松本東亜のシリーズ投稿(第7回)
現代のこころを詠む
『短歌のページ』
[近詠歌]
天上の星を頼りに行かむのみ闇に昇らず月は未だに
[歌人たちが歌った郷土熊本(シリーズ23=高群逸枝)]
(この稿は、歌誌「すぎなみ」2002年11月号(編集責任:松本東亜氏)から転載しています)
吹く風の
白白白の大揺れに
消えて流るる夕映えの径
高群逸枝。明治27年1月18日熊本県下益城郡豊川村(現松橋町)生。
昭和39年6月7日71歳他界。詩人、女性史研究家。大正2年熊本女学校四年終了。
鐘紡の女工や代用教員をしたのち新聞記者を志して失敗。七年、無銭四国巡礼旅行先
から「九州日日新聞」に送った『娘巡礼日記』が好評を博す。8年、橋本健三と婚約。
大阪朝日新聞に破調短歌を投稿。9年上京。詩集『日月の上に』、『放浪者の詩』刊
行。6月離京。8年憲三と再上京。歌集『妾薄命』刊行。昭和五年平塚らいてうらと
無産婦人芸術連盟を結成し、機関誌『婦人戦線』を発行するが、翌年には廃刊。その
後没するまでの33年間を、在野の女性史研究歌としてひとすじに生きた。代表的な
労作に『母系制の研究』(昭13年)『招婿婚の研究』(28年)等。県近代文化功
労者。(熊本県大百科事典ほか)。
掲載歌は、歌集『妾薄命』から採歌した。この歌集は、熊本県立図書館で手にする
ことができた。片手に持つことができる携帯電話サイズで、一頁一首の歌集である。
彼女の多彩な才能をこの歌集だけでも知ることができる。他の詩集や女性史の研究著
書にも、火のような情熱が感じられるとともに現代へのメッセージが込められている
ように思われた。
『娘巡礼日記』は、大正7年6月4日から11月20日までの103回の掲載。
「いかに生くべきか」の問題解決のための巡礼の旅に菊陽町の杉並木を6月4日に通
り、当夜大津町の引水の民家に宿を頼んでいる。九州佐賀関から四国八幡浜に渡る行
程の始まりである。後年の『火の国女の日記抄』中、「大津まで五里、道幅十五間の
杉並木はかつて日光街道のそれとともに東西の壮美とされーーー」との杉並木の記述
を発見し、調査の甲斐があった。帰路も通り、熊本に着くのであるが、この体験によ
り大きな収穫を得たのであった。
【一相一首】のすすめ(「経営と情報通信」研究会員の皆さんへ)
一相とは、自己のすがた、心の様相を言います。現代社会において、みなさんは仕事や暮らしに多忙を
極めています。その時々に様々な思いを抱かれることでしょう。
そんな時、自由に一首に心を込め、その思いを大切に歌うようにしましょう。数多く作ることは必要あ
りません。自分の力に応じて一首一首を作ることが肝要です。こころのアロマセラピー、癒しにもつなが
り、きっと豊かな人生が送られることでしょう。短歌を上手になりたい方は、志を高く持って、日々向上
に努めるように続けましょう。
[「松本さん紹介ホームページ」の案内(事務局より)]
松本東亜氏については、ヤフージャパンで検索し、調べることができます。
[投稿者の作品]
今月号は一件です。会員の皆さんの参加を心待ちしています(事務局)。
[
辻淳二作: テーマは「
卒論も部活指導もなき我も招かれて祝う若き友ありき
ヤンキーかと見えし出会いより折々に芯の確かさ見せし若者
終着に近き車窓の東西に飯豊と弥彦くっきりと見ゆ
会津八一の書に真向かえばのびやかなり二人の門出もかくあらまほし
親も祖母も役を担いたる披露宴両家のなごみを映しておりき
先ず新婦次いで新郎の謝辞ありて新世紀の宴お開きとなりぬ
家に着くや宴景撮りしディジカメをすっと渡せり会する家族に