無常ということ 浜田 淳司
私事で恐縮だが、この1年間に父母を亡くした。東京に呼び寄せることになった3年前のできごとからドキュメンタリータッチでまとめてみて、現代を生きる一市民の姿を浮き彫りにできればカッコいいなと思いつつ書いてみる。
1999.5 それは新聞の折り込み広告から始まった。隣のTさんが部屋を売りに出したのだ。奥さん同士気があって、よく行き来していたが、売却の話はまったく知らなかった。当然次の引越し先が決まったのだろう。さっそく聞いてみると横浜に引っ越すとのこと。Tさんの売却希望額は分譲時の半額以下で、私はその数字を見たとたんに、「これで一生足立区民だな。」と、落胆と諦念に満たされた。しかし、奥さんの反応は違った。「あなた、これは買いよ。」
「買いよ」といったってどこにそんなお金があるというのだ。そんな私の言葉にはまったく聞く耳をもたず、静岡県の沼津にいる私の両親を呼び寄せればいいこと、まず私の名義でローンを組み、支払いは両親の年金をあてればいいこと、万一両親が亡くなった場合は貸すなり、売却するなりすればいいこと、ここまで決めると、沼津の両親に電話をして了解をとり、私の兄姉にも電話をして事の次第を説明し、ついでに隣のTさんのところにも連絡して、買主が決まったと不動産屋に連絡をしてもらい、・・・つまりすべてが決まったのである。私はといえば、自分の両親を呼び寄せるということを奥さんが言い出してくれたので、あとは為すがままの状態、この後、以前にもまして奥さんに頭があがらなくなっていく。(とほほ)
2000.5 両親の引越し完了。実家はしばらく倉庫状態。20数年ぶりに一緒に暮らす両親は、すっかり爺さん婆さんになっている。なんとなくぎこちない生活。下の子の保育園の送り迎えは助かる。両親はシルバーパスを手に入れ、連日東京の名所見物。東京は健康な老人にとっては天国だ。
2001.1 母が散歩中に転んで骨折。2月になって回復するも食欲がなく、病院で見てもらうことにする。
2001.2 女子医大にて精密検査。すい臓がんが肝臓全体に転移しており、末期状態。余命3ヶ月の宣告を受ける。本来なら即時入院だが、本人に自覚症状がなく、状態は安定しているので、できるだけ家族と一緒に過ごす事にする。手術は断念。本人には告知せず。
2001.4 吐血。救急車で医大病院へ。即時入院となるが、大学病院のベッドに空きがなく、近くの病院に入院。食事が取れなくなり点滴。意識はしっかりしている。
2001.5 死去。 享年76歳。
葬儀前日に父が肺炎をおこし入院。母の見舞い、孫の保育園の送り迎えと毎日自転車で走り回っていた父が、この肺炎のあとめっきり体力がおち、自転車にものれなくなった。
2001.7 父の物忘れがひどくなり、精密検査を受ける。頭部CTスキャンの結果ゴルフボール大の脳腫瘍。場所は左脳後部。計算、識字能力を司るところ。最近計算ができない、漢字を忘れてしまう、字を書くとふるえるといっていた症状からまちがいなく脳腫瘍とのこと。老人のボケではなかった。即時入院。肺からのがん転移の可能性が高いので、全身の精密検査を受けるが異常なし。体調は問題なく1週間で退院した。退院時の医師との確認事項は次のとおり。
・ 年齢からいって手術は勧めない。
・ 余命は6ヶ月程度か。脳腫瘍は急激に悪化する場合があるのでなんともいえない。
・ 生活に不自由なところが出るかもしれないが、痛みはないので介護保険を使って自宅で療養する。
・
本人への告知はしない。
2001.8 入院(1週間)
2001.9 入院(1週間)
2001.10 入院(1週間)
2001.12 入院(1週間)、この間に「要介護」から「介護3」まで進む。
2002.1 入院。この時点で外部からの刺激にほとんど反応できなくなった。最後まで反応したのは孫の声に対してであった。
2002.3 死去 享年84歳
無常リスト
1 老人の寿命
父母ともにこれまで大病の経験がなく、特に父の兄は103歳でいまだ健在、という状況から、当分同居生活が続くと思ったが、結果ははかないものであった。
2 バブルの後始末
バブル期にマンションを買った人はすでに価格の大幅下落という落とし前を受け入れざるを得ない。落とし前をつけようとしない金融、建設、不動産業界を、私は基幹産業と認めない。
3 高齢化と介護保険
「高齢者の介護は家族のつとめだ。」といった代議士は、真っ先に家族から見放されるであろう。町の土建屋が介護ビジネスに鞍替えしている現状は容認しがたいものがある。