松本東亜のシリーズ投稿(第8回)
現代のこころを詠む
『短歌のページ』
[近詠歌]
光りたる世界の扉が少し開き見えしと言へどたちまち暗し
[歌人たちが歌った郷土熊本(シリーズ24=帆足よし子)]
(この稿は、歌誌「すぎなみ」2002年12月号(編集責任:松本東亜氏)から転載しています)
浜木綿の葉のみ茂れる磯浜にすぎしなげきをいふこともなし
帆足よし子。旧姓中西よし。明治40年4月1日熊本県熊本市生。昭和4年帆足公立
と結婚。小学校教師。茶道師範等。歌集に『水脈』(昭和39年)、『阿蘇の高原』
(昭和59年)。前熊本アララギ発行者。平成七年県芸術功労賞受賞。
掲載歌は、歌集『阿蘇の高原』から採歌した。この歌は、昭和58年ごろの作品であ
るので年齢で言えば76歳ころ。これまで長男を始め、妹、そして、夫との死別等に遭
遇した。「すぎしなげきをいふこともなし」と、よし子はさりげなく歌ったが、人生の
嘆きや悲しみを経験して至りついた心境ではなかろうか。そして、この歌にも前向きで
凛とした気質が感じられる。
よし子の詳細は資料がないのでわからないが、歌集『阿蘇の高原』のあとがきによれ
ば昭和3年に土屋文明に接し、歌の道に入ったと言う。以来、その道一筋にアララギで
勉強して来られた。歌集の中にも昭和3年の思い出や、阿蘇のことが度々歌われている。
いただきし唐もろこしの穂を見れば阿蘇の高原秋深むらし 49年
みやこ草と教へし君はいまさぬに阿蘇路は今もみやこ草咲く 55年
稲みのる阿蘇の高原ゆきゆくと右に左に猫嶽の見ゆ 同年
阿蘇安居会に遠来し人を牛馬に乗せ赤水駅より歩みし君はも 58年
今で言えば、研修会にあたる安居会。昭和3年8月3〜7日の阿蘇安居会については、
本誌連載9土屋文明等で既述しているが、よし子の当会中の作品は
暁の山をのぼると足もとのこごしき岩根踏みしめにけり
菊陽杉並木を往復し、研鑽した会はよし子の再出発となったのである。
【一相一首】のすすめ(「経営と情報通信」研究会員の皆さんへ)
一相とは、自己のすがた、心の様相を言います。現代社会において、みなさんは仕事や暮らしに多忙を
極めています。その時々に様々な思いを抱かれることでしょう。
そんな時、自由に一首に心を込め、その思いを大切に歌うようにしましょう。数多く作ることは必要あ
りません。自分の力に応じて一首一首を作ることが肝要です。こころのアロマセラピー、癒しにもつなが
り、きっと豊かな人生が送られることでしょう。短歌を上手になりたい方は、志を高く持って、日々向上
に努めるように続けましょう。
[「松本さん紹介ホームページ」の案内(事務局より)]
松本東亜氏については、ヤフージャパンで検索し、調べることができます。
[投稿者の作品]
今月号は一件です。会員の皆さんの参加を心待ちしています(事務局)。
[
辻淳二作: テーマは「晩秋の新潟を訪ねる」]
若い頃のスキー場通いも含めれば100回近く出かけている新潟県。それなのに、
ここの秋は一回も見たことはない。会社の社員旅行が「11月上旬に越後湯沢で」
と決まった時にフトこのことを思い出して、「この機に、新潟の紅葉を観よう」
と周遊することにした。
先ず、夕方からの宴会の前に日本海側まで足を運んで、今から約200年前の頃
に良寛禅師が独居していた2つの庵のある国上山(弥彦山の近く)の秋を訪ねた。
次に、一泊の翌朝、社員旅行が解散した後で、(既に湯沢で雪降りだったのだが)
当初の予定通りに苗場まで足を運んだ。以下は、その二つの小旅行の時の歌。
<良寛禅師の庵を訪ねて国上山へ>
姿良き国上の山は雨雲の晴れ間に淡く色づきて見ゆ
北国の秋の風雨は冷たかりき良寛禅師の庵への道
秋深く時雨降る日は師と言えど冬の備えに心揺れしか
庵に坐せば吹く風の音散る紅葉ここが老師の修行の場所か
師はここで我が歳の頃を生き抜きたり友でありしか雪も嵐も
小牡鹿の濡れつつ立ち居し岡はいずこ師も濡れながら見合いたりしか
<晩秋の苗場で大雪に出会う>
紅葉見が雪見になるとは思わざりき湯沢駅より苗場に向かう
一夜にして降り積もりしか雪掻き車早や道に出てバスを導く
バスの外は降り積む雪に静まりて気付けば中は我一人なり
雪道に先への旅をあきらめて雪降る窓辺にコーヒーを飲む
真っ白の静止画と見えしゲレンデに雪上車現る子犬のごとく
トンネルを抜ければそこに雪はなく西の山並み青空に映ゆ
[本作品の関連ページ]: 晩秋の新潟、一人旅
創作 目次へ