常春小ばなしシリーズ


 いのちの水(その壱)         仙 次郎
 

 一人の若者が山また山の山奥を懸命に進んでいました。仙人を探しているのです。その先の山奥に仙人がいるということを村の長老に教えてもらい、なんとか仙術を習おうと思っていたのです。虎や熊の姿に脅え、イノシシに追いかけられ、衣服はボロボロになり、夜露でのどを潤しやっとの思いでそれらしきところについたのでした。こんな山奥の大きな木の下で老人が二人、囲碁を楽しんでいました。老人?、でも角度を変えて見ると青年のようにも見えます。若者は不思議な気持ちで囲碁を打っている二人を見つめていましたが、意を決して近づいていきました。老人らしき二人は、まるでその若者など眼中にない様子でした。この人たちが仙人かもしれないと思い、生唾を一回ゴクリと飲んでから声をかけようとすると、あれ!、陽炎のように二人の姿は消えてしまいました。驚いてあたりを見渡すと、遠く離れた岩の上で座って囲碁に興じている姿を見つけました。仙人に違いない、遂に会えた!。若者は必死で近づこうとしました。声をかけようとすると又、掻き消えてしまうのです。藪をかき分けぼろぼろになって必死にもがき、もう精も根も尽き果て倒れ、目の前が真っ暗になり「あー、仙人様」とつぶやくと、囲碁を打っている一人がぎょろりと目を向け、興じている囲碁を邪魔したハエかアブを見るようにして言いました。
「何じゃ、こんなところに人間がいるぞ」
「人間じゃナ。よくここまで来れたものじゃナ」
「並みの人間ではないかの」。

若者は始めて仙人の声を聞きやっと会えたと思い、ヨイショとなんとか居ずまいを正して、「仙人様、私に仙術を教えてください」と懸命にぺこぺこ頭を下げました。
「仙術だと。帰れ帰れ! ここは人間の来るところではない」
「まあまあ。よくここまで来たものじゃナ。何のために仙術を習いたいのだ」
「困っている人を救いたいのです」
「それでいいカッコをしたいのかノ」
虚を衝かれて「ええ、まあ、それも少しはあります」と答えてしまいました。
「すこしかノ」
「いえ、かなり」                      
「ハッハハアー、正直なやっちゃナ」
「この水をやろう。これはいのちの水といって、うまくいけば死者をも蘇らせる水じゃ。ほれ、持って帰れ」と一本の瓶を投げて渡されました。

 若者は、「はっ、ありがとうございます。しかし、私は仙術を・・・」と言いかけている内にまた二人の仙人の姿は消えてしまいました。もうこれ以上のことは拒否されたに違いない、追いかけても無駄だと悟りました。今、手にしているこの瓶がまた再び仙人に合う手がかりになるだろうと思い、落胆しましたが、仙人に会えていのちの水をもらった悦びを噛み締め、仕方なく山を下りました。
「罪なことをするのう」囲碁の石を打ちながら一人の仙人がことばを続けました。「あの水を一度でも使ってみろ、国王がほおっておかないぞ」
「ためしじゃ、試し。うまく使えば国王にもなれる。へたするといのちの水の争奪戦が起き大勢の人が死ぬ」
「どうかな。さて、ふふふー」
「さて、どうするかな。うほふぉーふぉ。囲碁の勝負の他に楽しみができたワイ」

・・・・・・・

 五十年の歳月が経ちました。
 山のまた山の中を一人の老人が進んでいます。ほとんど白髪の男ですが筋骨たくましく鍛えぬかれた体をして息も切らせず山を登ったり、カモシカのように谷を駆け下りています。
 相変わらず、大きな木の下で座って囲碁を楽しんでいる仙人が二人。
「この勝負、わしの勝ちじゃ」
「うーん、楽しかったのオ。おや、いつの間にやら半刻(五十年)が過ぎた」
「やっと来るようじゃのオ」
「そうのようじゃナ。何百年ぶりに後継ぎ候補ができたかの。」
その時、仙人の前に、ほぼ白髪頭の、しかし、均整がとれ年寄りとは思えない身のこなしの老人が、一本の瓶を片手に眼光鋭く片膝を立てて座っていました。

 「仙人様。やっと来れました。私は五十年前にここに来てこの瓶を頂きました。その後、国中のあらゆる賢人を訪ね、教えを請い、自分を鍛えてまいりました。もうそこでは学ぶべきものはありません。どうか・・・」
仙人はうれしさを頬の筋肉で抑え、この老人のことばをさえぎりました。
「わかっておる、わかっておる。そのいのちの水は使わなかったのじゃナ」
「使えばおもしろかったろうに。なんで使わなかったのじゃナ」
「はい。母の死に際してとか、何度も使おうかと思いました。しかし、これを使うと、一度でも使うと私はだめになる、そう思いました。あらゆるものを馬鹿にする、そう思いました。万人が欲しがるし、私はこの水の所有者であると奢るでしょう。また、人間の持つ究極の武器にもなり、危険この上もないと思いました」
「しかし、人の苦しみを救えただろうが?」
「はい、この水を使えば何人かの命を救えると思いましたが、結局のところいずれ人は皆死ぬ。限りがない。この水で病気が治り、ケガが癒え、死にかけていた人が蘇ったところでそれがどうした、その人、その時のことだけ、と思いました。その時だけは悦びかもしれない。それにいずれ水はなくなる。いのちの水とは何かを懸命に考えました。」
「ほう、そうか」
「ふむ、考えたのかノ」
「はい、本当に大切なのはこのいのちの水ではない。神とか仙人の力を頼ることではない。病気とは何か、死とは何か、命とは何か、つまり、いのちの秘密を知ることこそ大切だ、それを知った上でいのちの水の作り方と作れる力なのだ、と分かりました。」
「うん、いのちの秘密か」
「ふむ、それは人間の命のことかの」
「いえ、宇宙のいのち、万物のいのちのことです。つまり、いのちの水の背景にあるこの世を動かしている根本原理こそ大切なのだ、と思いました。ですから、私はこの水を使えませんでした」
「ほう、善きかな。いい心がけじゃナ」
「よきかな。うん、うん。道理で世の中が騒がしくなかったのオ」
「やはり、みどころがあったのう。ふむ、ふむ」
「あったのオ、ホレ、ついて来なされ」


 老人は喜色を浮かべ、よかったあと大きく息を吸い、丁寧にゆったりとお礼を言い、そしてどうしても聞きたいことがあって指一本立てて尋ねました。
「あのー、ひとつだけ。いのちの水で私を試したのでしょうか?」
「えっ!いやあ、とんでもない。ワシらは、ホレ、囲碁の勝負の邪魔をされたくなかったのでいのちの水を渡したのじゃ。」
「そうじゃナ、試すなんてそんなに人が悪くはないぞナ。モゴモゴ・・」
「いやあー、ちょうどいい時に帰ってきたぞ。たったの半刻じゃがナ。ホレ」
「ほんの一勝負じゃ。それ、お前の顔を見るがいい」
爽やかな風と静かな透明な木立の中の池の水に映った姿は、五十年前の若者そのものでした。

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