我が専門分野からの「統一データベース」考    山本 勣

 

 このメールリレーには、「託されたら断れない」というルールがあるそうです。そこで何かを出稿する必要があると決心し、机の中を探して雑文メモを見つけました。これは、椿さんの会社で出しておられるDRI通信(2000.6.1発刊分)へ戸田さんが寄せられた文章を読み、思ったことを書いたものです。特に、そこに書かれた「DB通信場」、「情報場」という言葉に興味を持ったのです。小生の昔の職業の世界では、「認識場」(エピステーメ)という言葉があります。それでは、その見つけた雑文を紹介します。

 

 戸田さんのDRI通信での椿さん稿へのコメントについて、小生の考えていることを少し書きます。

 文化人類学の世界では有名な話ですが、砂漠の民にはオアシスを表現する単語がとても多いようです。形容詞を付与して状態の違いを表現するのではなく、別のものとして単語が存在するのです。緑の多いオアシス、遠いオアシス、水が溢れるオアシス、枯れたオアシス、幻のオアシス等々に別の単語が存在します。あるいは南米の山岳民族では子供のアルパカ、メスのアルパカ、妊娠しているアルパカ等に対してそれぞれ別の単語があります。つまり、そこに住む民が何に興味を持っているか(生活の基盤となっているものは何かという合意)により単語が生まれ、死にます。日本語に季節や天気を表わす単語が多いのは水田中心の農耕民族だからなのでしょう。

 このように、言葉はその地域や時代、あるいは世代、もっと小さくグループ等により意味が変わり、豊富になり、捨てられます。 このような環境をモーリス・ブランショの文学空間になぞらえて『哲学空間』(戸田さんの「情報場」はこれに近いのではないかと思います。)あるいはDOMAINと言いたいと思います。かつて小生は政治思想を研究していましたが、例えば、17世紀のヨーロッパの知識人の間には思考方法の共通の傾向が見られます。哲学のホッブス、物理のガリレイ、医学のハーベイの理論の展開が似ているのです。これは何に影響を受けているかというとその時代の最高のもの「時計」に影響されているのです。(100年後に現在を振返ると、全てが「コンピュータ」に影響されていたのだなと思うに違いありません。)

 さて、本題に戻りましょう。つまり、時間と空間が定義する無数のグループの存在が可能であり、そして、グループにはそれぞれ別の哲学空間があり、仮に同じ発音、スペルでも別のジャルゴンが生まれるということです。従って本質的には意識的に作られた組織の中で意識して努力しない限り、゛美しい゛言語空間は、つまりデータベースは確保できないと見る方が正しいでしょう。(例えば、一時の中世のカソリック教会のラテン語による生活がこれに近いかもしれません。)

 しかし、これで諦めては交流ができません。愛が語れません(これは別か)。そこで、言葉と言葉の変換が必要となります。なにも日本語と英語の間ばかりではなく、同じ日本語の中でもグループ間(例えば世代間)で翻訳が必要になります。それはそれぞれのグループが生きている限り続くのです。

 さて、小生の今の仕事との関連で話しをすると、医学ではやたら難しい単語を使います。これは権威を保つ作用とかいろいろ意見がありますが、一種の哲学の空間を守る方法であったのではないかと思います。宗教の言葉もそうです。つまり、それが一定の技術の水準を確保する方法だったのでしょう。別の哲学空間と同じ単語を使うとその意味がどんどん揺らいでしまうのです。北海道の医者と九州の医者とで、あるいは若い医者と大家とで単語が違い(診断が違い)、処置の方法が違ったら困るからです。しかしながら、こんな閉鎖的空間でも新しい発見によりどんどん単語が生まれ、意味が変わります。実際、大学により処置の違う例があります。そんなこんなでEB(Evidence Based Medicine)と言われるようになっています。つまり、どこの論文に基づいて診断したのかと言うことです。

 日本の現状を言うと、病名ですら統一されていません。厚生省のレセプト病名(保険金を貰う為の病名)とICD−10(アメリカで統一しているといわれている3Mがまとめた病名)があります。医師が勝手につけた病名もあります。(これが一番多いのは当然です。)病名と言う項目名の定義すらはっきりしているようでしていない。ましてや一つ一つのデータは同じ表現で別のことを意味していることすらあります。(極端な場合ですが)

 そんな訳でDBと言うのはなかなか統一できないだろうと考えています。統一DBが持てるのは死んだ組織です。あるいは死んだように変らない取引や組織です。(最もそれに近い例はマルクス主義経済学の宇野理論ではないかと思っています。)活性的な組織に安定的なDBを考えること自体が自己矛盾なのかもしれません。(だからこそ椿さんの仕事は永遠なのです。)

 では、これで今回のメールリレーに対応したと言うことにして下さい。ところで、小生、昨年11月23日に頭を丸めました(変化が見られないと言う意見もあります)。殆んど仏道の世界です。合掌。

 次は、落井正毅さんにバトンタッチします。

[平成13年2月13日]

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