「ショートエッセイ」シリーズ・その



 心が明るくなった日          高嶋 宏尚               
 
 鬱々とした日々が続く中で、ちょっと希望の持てるような、心の中にさわやかな風を吹き込んでもらったようなことがあったので、そのことを記したいと思う。

 息子が所属している高校の合唱部の定期演奏会があった。学園祭やクリスマスの時など、年に何回か活動成果発表の機会があるようだが、この定期演奏会が最大のイベントのようで、市の文化ホールで行われたのである。

 
プログラムは3部構成になっており、第1部では春と愛を歌う歌と、ブストー、バードなどの「アヴェ・ヴェルム・コルプス」、「アヴェ・マリア」が歌われた。この合唱部の実力のほどは、飛びぬけて素晴らしいというレベルではないだろうと思う。高校合唱部の普通の水準ぐらいなのではないか。ただ、いつ聴いても、控えめではあるが、一生懸命になって歌おうとする姿勢が感じられ、そのことが好ましく思えている。1年前の定期演奏会の時、アンケートに「古いミサ曲などに挑戦してみてはいかがか」と書いた。まさかその時のアンケートの所為ではあるまいが、今回のプログラムに「アヴェ・ヴェルム・コルプス」と「アヴェ・マリア」が組まれていたのは思いがけないことだった。
 失礼を省みずに云ってしまえば、一生懸命だが控えめであるというのは、自信のなさの裏返しであるようにも思えるのだが、そのような心情は神の前で歌う歌にはうってつけなのではないかと考えたのである。
 思っていた通りであった。もう少し声が出せるのではないかとは思ったものの、誠実さと初々しさが感じられる「アヴェ・ヴェルム・コルプス」と「アヴェ・マリア」であった。これらを聴いただけで出かけてきた価値があったと思ったものだ。

 第2部では、約50人の部員がそれぞれにカジュアルなスタイルになり、10人余のブラス・バンドの伴奏でアメリカのスタンダード・ナンバー9曲を一気に歌った。これで皆、随分と声が出るようになったようだった。第3部は「IN TERRA PAX」という、戦争と平和をテーマに作られた曲集が歌われたのだが、声がよく出ていたと思うし、皆の気持ちにまとまりがあったように思う。この日一番の出来栄えのように感じられた。イラクでの戦争が始まってしまったという状況も生徒たちの心にインパクトを与えていたのかもしれない。聴くものに高校生たちの気持ちが素直に伝わってくるような合唱だった。
 この後、NHK全国合唱コンクールでの課題曲「なぎさの地球」が合唱され、定期演奏会のプログラムは終了した。最後に校歌が斉唱されたのだが、その最中に女生徒の何人かは涙を流しているようだった。

 総てのステージが終了すると、聴衆は退出することになる。ロビーにステージを終えたばかりの生徒達が集まってきた。聴衆と生徒達で一杯になったロビーで、数人の卒業生が在校生に囲まれて歌を歌い、卒業生への送別の思いを込めた拍手の後、再度校歌が始まった。歌の輪は次々に広がり、瞬く間に全員での大合唱となった。若々しく、率直で、力に満ちた歌声が広いホール中に響きわたった。今度は、女子生徒ばかりでなく、男子にも頬をぬらしながら歌っている生徒がいた。校歌を歌って涙するのは、なにも甲子園だけとは限らないのだ。苦しい練習に耐え、力を磨き、その成果を問うという点においては、運動部も文化部も差はないのだと今更のように思ったのである。
 定期演奏会が無事に終了するまでには、乗り越えなければならないハードルが幾つもあったことだろうと思う。皆で力を合わせる、あるいは心を一つにするというのも、口で言うほど簡単なことではない。様々な葛藤があり、チーム・ワークが乱れることもあったのではないかとも、容易に想像できる。母校の伝統や名誉を重く感じていた生徒もいただろうし、一つのものを作り上げたことの達成感や開放感を味わっていた生徒も多かったに違いない。ましてや、卒業生を送り出す時期でもある。様々な思いが綯い交ぜになって、校歌斉唱で感極まったものと思えた。

 こういう光景を目の当たりにすると、何か忘れかけていたものが思い起こされるような気がする。とかく今日日の高校生はと思わされることも多いのだが、断じてしまうのは早計というものである。一生懸命になってコンサートを創り上げ、校歌に涙する高校生達に何か勇気づけられるような気がした。希望の灯は消えてはいないとの思いもしたのである。清々しく、明るい気持ちに満たされて帰宅の途についたのであった。(2003.3.27


 ショートエッセイ目次へ