「ショートエッセイ」シリーズ(その12)


 
「老いの現実」に気付かされた    辻 淳二
 
   

 今月は、多雨、猛暑・残暑からの短期間での気温低下、大型台風の列島縦断と言った天候事情に加え、橋本派への日歯連ヤミ政治献金疑惑や西武鉄道による大株主保有株数過少記載といった不正義の露見もあって、「負のイメージの月」の感が強かった。そこに、決定的なダメ押しをするように、
23日(土)に新潟中越地震が起こった。私は、地震発生時間の夕方6時前後は電車に乗っていたり道を歩いていたりで、直接に揺れを感じたのではなかったが、家に帰って家人から「すごく揺れた。被災地は新潟」と聞いて、その夜は被災地の状況を報道するテレビから離れられなくなってしまった。

 今回の地震は、私にとって、

1 昨年まででかつ上期だったら、毎週金曜日に新潟に行っていて、泊る日も何回かはあって、その時は土曜日の発生時間帯に新幹線で帰路に付いていた。

2 新潟に行く機会を利用して良寛ゆかりの地をあちこち訪ねた中で、長岡を起点にして動いた時もあり、従って、JR在来線・バス・車で、あるいは徒歩で通った市や町が被災地として報道されるのに接することがしばしばある。

3 良寛の晩年に近い1828年に、今回の震源よりは30キロ余り北寄りの位置の今の 三条市 周辺に、死者1,400余人、家屋の焼失倒壊1万数千に及んだ大地震が起こっている。その翌年に、近郊の与板の藩主・井伊直経候が同地の徳昌寺で死者供養の法要を行った時に、それに感激した良寛が同寺に長文の詩を送っており、その大きな歌碑が同寺にあるのを私は見ていて、「あの地震とすごく似ているのでは?」と強く感じる。

と言った“他人事と思えない接点”があって、これまでになくリアル感を持って報道に見入ってしまうという感じなのである。

 そこで、ついつい被害地や被害者の映像を自分に引き付けて考えてしまうことを繰り返している中で、(頭の中でイメージしているだけで、被災者の方々には真に申し訳ない話なのだが)、次のことに思いが行き着きがちになっている。

「もし自分が、家が水に浸かったり、崩壊してしまった立場になったとしたら、気持の上では、“その再生には、もはや日暮れて道遠し”の思いの方が、“災難だから仕方ない、早期の再生に頑張ろう”との思いよりも強いのではないか」

 これから、次の2つのことに気付かされた。

1 「これ程の辛い目には、(もうこの歳になった上では)会わないで済ませたい」と、リスク対応力の限界を感じている。つまり、「気持ちの老化が現実化」している。

2 さりながら、実際にそういう立場になったら、“日暮れて道遠し”では済まなくて、“再生に頑張ろう”に向かうしかない。この気持の切り替えに何よりの力/支えになるのは周囲の人たちの後押しの筈で、今回の再生にもその向きで行動しなくては。

 1と2は、相矛盾する面もあるし、例えばボランティアに行くとしても「危機現場できちんと活動できる自立力がなければ、却って足手まといになってしまう」という問題にすぐ直面してしまう。現実に私の場合は、被災地で喜ばれる「現場力」を何一つ備えていないと言わざるを得ない。今回の場合も、義捐金や支援物資でできる支援をするとか、現場力を備えた人を後方支援するしかなさそうだ。

 こう考えてきて、現場でやるには勇気がいるとしても、「現場力」を付けるための“やればできる”行動はやっておいた方がいいなという気持になった。念頭にあるのは、以下のような他愛ないことで恥ずかしいのだが。

1 野菜とカレールウとカセットコンロと大きな鍋を現場に持ち込めば、まあまともな味のカレーライスが作れる

2 被災者が仮住まいしている現場で、ラジカセやCDをバックに、ラジオ体操でもストレッチでも気功でも何でもいいから、音頭を取ってきちんとリードできる

など。

 これらは、やれれば日常的なところでの“ご利益”もあることだから、この機に「できる」力を付けるように動こうと思い立っている。それは、「老化の現実化」を食い止める方向の力になるものでもあるし。[04.10.31


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