旧交                 高村 賢治


 「友あり遠方より来る、また楽しからずや」の友になれているのかどうかはともかく、思い立ったが吉日とばかり、披露宴出席以来25年ぶりの再会を目指して、新潟の高田に旧友を訪ねた。2001年の11月の事である。

 友とは大学時代の敵同士、就職した会社の同僚で無二の飲み友達となった男の事である。敵同士とは大げさだが、大学の学部全体のスト突入を巡って、学部の全員集会の壇上壇下で激論を交わした仲だった。彼は集会を仕切る議長、こっちはノンポリ右翼の一般学生。私は彼の顔を覚えていなかったが、彼の方では2年遅れの中途入社で入ってきたとたん、「なんとまずい奴が会社にいるんだ」と思ったらしい。ある時、飲み屋のカウンターで二人並んで飲む機会があり、彼の方からうち明け話が持ち出され、すっかり意気投合してしまったという仲である。彼が私の結婚式で、「以降はお前の歌にして唄ってくれ」と言って唄ってくれた歌は今でも忘れない。

 星が遠くで光ってた
 時計がどこかで鳴っていた
 好きだよと言ったら頷いてくれた
 澄んだ眼が涙が出るほど綺麗だった
 戦いの中で結ばれた二人

という歌詞だった。

 そんな彼が会社を辞めて故郷の数学の先生になり、新潟で結婚式を挙げると言ってきたとき、いったいどんな結婚式なのか楽しみに思った。当日、朝早い上野発の汽車で行けば間に合うはずで、調布からタクシーを飛ばした。調布の始発電車に乗ったのでは、上野発の目的の汽車に間に合わないためである。折から前の晩に台風が通過しており、タクシーの運ちゃんがラジオを付けてくれた。すると、台風の影響で上信越線が不通になっているらしい。いずれ開通の見込みというので、どうするか一瞬迷ったが、急遽羽田に行き先を変更し、YS11で富山まで飛び、富山から新潟入りすることに決めた。羽田では第一便という事や、台風によるキャンセルも出たのか、何とか乗ることができた。しかし、このYS11の飛行は本当に忘れがたいものとなった。ともかく揺れる。必死に上昇しようと頑張っていると、ストンと高度が下がる。ジェット機じゃなくて飛行機に乗っているのだとつくづく思い、戦時中の飛行機はこんなのが当たり前だったんだろう、などと励ましたりした記憶がある。それでも後半は安定飛行で、無事富山経由で新潟にたどり着いた。

 さて、期待の披露宴に出てみると、これがなんとも古式というか和式というか、芸者をあげてのそれは楽しい披露宴であった。東京では学生運動の闘士であったが、地元では、名士の一人息子だったのだ。都会という仮装束の世界と田舎の地に生えた風俗といったものを、そんな言葉にして考えた訳ではないが、理解した気がしたものだった。友は大いに照れながらも、おおように幸せそうだった。

 そんな友と、年賀状のやりとりではなく、直接杯をやりとりできるという期待に、なにやらどきどきしながら直江津の改札口に向かった。改札口に少し太ってはいたが、全く変わっていない友が照れくさそうに待っていた。「おー」「おー」の挨拶も全く同じだ。旧交を温めることの楽しさを満喫した一夜であった。

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