松本東亜のシリーズ投稿(第回)

 現代のこころを詠む 短歌のページ

                               

[近詠歌]



   安らぎの面とも見ゆれ介護経て死亡届けを人は出し去る

 

 
[歌人たちが歌った郷土熊本(シリーズ20吉野秀雄)]
 
この稿は、歌誌「すぎなみ」2002年月号(編集責任:松本東亜氏)から転載しています)


  太白星(あかほし)(かげ)増すゆふべ富士が()の雪は蒼めり永久(とわ)(しず)けさ



 吉野秀雄。明治35年7月3日、群馬県高崎生まれる。大正13年23歳、肺結核のため慶応大学経済学部を中退、療養中作歌に志し、翌3年秋艸道人(会津八一)の歌集『南京新唱』を読んで傾倒したが、ひきつづき独習で、子規・左千夫・節ら写実派の短歌に学んだ。大正15年、秋艸道人に面晤、入門。昭和11年、歌集『苔径集』出版。だが更に10年の雌伏を経て、昭和22年に雑誌『創元』(小林秀雄編集)創刊号に「短歌百余章」を発表して一躍文壇歌界に登場、その存在を認めしめた時点での『寒蝉集』出版である。なお『寒蝉集』に先立つはずの『草梅集』は一月遅れて同年11月に出た。作者46歳である。(歌集『寒蝉集』(短歌新聞社)の片山貞美氏解説から。)

 冒頭の作品は『寒蝉集』から採歌した。妻はつ子の他界を嘆く「玉簾花」の一連も秀歌である。古寺を詠み歩く作品もよく、採歌に迷ったがこの一首に絞った。会津八一を師としながらも、写実派の歌人の作品からも摂取し、自らの世界を開いて行った秀雄の結集した一首と思われるからである。

    秀雄は師のことばをこう記録している。
君の歌は俺の歌の真似をせぬところが好きだ。(中略)俺も君も野武士みたいなものだが、野武士には野武士の覚悟が必要で、通常人の何層倍も勉強せねばならぬ。(以下略)

 このような師弟関係の中で秀雄は成長したのである。県立図書館で『吉野秀雄歌集』を紐解き、昭和28年の「肥後小国」「阿蘇内之牧」の連作を読んだ。それぞれ一首紹介。

     山焼きしのちのかそけき日を経つつ阿蘇の外山は青み来にけり
     阿蘇山の噴きげむり見よや乳いろに炎色さす天の真柱

 この西遊は日田往還を利用しているようで、我が菊陽町の豊後街道ではないようだった。

     

【一相一首】のすすめ(「経営と情報通信」研究会員の皆さんへ)

  一相とは、自己のすがた、心の様相を言います。現代社会において、みなさんは仕事や暮らしに多忙を極めています。、その時々に様々な思いを抱かれることでしょう。

  そんな時、自由に一首に心を込め、その思いを大切に歌うようにしましょう。数多く作ることは必要ありません。自分の力に応じて一首一首を作ることが肝要です。こころのアロマセラピー、癒しにもつながり、きっと、豊かな人生が送られることでしょう。短歌を上手になりたい方は、志を高く持って、日々向上に努めるように続けましょう。

  作ってみたい方は、このホームページに送ってください。編集後、掲載します。(松本)

 

[「松本さん紹介ホームページ」の案内(事務局より)]  

  松本東亜氏については、ヤフージャパンで検索し、調べることができます。

 

[投稿者の作品]

 今月号は一件です。会員の皆さんの参加を心待ちしています(事務局)。


[ 辻淳二作: テーマは「
遠距離講義、今年の情景」


 出席の歩留まりを読み教室を小さめにしぬ7年目にして         

 後列の私語も聞こえる広さよし一言叱れば一体になる   

 
最前列にズラリ並びし学生に声掛けて始む心弾みて

 やんちゃ気な学生ふたり前列に我を見る目に輝きのあり    

 教室の狭き苦情を吾受けて良いこと多しと即切り返す

 新潟に通ひの講義半ばを過ぎ車中に眠ることにも慣れぬ

 問ひ掛けに旗色出さぬ学生たち県民性と人は言ひたり     

 難しき世紀を生きる君等こそ旧きを破れと声高に言ふ       

 協創の思ひ通じてレポーターを引き受けし学生最後を締める


 [本作品の関連ページ]

 我が小なる教育改革、今年のバージョン
 


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