大蔵省/金融機関に期待する「当事者としての意識変革」

                        辻 淳二

休日のひととき、息子と娘が預金金利のことで会話していた。「お金を下ろしに行くのは、自分の銀行、それも時間内に行かなきゃ」という話だった。「随分つましくやってるな」と思ったが、すぐに、「十万円の定期預金なら、利率0.12%で利子は年120円、税金を引くと96円、1回夜間/他行で引き出したら実質マイナス。このコスト感覚の方が真っ当なのだ」と気づかされた。そして、自分もまもなくその年齢になるが、年金生活者の多くの人がこのような気配りをしながら暮らしておられるのだろうなとフト思った。

この背景にある「日本の金融システム安定化」の問題、ようやく公的資金7.5兆円の注入も確定して、これ以上の景気の落ち込みはない、マンションやパソコンの売れ行きなど上向きの兆しも見える、という所に来たようだ。それは良しとしても、何とも腑に落ちないとの感があるのは、日本中の人達の心に長期に渡る屈託をもたらした側の「大蔵省/金融機関の当事者意識」がまだまだ甘いように見えることである。 

大蔵省に関して言えば、いま国際社会から"問題児"視されている日本の不況、特に快走中のアメリカとの関係で見れば、「第2次大戦に次ぐ、経済競争での敗戦」という見方もできる。それは、日本の経済運営の血流を担う金融業界を"護送船団"として思いのままに動かして来た"総司令部"、即ち「大蔵省の敗戦」ということに他ならない。船団から脱落し沈没してしまった山一や日債銀に関する報道を見ても、同省所管局の、飛ばしを黙認したり、不良債権額をあいまいにして奉加帳を回したりといった保身型の裁量行政が、問題を悪化させ長期化させる方向にミスリードしたことは明らかなようである。それなのに、破綻させた経営者は社会的制裁を受けているのに、"共犯"の疑い濃厚な同省の当局/当事者たちは一向に自分たちの"敗戦責任"すら認めようとしていない。ミスリードに関わった部局、その要職にあった幹部層は、自分たちが"総司令部"でやったことを、胸を張って家族や友人に語れるのだろうか。

金融機関もまた、お客様である庶民に実質ゼロ金利の我慢を強いながら、産業界の中でも飛び抜けた高給を払っていることから来るコスト高という大矛盾を解決できていない。この度発表された経営健全化計画を見ても、「4年間で、全15行で2万人削減」は出たが、これは関連各社への配転を含むもので、ソニーが17,000人、NECが15,000人を3年で企業グループ全体として削減するのに比べて危機感が薄く、「相変わらずの横並び策」の域を出ていない。加えて、給料引き下げに言及したのは、信託の一行だけだったと聞く。この計画を練った時に、「お客様に強いている我慢を考えれば、給料カットまで踏み込むのも当然なのだけどね・・」という真剣な議論が各行内でどこまでなされたのだろうか。

その点、日本生命に、大蔵省銀行局長が金融機関と交わした日債銀延命出資の際の確認書を公開させた株主訴訟の原告たちの動きには、「庶民としてはこう動けばいいんだ」と胸のつかえがおりる爽快さを感じた。

大蔵省や金融機関の幹部や職員の家庭では、冒頭の我が家のようなつましい会話はないのだろうか。子供達からそういう話題が出され、親達が「自分たちが国際金融市場を見通すグランドデザインを持てなかったのに社会のエリート面しているのは、恥ずかしいことだ。この痛恨の失敗は二度としてはならない。国民の一人として、焼け跡/闇市からの再興の一翼を担おう」と当事者意識を取り戻すような会話がなされているなら、日本の再興への展望も明るいと思うのは私だけだろうか。   ['99.3.16]

オピニオン 目次へ