「ショートエッセイ」シリーズ・その2 

 義父と孫のケア、両方あっての気付きと感動      辻 淳二
 

 93歳の義父(現在、94歳)と2歳の孫娘(同、3歳)のケアをほぼ同じ頃から始めて、1.5年余りが過ぎた。義父の方が年間で20回程度、孫っ子の方が同じく10回程度の場ながら、私の生活の中に一定のウエイトを占めている。もとより、一口にケアといっても、それぞれの意味合い/内容はかなり違う。義父の方は、一人暮らしは心配な心身の状況になったので「実子たちが、義父の住む実家に交代で泊って、食事の世話や会話や散歩の相手をする」体制に入り、私もその中の家人担当分の一部を引き受けているもの(昨夏からは病院生活となったため、病院への見舞いに変わった)。孫っ子の方は、週日は共働き、週末は子育てで自分の時間がない娘夫婦の息抜きと私の孫と遊びたい願望とを両立させるべく、休日の日中に預かって都内/近郊に遊びに出かけているもので、ケアというより一緒に遊んでいる感じ。ここで、一方だけでは分からない、両方をやっているために得ることができた気付きや感動が折々にあって、勉強や励みになっている。

「自分はまだ若い」積りで居ても・・

 気付きの例を挙げると、世代的に二人の間にいる私は「明らかに義父の方に近い」ことをリアルに感じさせられたこと。その一つは、一年前の正月、私たち夫婦と義父、孫っ子の4人で多摩動物公園に出かけた時のこと。入り口で入場券を買おうとして、普段なら料金を確認するだけなのに、この日は「65歳以上、小学生以下は無料」と書かれている表示に目が留まり、「あれっ、間もなく自分たちもタダ」と声に出してしまった。数年後には私はタダのゾ−ン入りし、その後暫くして孫っ子が有料のゾーンに入ってくる!(注記:この直後の02年4月から、「
65歳以上も、低額(半額)だが有料に」と改定された)。これは、私にとって、「明らかに、義父の方に近い」と認識させられた衝撃的な気付きだった。

 もう一つは、一緒に居る際の気配り要件の一つとなる「時間をどう保たせるか」に関してである。これは、孫の方は、往路で「小鳥さんもいるよ」とか「水遊びもできるよ」とか行き先についての話をしておくと、中で移動する時に「次はどこに行く?/何をしようか?」と聞くと、ちゃんと記憶していて返答が得られ、それも回を重ねる度に会話が楽になっていく。一方の義父の方は、例えばシーワールドで豪快なイルカジャンプを観ている時は「すごいね!」と感動していても、数時間後にはそれを思い出せない。「今、見てきたじゃない」と直近の話題で会話しようとすると、きまりの悪い感じもあるらしく、却ってギクシャクしてしまう。従って、義父の方からの「同じ話の繰り返しに近いおしゃべり」に根気よく付き合ったり、自室でくつろぐように導いたりといった対応の方がいい。これらは、育ち始める脳と眠りに向う脳、その両端にある脳の対照をクッキリと見せてくれた。ここで私はというと、孫に言われれば「ああ、そうだったな」と思い出すが、行きがけに話したことを結構忘れてしまっている。この点からも、「義父の方に近い自分」を思い知らされている。

 「直感、即行動」でケアがポジティブになった!

 感動の例としては、一方で修得していたケアのノウハウが他方で“うまく活かせた”という体験が、いくつかできたこと。その一つの、「孫っ子を日中預かってしまう」という着想は、その少し前に義父を日中一人でケアする役を引き受けた時に、「寄席に同行するのを主にして、約10時間のケアができた」成功体験(別稿の「寄席行き大成功」を参照)があって、連想的に思い当たったと認識している。もう一つは、今年の正月に、孫がそれまでは食べなかったリンゴを自ら食べるように導きができたこと。娘の家族が泊まりに来ていた夜、デザートにリンゴを剥こうとして両親に聞いたら、「この娘は食べない」との返事。そこで、ダメモトの積りで、一切れの一部を薄くスライスして孫の前にフォークと一緒に置いてみた。少し離れた所から観察していると、最初のスライスを口に運び、その後も自らの意思でフォークで次々と口に入れていく。なくなりそうになったので急いでスライスして置くと、それも滑らかに口に運んでいく。結局、手が止まることなく一切れをスンナリと食べてしまって、食べられる果物が一つ増えることになった。どうやら、スライスすることで、フォークで食べやすくなり、また噛んだ時に感じる甘さが程よくなったらしい。これは、義父のケアで泊る時に、最寄り駅のスーパーで最上等のリンゴを一個買い、それをスライスして食後の雑談時にデザートとして出していた経験から、ヒラメイたものだった。これらは、ケアの基本は「相手の目線で接すること」で、その基本に適えばポジティブにケアができることを体得した、“ちょっと嬉しい”、かつ、私が意識して心がけている行動モデル(別稿の「シニアライフを楽しむキーワードは直感、即行動」を参照)の成功体験だった。

 91歳の開きがあって人生の両端で生きている人を同時並行にケアする機会は、そう持てる訳ではない。それを、僅か一年余りながら体験できたのは有難いことと、この稿を書きながらあらためて感じている。[2003.1.26]

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