ペンリレー

 会員の皆様,あけましておめでとうございます。今月号より新たに「ペンリレー」を始めます。丁度21世紀に入ったことでもあり、新世紀第一弾の編集企画ということであります。「ペンリレー」のルールはたった一つ、「今月号の書き手が翌月号の書き手を指名し、指名を受けた会員は断らない」ということだけです。書いて頂くテーマ・内容・形式・長さなど、一切の制約はありません。できるだけ多くの会員の方に参加して頂くことと、毎月のコンテンツ集めの悩みを少し軽くしようというのが編集子の本音であります。ご協力のほど、よろしくおねがい申し上げます。

 マイ・ゴルフその後          高 嶋 宏 尚

 何年か前の会報(冊子だった頃)に「飛ばすことだけが楽しくてゴルフをやっている」との寄稿をしたことがありますが、その後の状況について相も変わらずの間抜けな話ですが、ご報告をしたいと思います。

 3年ほど前のこと、「ミスターOB」のあだ名を頂戴し、お話にならないスコアで回っていた頃でしたが、仕事での対外コンペがありました。その時に部下から「年も年だし、そこそこ恥ずかしくないスコアで回ることを考えるべきです。それにはバッグからドライバーを抜くことです。クラブがなければ振ることはできないし、従ってOBも出ない理屈です。」との進言を受けました。理は部下にあります。言われるとおりにドライバーをバッグから外してコンペに参加したら、47、49の96。生まれて初めて100を切ることができたのでした。

 以来、小生のバッグにはバッフィーとアイアンしか入れないようにしましたが、これでいつでも100を切れるようになったかというとこれがえらい違いで、あの96が唯一の好結果だったのです。ドライバーは無いものの、ティショットでのバッフィーががんがん曲がるようになってしまいました。これはいかんとティショットをアイアンに変えても当初はそこそこですが、すぐにとんでもなく曲がりだしてしまうのです。従って、OBは減らずスコアも元の木阿弥という仕儀となってしまいました。打ち方がどこかおかしくなっているのは確かですが、自分では何がなんだかまったく分かりません。

 一昨年の8月、 あるコンペでOBを連発しハーフで71も打ってしまいました。ピッチングウェッジでさえ100ヤードも飛んだ後ギューンと90度フックしOBゾーンに飛び込む始末です。ヘボゴルファーを自認してはいても、71とはショックで言葉もありません。容易ならざる事態です。ついに意を決してプロに見てもらうことにしました。我が家の近くに練習場があり、月2回習志野カントリーの所属プロ(シニアですがトーナメントプロで、ジャンボなども指導した人です)が教えに来てくれているのです。

 「フックが止まらず、10年もやっているのに100も切れません」と、恐る恐るプロの前に進み出ました。「構えてみろ」。これだけでフックの原因は解ってしまいました。「極端なフック・グリップになっている。はじめは窮屈かも知れぬがウィーク・グリップにしろ」

 プロの言うとおりにして打った球はうそのように真っ直ぐ飛んで行きます。夢のような,とはこのことを言うのではないかとさえ思えました。あんなに苦しんだフックは影も形もありません。「ヘッドスピードはオレより速い。お前には素質がありそうだ。もう10年早く教わりに来れば良かったが、今からでも遅くはない」などと煽て上げられ、フックを一発で直してくれたこの人の言うことならとすっかりその気になってしまいました。

 「8番アイアン一本だけでスゥイングの形を作る練習をしろ。テークバックからヘッドをかぶせるようにして叩き込め,ボールはちゃんと上がる(V字型のスゥイングです)。とりあえず腰は回さなくてよいが、どんなに左に行ってもいいからドロー・ボールを打て」との指導です。

 このときを逃しては永久にゴルフの上達は望めないと思いました。とにかく体で覚えるしかありません。毎日就寝前には家の前の道路に人工芝のマットを敷き、5番、8番アイアンの素振りをしました。汗ビッショリになったところで風呂に入り、それから就寝です。一週間のうち少なくとも一回は仕事の帰りに練習場に寄り100球ほど練習をすることにしました(Tシャツ、トレパン、シューズなどを背負って出勤する訳です)。また、休日には朝食後第一ラウンドの練習に出掛けます。8番アイアンを中心に150球ほどを打ちます。一旦家に帰って昼食を摂った後また練習場に行き、アイアンを中心に100球ほど打ってきます。休日の夜も勿論素振りは欠かしません。それまでほとんど練習などしたことがなかったのに、コースに出なくても、練習場で打つことだけでも楽しいと思えるようになりました。

 プロに教わったようにスゥイングをすると、インパクト時の音が違ってきました。コツンという頼りない音ではなく、ビシッとかなり男性的な音です。まぐれでうまく当った時には、ボールは軽いドローの軌道を描き170ヤードの地点まで飛んでいきました。さすがに8番アイアンで170ヤード飛んだ時には目眩がしました。飛距離に喜ぶより、これ以下の距離になったときに打つクラブが無くなってしまうとの思いでした。

 そのうちに左膝に痛みを感じるようになりました。体の左サイドに壁を作るのだから当然だろう、そのうちに体が慣れるとタカをくくっていたのでしたが、一向に膝の痛みは無くなりません。練習を始めて丁度2ヶ月たった月曜日の朝、大手町駅で通勤電車を降りたものの階段を上ることが出来なくなってしまいました。手摺にしがみついて階段を上り、ほうほうの態で職場に辿り着くなり、すぐさま整形外科医に駆けつけました。

 「ゴルフで左の膝を痛めました。階段が上れなくなりました」とズボンをたくし上げ先生に訴えたところ、「右の膝も出せ」とのことです。

 「プロに習っているだろう」

 「先生のおっしゃるとおりですが、どうしてそれが解るのでしょう」

 「右の膝と比べて見ろ。気が付かなかったのか。右が普通の状態,左は水が溜まってこんなに腫れ上がっている。素人がこんなになるには相当な無茶をしているからなのだ。プロにしごかれてでもいなければ、こうまでひどくはならん。すぐさまプロにドクター・ストップだと話しなさい。私がいいと言うまで、ゴルフクラブを握ることは一切まかりならん」

とのご託宣です。以来約半年の間、消炎剤の服用と湿布をし続ける羽目になってしまいました。

 ダメと言われればいっそう募る恋心,ではありませんが、痛みが少し薄らぐとやはり我慢ができません。数々の誘いもあることから、何回かはお医者さんをたばかってコースに行きました。湿布の上からサポーターをぎっしり巻いてもやはり負担はかかります。痛みと腫れがぶり返します。

 「行ってはならん,と言ったのにコースに出たな」

 「いいえ、ゴルフはしておりません。庭で穴堀をしました」

 「腫れが出ている。痛くはないのか」

 「いえ、それ程でもありません」

 「おかしいなァ。我慢強いのかな?」

などと見え見えの嘘をつくやら、コースに行ったことがバレないよう少し腫れが引いてから医者に行ったりと、いい加減なことをしておりましたが、半年も経つと完治はしないものの、医者から「もう薬も湿布もしなくていいが、コースに出る前には必ず見せに来なさい。私の了解を得てからコースに行きなさい」と言われる程まで回復してきました。

 さあ、またやれるぞと、喜び勇んでプロに見てもらいにいきました。「ダメだ、膝が逃げている」の一言です。「膝が負担に耐えられるようになるまで、ただヘッドを上げて下ろすだけの練習をしろ。今のうちにヘッドの使い方をマスターしろ。手で上げ下ろしするだけでも8番で100ヤードは行く。これだけでもスコアは作れる」

 振り切ることのできないゴルフなんて。こんな面白くないことはありません。いきおい、プロからも足が遠のきます。膝の痛みが再発しない程度に細々と練習を続けていますが、最近のことです。シングルプレーヤーの元の上司とラウンドする機会がありました。

 「プロに習っていると聞いたからどれだけ上手くなったかと期待していたのに、ターフを取る打ち方はもう古いし、体を痛めるだけだ。即刻スウィングを改めるべきだ」とのアドバイス(というよりむしろお叱り)を受けてしまいました。しかしながら、この日フルバックからのプレーであったにもかかわらず、ハーフでは自分のベスト・スコアが出たのです。

 「膝には相変わらず不安があるし、どうやってまたスウィングを変えたらいいのか。いや、本当に変えなければいけないのか。現にハーフだけれどもベスト・スコアが出たではないか」などなど、ドフックが治って前途に明るい光芒が見えた筈のマイ・ゴルフも、また迷える子羊に逆戻りです。「変えるべきか、このまま行くか」と、ハムレットのような心境で新年を迎えています。

 次回はトランス・コスモスの上野さんにお願いします。

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