して現場で実践して見せれば、メンバーは駆動される

 西武の伊原監督の野球は、一言で言えば(実はテレビ放映も全く見ていなくて、これは優勝後のメディア報道からの受け売りなのだが)、「同監督がコーチをやっていた一昔前の全盛期の西武と巨人との日本シリーズで、相手の外野手が緩慢な返球をするのを見抜いてシングルヒットで一塁ランナーを生還させて勝ったプレーを原イメージとする“スキのない、勝つための野球”の徹底」と「その流れとリズムを、自らがサードベース・コーチとして最前線で状況検知/指示することで選手の身体に浸み込ませた“リアルタイム性”」が当を得て、初年目にして見事に結実したということのようである。一方の原監督の野球は、同じく一言で言えば(こちらはテレビ放映が頻繁にあるので、時に生でも見ていた)、「就任程なくに表明した“自分の野球のキーワードは愛”を、先発投手にはなるべく長い回を任せる、2軍から上げた選手をなるべくその日に起用する等、“心に働き掛ける”形での実行にブレークダウンして、選手やコーチとの間に築いた信頼関係」と「打者では清水選手の一番への起用、投手では河原選手の抑え役への配転に象徴される、コーチ時代に彼らを見てきた自分の目を信じての“攻めの人事”による、“どこにもスキがない強いチームへの底上げ”への取組み」がチーム全体の向上努力を引き出して、他チームとの間の差を拡げたということだろう。こちらは、先輩評論家やファンに至るさまざまな層からの雑音が大きかっただろうから、自分を貫くことには勇気がいったことだろう。

かくしてどちらも、「リーダーが自分を信じ、信じる所を身を挺して現場で実践して見せれば、メンバーはそれに駆動されて更なる努力をして、結果に繋げる」ことをやってみせた好例になった。しかも、球界の大ベテラン監督ではなく、これからを担って欲しい年代層の監督たちがやって見せたということの意味が大きい。彼らは、各界の各組織でリーダー予備軍の位置に来ている“時代の担い手層”の人たちに、励みになるメッセージを送ったのだ。「“コーチ時代”の今が大事なのだよ」と。つまり、「“前任者の路線を引き継いで・・”等と受身的に備えるのではなく、組織改革への思いやコンセプトをイメージし、場と時を得たら“確信犯となって、その実現に挺身できる”ように、自らを鍛えておくように」と。  

政官界リーダーに欲しい「狭いストライクゾーンをキチッと通せる力」

さて、今の日本において改革の実が上がって欲しいのは、言うまでもなく政官界。こちらに、この一年くらいの時期で、上記の両監督のように“改革をやって見せた人”はいるのだろうか。“やって見せた”となると、その旗を振る小泉総理を含めて、思い当たる人はいない。プロ野球のように一年経てば優勝という分かり易い結果が出る世界とは違うから、簡単には見つけられないし、単年度での評価は難しいという面はある。こういう世界では、何をもって「改革者たる動き」と評価したらいいのだろうか。

 成熟し閉塞感の強くなった日本では、改革がうまく行くストライクゾーンは極めて狭く、「そこをしっかりと見抜いて、きちんとそこへ球を投げる」ことが必要となる。球が甘ければ、したたかな抵抗勢力はイチローのようにファウルで逃げ続けて、結局根負けさせられてしまう。しかし、どんなにストライクゾーンが狭い難題でも、タイミング良くズバッとそこを通すことができれば改革は実現できる。これからの日本における組織の盛衰は、組織のリーダー及びその構成員が「狭くなったストライクゾーンをキチッと通せる力」をどれだけ持ち得ているかの勝負になるということだろう。

 ここに視点を置いて現状を見ると、不良債権問題など、国が前に進む上で解決を急がないといけない問題が相変わらずの一進一退状態。この問題の解決に責任を持つべき内閣、関係官庁、金融機関などのリーダー層に、上記の力を備えた人(たち)が現れないがための“悲劇”である。時だけが徒に過ぎて、その間に「ストライクゾーンがさらに狭くなっているのではないか」と苛立ちさえ感じる。

 外務省・アジア大洋州局に期待! 不手際を克服してのこれからの踏んばり

その状況の中では、「拉致被害者の多くが既に死亡」が突然知らされた近親者を始めとする国民の動揺への対処が当面先決となるが、今回の小泉総理の「国交正常化交渉開始に入り口をつけるための北朝鮮訪問」に道筋をつけた外務省アジア大洋州局の田中局長以下の努力は、「狭いストライクゾーンを通そうとする、改革者としての行動」と受け止めていいのではないか。

グローバル化が進む世界に、孤立してテロや核戦争に動く可能性なしとしない国が存在し続け、不安の影を落とし続けるのは、尋常なことではない。しかも、それが海を挟んだ隣国であるとすれば、どの国よりも日本がそういう異常状態を解消しようという「当事者意識」を持つのは当然のことである。それがずーっとここまで、相手側に「まともに話し合いのテーブルにつく」外交的な姿勢が基本的になく、にっちもさっちも行かなかった。上記の言い方になぞらえれば、「ストライクゾーンがない問題」ということになる。

しかしこの問題、隣国である以上、解決をめざす働き掛けを絶やす訳にはいかない。そこに、水面下の交渉で相手側に明らかな変化が見られたとすれば、“ストライクゾーンらしきものが見えた”ということ。仮にそれが経済の疲弊による困窮から来たものであろうと、所管局としては「これを突破口に、ストライクゾーンを“また閉ざされることがないように拡げ”られないか」と考えるのがミッション志向。さらに、アメリカが、イラク攻撃で見せている強硬姿勢を将来北朝鮮にも出すとしたら、日本は多大の影響を受ける。そういう事態にならないように、また万一そうなった時のために、日本が両国に対し交渉したりけん制したりできる自立力を備えることは極めて重要だ。しかも、当面アメリカは「イラク問題に集中していて、北朝鮮まで目配りする余力はない」状況。このような情勢判断から「ここは、国交正常化に向け、“狭いストライクゾーンを拡げる勝負”に踏み込むべし」との決断があって、その決め球として総理を訪朝へと動かしたということだろう。

結果として、拉致されて亡くなったと告げられた人たちの死亡日の情報を後出しにした不手際は何とも残念(この反省を、今後の行動の中で誠心誠意活かして欲しい)だが、この機を捉え果敢に動いた田中局長たちの判断と行動は、閉塞感の強い日本の各界において、事なかれ的に腰を引く向きが多い中、お手本とされていいことと思うがいかがだろうか。今回は、不手際もあったが、功もあった。その第一は、トップ会談をテコに「拉致をトップ自ら認めて謝罪」を引き出したこと。これが「両国が話し合うために先ず通らなければならない“前衛の山”」であり、「それなら、早く通った方がいい」という訳で、ようやくながらそこに登らしめたことは大きな功に他ならない。[2002.9.29]


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